■ Beyblade ■
長話 ■

 訪れた人の気配は、やはりこの村を訪れていた少年たちのものだった。ここにいる姿を知覚するなり、大仰に目を見開く。純粋な驚きというよりも、それは懐疑を確信に変えたような色だった。
 足元に倒れている白い猛獣を見つけ、顔色が驚愕から蒼白へ変化する。やはり、と怯えつつも真実に息を呑む眼鏡の少年の表情が生々しかった。あれは、こちらを敵と認識している顔だ。彼に倣うように、両脇の少年たちの面も硬い。ただ一人、自分たちの想像が間違っていてほしいと願っているような渋面を、同じ日本人の少年は日焼けした肌に刻んでいた。
 呟いたのは、一言だった。おまえが、やったのか、と。
 そうだと答えた。別段、隠すような代物ではない。事実をありのままさらけ出し、カイは斜めから対峙する数人を見据えた。脳裏を掠めるのは、数人を一度に相手にして自分に分があるかどうかだ。負けるとは思わないが、苦戦を強いられるかもしれない。三人のうち二人は少なくとも同じ”能力者”だ。自分の見知った聖獣使い以外と対戦したことがない分、実戦経験が乏しく不利とも思われる。だが、それはあちらも同様だろう。あるいは、同じ能力者同士で『戦った』ことがないのだとしたら、まるきり戦闘は素人。訓練を積んだこちらが有利とも考えられなくもない。もし、気がかりがあるとすれば、相手がどのような能力を保持し、使ってくるかだ。戦い方を知らなくとも、『力任せに』というのも厄介だ。あまりここで体力を削っては、無事組織のもとへ帰還できなくなるとも限らない。『侵入者』である以上、脱出方法も思案に入れなくてはならない。無意識にしかめられる眉間の奥で思考を巡らせつつ、カイは視線をはずすことなく相手を威嚇し続けた。
 無造作に放られた答えに黒髪の少年はさらに表情を硬くし、そしてやおら握り拳を身体の両脇に二つ作った。何をしているのかと思えば、どうやら憤りを懸命に抑えているらしい。小刻みに肩が震えているのは、恐怖のためではあるまい。不可解な心理状態に、カイはためらわず目を細めた。
 どうやら、このまま見過ごしてはくれないらしい。尤も、そんなことは微塵も期待してはいなかった。余計な労力とも言えるだろうが、口先八丁で窮地を脱したいとも思わなかった。自身に、その手の手腕のないことなど前前から承知している。
「俺がやったとしたら、貴様らはどうする」
 今にも掴みかからんばかりの相手を挑発するでもなく、ありのままを問う。見逃してくれないのならば戦うしかないが、本気でその意思があるのかということを確認する。あるならば、多少骨が折れることを見越しても、戦闘の意思ありとして容赦なく全力で叩き潰す。ただ、それは聖獣を狩るためではない。この場を逃げ切る為の手段だった。
 何か、ふっきれた気がする。何かしら、ほっと安堵するものがある。
 あの男が言ったような『本当の自由』にはなれないが、自身の思いは誰からも束縛されはしない。何もできないのだと歯噛みしていたのは、単なる錯覚だと。その気になりさえすれば、いつでも思うままに生きて行けるのだと。『こいつ』は言った。そして間違いではなかった。そうかこういうことだったのかと、悔しさを留めながら呆気なくカイは認めた。眼下にそれを諭した相手を目の端に留めつつ、身体の向きを対峙する複数へ向けた。
 もう、組織など関係ない。自分は自身のやりたいようにする。誰の命令も聞かない。ただ、落とし前だけはつけなければならない。決着とけじめは、この手でつけなければ。そのためには、ここから早く脱出しなくてはならない。それを阻むことは、誰だろうとさせはしない。
 決意を新たにした引き結んだ唇と強い眼差しに晒される形になった少年たちはかすかな戸惑いを見せた。それがどういう意味を表わしているのかなど、当然カイにはわからない。ただ一つ、木ノ宮なる少年の呟きだけが耳に届いた。
「マイケルたちも、おまえがやったのか」
 問い掛けに、あからさまにカイは目をひそめた。
「聞き覚えのない名だ」
 即座に返った返答に、顔を見合わせる。信憑性は高いものだとの判断らしい。だが、彼らが示唆したのはどうやら自分の属する組織と関係があるようだ。どこで情報を得たのかは知らないが、自分のこの行いがその情報と切り離して考えることができないのだとしたら、『やった』と答えるのが正解だったかもしれない。ただ、自分が直接手を下したことではないというだけで。
 不意に、別に指令を受けた同じ聖獣使いが起こした行動の結果かもしれないとの当然の見解が思考をよぎる。この地に派遣されたのとは別の口で命令を受けた人間がいるのだとしたら、他にも聖獣狩りが行われていることになる。だが、それを行い得る存在というものが稀であるのは言うまでもない。その可能性のある対象が、見知ったただ一人の人物であるだろうということには目を伏せた。説明したところで、彼らにはどうすることもできない話だからだ。
「では、そこに倒れているレイはどうするのです」
 強張った口調で、次なる問いがかけられた。
 何かを促しているような問いだと直感したが、そこに敢えて踏み込むことはしない。
「さあな」
 率直に答える。今ほど腹の底が透き通ったような、隠し立てのない状況はなかっただろう。後ろ暗いことも、後先も、もう考えにはなかった。もし何者かがこの世界を偽っていたのだとすれば、恐らく自分が自分に、なのだろう。誰もたばかっていなかったのに、最も身近な自我が本意を欺いていたということに今更ながらに気がついた。笑い話だった。本当に、間が抜けた”野郎”だ。
「コイツも貴様らも、俺の真の目的じゃあない」
 強い語調で、堂々と言い放つ。
「俺の目的は、俺自身を縛り付けていた過去と決着をつけることだけだ」

