■ Beyblade ■
長話 ■

「大変です。タカオ、マックス…!」
 村から離れた草地の広がる原野で、ボールを蹴って遊んでいた少年たちの中に頭にかけた眼鏡がずれるのも構わず、見知った顔が駆けこんできた。その手にはぐしゃぐしゃになった紙切れを握り締めている。
「どうしたんだよ、キョウジュ」
 頓狂な表情をしているが、懸念は隠せない。タカオは両膝に手をついて前屈みになり、激しく呼吸を繰り返す友人を見た。マックスも心配そうにボールを胸に抱えて駈け寄ってくる。
「ア、アメリカのジュディ博士からの報せなのですが」
「ママが?」
 名前を聞き、少年の顔色が変わる。そんなことにも構わず、キョウジュは立て続けに言葉を放った。
「聖獣が、奪われたそうです…!」
 一瞬、口から吐き出された台詞に全員が眉間を寄せた。いち早くその意味に気づいたのは、意外と思われるかもしれないが、同じ日本人の少年だった。だが、口調や態度からは言われた事実を真実と捉えたくないとの嘯きが見える。
「奪われる、って。取れるわけねーじゃん」
 楽天家と思われがちだが、その実、木ノ宮タカオなる少年は人の心の機微を的確に察する。その上で空とぼけるという複雑な心理の持ち主だったが、彼には悪気はない。大丈夫だと自分と相手を冷静にさせたい気持ちが先行しての所業であり、確かに思いやりに欠けていると周囲に取られがちではあった。告げられた内容の裏に潜む真実を読み取れないのか、と。
 だが、そんなことは勝手知ったる子どもの友情。善意から来る独特の”あしらい”方であることを当に見越した上で、友人たちは集まり近くで互いの顔を突き合わせた。
「そ、そ、それは私も思いました」
 息せき切って懸命に仲間と会話をしようと試みるものの、気が動転して侭ならないらしい。少しは落ち着けよ、とタカオは率直に刺のある物言いをする。確かに思考が錯乱した状態で話をしているのでは真意を掴みきれない。思い直したように、ようやく全身で深呼吸を繰り返した。その効果は如何。
「研究所に通っていたマイケルたちのことを覚えていますか」
 ああ、と容易に頷く。彼らと同じ力を身に宿し、マックスの母親らとともに『聖獣』について様様な研究を行っているメンバーだ。実験材料の提供者というよりも自分の体の謎を知りたがっていたことから、彼ら自身がまた熱心な研究生でもあった。
 在籍していたのが日本から遠く離れた異国の地であったので、面識はいくらかしかないが、牙族の村に至るまでそこに滞在していた経緯もある。つい先月別れたばかりの顔をいくつも思い出し、神妙な面持ちのままタカオは隣のマックスを見た。実の母がかかわっていることであり、もう一つの母国で起きた事件であっただけに不安げな影はあったが、思案に沈みこんだ表情ではない。
「で、奪った奴は誰だってママは言ってるネ?」
 驚いてばかりいられない、と真相の究明に乗り出す。
 伝え聞いたメッセージが受動であるならば、能動の主語があるべきだ、と。それを目の当たりにしなければ『奪われた』とは表現できまい。ただ、聖獣が彼らの前からいなくなったという事実だけは本当なのだろう。
「わかりません。マイケルたちの意識がまだ戻らないらしく…」
 語尾を言い終えぬ内に白いシャツの襟首を帽子を被った少年に掴まれる。さながら喧嘩を売るように、形相を怒りで歪めた双眸が眼鏡の少年の眉間を射抜いた。どういうことだよ、と罵声のような声が語気荒く放たれた。
 驚いたマックスが、なんとか彼らを引き剥がしにかかる。ともに先ほどまで戯れていた同じ年頃の少年たちも止めに入った。
 数人に羽交い締めにされようやく離れた少年の足元で咳き込みつつ、鼻息を荒げる友人を恨めしげにキョウジュは見上げた。
「聖獣を奪われた反動…なのでしょうか。マイケルもエミリーも皆、昏睡状態で病院に収容されたそうです」
「そんなバカな…!!」
 叫んだのはマックスだった。
 聖獣と自分たちのつながりというものを軽視するわけではないが、身近であっても決しておのれと同一でないものを奪われたからといって、彼ら自身の”魂のようなもの”まで一緒に『連れて』行かれるのかと疑問を吐き出す。
 しかし、あり得ない憶測だと言うことはできない。なぜなら、それを証明する実験というものがなされていなかったからだ。
