■ Beyblade ■
長話 ■

「適わないことじゃない」
 語気強く、李は言った。
 まるですべての確信とともに在るように、揺るがなかった。
「カイが望めないなら、俺が望んでやる」
 反射的に顔がしかめられた。どういうことだ、と意味を質すよりも、聞いていれば楽観的すぎる態度を咎めている節がある。信用がないのか、それとも本当にわからないのか。立て続けに問うのはためらわれながらも、李は殊更語調を強めた。
「おまえが自らの意思で自由になれないなら、俺がカイを自由にしてやる」
 相手の心情を慮れば、他人の施しを受けるくらいなら望んで飢えて死にそうなものだ。確かに眼前の対象は、そうしなければ解き放てないものを持っている。抱えている。だからといって、それを目の当たりにしながら何も出来ないといって指をくわえているわけには行かなかった。
 自覚する。自信もある。
 自分がしなければ、きっとカイは永久に煩悶の渦の中で生きている。息絶えることもなく、無限の内にずっと居続けるだろう。
 そんな、真っ暗では駄目だ。同じ土俵に立てとは言わない。なぜなら、すでにカイは立っているはずだ。外見の位置には相違があろうとも、誇り高い精神は一歩も引けを取っていないと主張するだろう。
 間違ってはいない。ここにいるのは、自分たち二人だけだ。余人の入るべき余地など、どこにもない。それでも、確かにそうだと言う者はなかっただろう。
「カイがここに居たいというなら居れば良いし、戦うというなら俺も戦う」
 瞬間、険しかった顔が醜悪に歪んだ。
 そう感じたのは、目の錯覚ではあるまい。
 触れてはいけない部分を掠めたのか。それとも、望むようにすることを簡単に宣言した人間を浅ましいと思ったのか。
「おまえは、一体何を知っている」
 瞬きを忘れたように睨みつけてくる眼は見開かれ、無防備に光を受けて鮮やかに輝き、鋭く強い。単純な怒りではなく、恐らくカイが持つ特有の畏れを表しているのだろう。
 巻き込んでしまうこと。
 類が自分以外にも及ぶのでは、と懸念する心。
 相手のことを考えての動作だというのに、呪い殺したいほどの激しさを含んでいるのは何の因果だろう。初めて対面した者なら、敵意を持たれていると勘違いしても不思議ではない。
 けれど、どんなに凄まれようと相手の本質的な優しさを知る李にはそれらは大した効力を持たなかった。むしろ、深い感嘆すらある。
 短期間のうちに募らせた思いがある。
 願いであるにしては瑣末で、同時に執念深い。蛇のようだ、と思う。とぐろを巻いた思念は、一直線に目的を見据えているのに静かに眠っているからだ。それもこれも、自身だけの激情では丸く収まらないことを知っているからだ。
 もう一方の協力がなければ果たせない希望。
 独り善がりでは成し遂げられない。
 これは、あれに似ている。
 もう、わかっていたことだ。
 李はゆるりと頭(かぶり)を振った。
「俺は何も知らない。だが」
 束の間間を区切り、そして言った。
 ずっと腹に溜めていて、教えてやりたいと思っていたこと。カイが知らなければならないこと。
「俺は今まで側にいた誰よりも、カイのことをわかっているはずだ」
 自惚れだ、とは言われなかった。
 身の内から溢れ出す、掴みかねるほど大きなものを精一杯表現した音の葉は、邪険に切り捨てられることもなく。
 言葉もなく、相手は風に吹かれた。
 心なしか温度の上がった、暖かい空気の間を縫って。


「……認めてやる」
 低く。小さな吐息のような声音が漏れた。
 一瞬、言われたことが本当なのかとそこに含まれた真偽を無言のまま目線で問い、次いで自分の耳を疑った。
 まさか、肯定するなんて。
 身勝手なこちらの意見を受け入れてくれたという喜びも確かにあったが、驚愕の方が段違いに強烈で。全身を駈け抜けたのは一種の悪寒だった。冷や汗すら出る。いや、これは脂汗か。
 極度の緊張が心身を襲い、心の臓が跳ねる。血流が勢い良く流れ、体温を上昇させるのがわかった。
「それでも貴様は間違っている」
 苦々しく吐き出された台詞に動揺を悟られぬよう手早く首肯する。
「ああ。わかってる」
 カイの言い分を挙げ連ねれば、恐らく自分は何も知らないのだろう。
 生まれた地。育った土地。これまでの境遇。扱い。周囲の人間たちの思惑。カイを取り囲む、無数の見えないものたち。見えない悪意たち。
 そのどれもを、知らない。見ていない。ただ、わかっていたつもりだ。カイを縛る悪い奴。自由に羽ばたけないよう、四肢を縛り大地に拘束するもの。
 なぜならカイの生きるべき世界は土中ではない。その上のもっと上空にある。それなのに許さない”もの”。
 異論がないことを認めておきながら、まったく怯む様子のないことに紅い双眸の主はわずかに頬を歪めた。目を細め、静かに、殊更静かに微笑う。
 痛い、と思った。
 目にした者に何かが激痛を伝えるのではない。
 報せるのだ。
 もっとずっと側にありたいと思う者の内側から、こちらに。いっそ涙すれば、手を伸ばすことも出来たのに。
「貴様のような横暴な奴は初めてだ」
 中身だけ聞いていればあまり誉められている気がしなかったが、沈痛に歪んだカイの表情には戯れられる余裕はなかった。その印象は、ひどく嬉しくて、悲しくて、痛みに疲れ、且つ怒っていた。
 何に対しての激情かはわからなかったが、常に身の内に烈火の如き意思を持つ者ならば相応だろう。カイらしい、と。
 そんなところでまで、相手の特長を見つけて喜ばしいと思うのはなぜだろう。たった数瞬の至福だというのに、実感するのは体中を覆う感覚。喜悦を達観したあとに湧きあがるような、清清しい、そしてわずかに淋しさを湛える物悲しさ。
「カ…」
 思わず一歩踏み出し、近付こうとする。
 触れていなければ駄目だ。
 このまま離れていてはいけない。
 反射的にそう感じた。まるで、二人の間にある風の動きすらも憎悪するように、一方的な感情が先走る。
 駆けよって、腕を掴んで覗きこまなければ。
 もっと近くで、あの瞳を映さなければ。
 踏みこんだ途端、空気が鳴った。
 弾かれたような、耳を突く破裂音。
 驚き、見返すと、距離を保ってカイがいた。
 少しも場所を移動した形跡はない。間を詰めようとする相手を拒むつもりはなかったのだろう。だが表情には、先ほどまでの寂莫とした静けさはなかった。
「カイ」
 名を呼ぶ。
 しっかりと、今度こそ違えぬよう、腹を据えてもう一度口にしようとしたとき、それを遮って返された。
「勝負しろ、金李」
 充分な声量を持った声が届く。
 鼓膜に、全身に。

「俺と勝負しろ」

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