 復讐、という二文字があった。どす黒く、心に沈む色彩を帯び、ずしりと身体を覆っていた数年来の呪い。以前なら。ほんの数分前ならためらわず目的を、相手の息の根を止めることだと宣言しただろう。が、今はその意味合いが異なっていた。具体的にどう、と説明は出来なかったが、殺すことが本来の目的ではなくなってきた。そんな気がする。一瞬の気の迷いかもしれない。本当に、『奴』を目の前にして今と同じことを思えるのかそれはわからない。自信もない。けれど、ここへ来て確かに自分は変わった。成長だと認める気はさらさらないが、この長閑な風景に殺意や憎悪といったものが殺ぎ落とされたのかもしれない。これ以上長居してはいけないという警戒心と、それも良いかもしれないという怠惰な心。対極するかに見える二つの心理は、決して葛藤を促すような代物ではなかった。妙に清しい。そして、はっきりとしている。誰からも与えられることも、受け入れることもしなかった馬鹿馬鹿しいものが、とうとう細胞まで侵蝕し始めたらしい。
 苦笑が、頬を歪める。自嘲だったが、決して卑屈なものではない。そうして今一度その場を退くよう言葉を発しようとした刹那。鋭利な雹が降るような、静かな声音が空を打った。
「俺も、カイの意見に賛成だ」
 キン、と空気が一瞬にして温度を下げたような、冷たい音が鼓膜を振るわせる錯覚を覚える。それは、恐らく感覚だけのものではなかっただろう。
「カイは、カイの好きにするべきだ」
 上空に、白い線が一筋立っていた。
 白銀の狼だと知れるのに、数瞬を要した。現実にはあり得ない光景。空の色彩に浮かび上がるように地上から尾を引いた一匹の狼の背に跨り、ユーリ・イヴァーノフは地面に縫いとめられたかのように動きを止めた影を悠然と見下ろしていた。

Copyright(C) PAPER TIGER(HARIKONOTORA) midoh All Rights Reserved.

**