 第一、一体誰が、どのようにして彼らから、身内に宿る聖獣を引き剥がせるというのか。精神的な”神”でもある聖獣を宿すということ自体のメカニズムが解明されていないのなら、まるで借家を変えるように彼らを自由に移し変えることが果たして可能なのか。理論としての定義が不完全であるならば、そこから派生するであろう諸々の推測というものの実証も不可能だ。であるならば、確証に足る現状の認識という点においても、今回の報せは不可解極まりないものだった。
 そもそも、何のために聖獣を”狩る”必要があるのか。
 狩る。
 連想した文句に、ぞっと背筋が凍りついた。
 まるで、これでは審判劇ではないか。
 常なる人間と異なった、異形なるものを宿した宿主を『化け物』だと評して、人が正義を翳して”粛清”を行おうとする。さながら悪魔退治の美談だ。
 『彼ら』が悪で、狩る側は正義。なぜなら正しき者は、神のみが行える神聖な行為である『審判』を受けることはない。受くべきは悪なのだ。そして、人々は元来自分たちと異なるものを常に後者だと判別してきた。理解者などというものは極少数で、安息を約束されることを切望する者にとって、彼らは『敵』でしかない。秩序を乱されることを恐れる者にとって、忌まわしいほどの。
 獣の姿を持ち、ひっそりと暮らす牙族が人間と異なる『異形』であると認識することこそがまさに。
 だが、そう安易に決定できないのは世界において数少ない”理解者”でもある研究所の人間が、正義の代名詞でもある国の機関の仕業であるらしき匂いを今回の件からは嗅ぎ取っていないということだ。
 米国の研究所は国から認可を受けた正規の施設だ。不可思議なるものの力に未来の開拓を見る、という独特の価値観から、今も援助が続いている。しかも、能力者が本国にも数名いるということは国が保有する『戦力』であり、決して敵ではないからだ。
 ならば、と頭を巡らせれば、その正義の使者は他国の人間であるということが自ずと知れる。
 米国が新たな力を手に入れることを良しと思わない国。選択肢は狭まるようで、外敵の多いだろう大国家では有力な存在というものが掴めない。
 ただ、わけもわからず、米国の人間ではないからと手をこまねいて見ていれば良いという状況ではないことは、聖獣の保持者である少年たちこそが痛感していた。
 それ以前に、同じものを宿す者としての共通の認識を”彼ら”は皆一様に備えていた。仲間だ、という。単純で、理知的ではない素朴な感情。当のマイケルたちはそれを認めた瞬間、無遠慮なほどに大笑いをしたものだ。国家が違えば安易に敵味方に分かれるというのに、垣根を取り払って『友人』だと言う。おめでたい奴らだ、と笑われた。けれどそれでも、最後には握手を求めてきた。同じ土俵に立つ、理解し合える数少ない同志として。
 そんな記憶が鮮明であり、色褪せる兆しがないからこそ、前触れもなく耳にもたられた情報は、宿主である小さな心を痛烈に傷めつけた。
「ですから、もしかしたら我々も危ないのではないか、と博士が報せてくれたのです」
 マックスの母親の伝言を伝え終え、緩やかな風が吹く草原に重たい沈黙が落ちた。
 その虚無を縫って、独白がぽつり、と洩れる。
「敵、なんて。考えたこともなかったヨ……」
 幾分悄然としたまま、俯きがちな少年の唇が開かれる。
 嬉しかっただけだったのに。
 他人とは別の力を持ち、未知の存在を知り、彼らと交わっていたことを。その事実を恵まれていると感謝しこそすれ、敵愾心を受ける対象になるとは考えもしなかったと。
 息子が特異な力を持ったことをいつも親身になって案じていた母が、祖国で独自に研究を進めていたところ、その土地でも同じような力を身につけていた子どもたちがいた。そのことが切っ掛けになって知り合い、そして喧嘩をしながらも理解し合った仲間たちだったのに。
 遠い土地の友人たちが死に瀕しているということを知って、残された彼らはどうすべきなのか。急に意思がたわみ、無性に涙が込み上げてくるのをじっと堪える。
 物怖じするような態度を跳ねつけるように、そんなことは決まっている、とタカオは言いきった。
 強く、明確に。
「聖獣を奪ったって奴らをぶっ飛ばす!それしかねえじゃねえか!」
 断言した横顔には、固い決意が滲んでいた。

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