■ Beyblade ■

雑文 ■

 決勝大会試合後、即刻病院送り。
 力を使い果たして肋骨ひび割れ。全身裂傷打撲数多。まあ、無難ちゃ無難な措置だった。とりあえず面会謝絶の札は降りて身内の連中は胸をなでおろしたことだろう。
 が、つまらん。
 そんなことを医療関係者にのたまったら焼きを入れられそうなものだが、もともとこの手の機関に長くお世話になったことなどない。旅を続けて懐が寂しかったのも理由だが、要は箱詰めはご免。四方の四角い壁とにらめっこしていたら気が滅入る。一人でいたら、確実にため息魔人と化していただろう。それだけ退屈で仕方ないということだ。
 とはいえ、入れ替わり立ち代り気を使ったように見舞い客が訪れるので嘆息している暇などない。その点は感謝すべきだった。
 ざっと一通りの訪問者を認識して、ぼつり。
「カイは…」
 どうした、と。まだかさかさに掠れた声で最後の来客に声をかける。もう面会時間がない。会いに来てくれないのだろうかと少し残念に思った。多少、というには若干含みがある。本当はとても。俺のことなど眼中にないのだろうかと思えば、さびしくもある。今の彼が昔のようにわざわざ他人を装うような真似をするはずがないとわかっているから尚更だ。
 随分ものわかりがよくなったからな。実際、他者に嫉妬心を抱くくらい。生来たった一人のものになどなるはずもない器だとはわかっていたが(それがカイの星だ)万人から手を差し伸べられるようになったというのはあまり嬉しくない。今まで自分だけのつもりで良い気になっていたことも浮き彫りになったようで、それに恥じる部分もある。
 慢心で大志を誤る、か。
 大げさだが、良からぬ反応をされれば落ちこみたくもなる。大怪我をした体がやけに重く感じた。病院のベッドにずぶずぶ沈んでしまいそうだと自虐的な錯覚さえ起こる。
「カイならタカオの特訓に付き合っていましたよ」
 トドメ、だな。
 口の中で呟く。一人で時間を潰しているというならまだしも。確かに間違ってはいない。次の試合が最後だ。自分がつないだ一勝を無駄にしないという心意気もありがたい。嬉しい気持ちが8割方ある。ただ、それは表の心の話で。
 来てくれると思ったんだが。
 仲間としての喜びに比べれば、些細なはずの落胆の方が純粋に表面に出た。健常者が五体不満足の時ほど非合理的なものの考え方もしないだろう。言うなれば、不毛な。
 別に何か褒美を期してのことではない。彼らのために命を張ってでも一勝を上げたいと願ったのは事実だが、カイに関しては会いたいと思うのは常日頃のこと。が、かといって取りたてて用事があるわけでもない。
 単なる顔見世。それだけで随分と機嫌が良くなるのだから、こんなときくらいである。気弱が起こす傲慢な欲求。普段どおりの健康体を保っている当人に言えば、何を言ってやがるこの野郎、が関の山だろう。そんなのは想像に難くない。カイの怒る様など嫌というほど拝んできたし、させてもきた。
「わかりました。我々があなたに男の花道を歩かせてさし上げましょう…!」
 演歌か何かか?
 物思いしていたために全体を聞き逃した。連想したのは花吹雪舞うステージと男性演歌歌手。旅が多かったため、滞在する国の知識は足とメディアで稼ぐ。外れてはいないが、的中すれすれを若干それていた感じだ。
 同伴していた老紳士に退室の時間だと告げられて去って行く仲間の後姿を見送る。明日の試合を観戦できないかもしれないのが心残りだ。這ってでも行く、と断言すれば、無茶は禁物とたしなめられる。無茶の代名詞がいつのまにかタカオから自分に移った気さえした。甚だ、迷惑ではある。
 自分以外、誰もいない一室。
 空虚な空気、空間。浮かぶのは埒もあかない空論だけ。
 思いきり掻け布団を頭まで被り、不貞寝を決めた。
 願わくば、俺を嫌いにならないでほしい。なんて、いつもだったら思いもつかないことをぶつぶつ考え、眠りに落ちた。


 ぽっかりと月が照る時刻。気配に目が覚めた。こつん、と窓をたたく音。始めは木の枝が窓にぶつかったのかと思ったが、一度きりだったのが気になった。まだ傷む体を起こし、目を擦る。白く煙ったガラスの向こうにお目当ての人物を見極めたときには顎がはずれた。今は夜中で、冬で、寒くて、雪で、息なんか白を通り越して氷だぞ。
 慌てふためくままにベッドを降りて、おぼつかない足取りで、窓枠に足をかけた上空にいる顔を覗く。夜の闇に照らされ、顔色は蒼い。冗談じゃない。がたがたと鍵をはずすと、凍りつくような外気が内にもぐりこんできた。
 すべるように室内に着地。振り返りがてら、戸を閉める。かたり、と。カイがやれば一発でおとなしくなった。開ける時はあれほど焦りを覚えたのに。
「なん…」
 とにかく、どうして。言葉がつながらず、数回息を呑む。落ちつきは取り戻せない。心音が聞こえる。驚きのためだけのものではない。部屋に入り、急激な温度変化からか、カイの体からは蒸気が立っていた。表面の冷気が温められ、昇る白。
「きさまが」
 若干乱れた呼吸。眩暈を誘うような、空気を震わす吐息。
「俺に会えずにごねていたと聞いただけだ」
 曲解。当たらずと言えど、だろうが、それはいくらなんでも、だ。大方キョウジュの台詞をカイなりの解釈で捻じ曲げたものなんだろうが。
「それだけで、か?」
 目を細め、顔をしかめる。嫌なわけではなかったが、言われたくらいでわざわざ消灯時間もとっくに過ぎた頃にやってきたのか。それも、コートのひとつも肩にかけずに。信じられない、と理性が呟く。もっと別のところでは狂喜が渦を巻いている。悟られてはならない。
「これで充分か?」
 顔を見せた。言葉も交わした。それで役目は終わり。任務完了とばかりに踵を返そうとする。また、窓から出て行こうと踏み出して。
 伸ばした手にひっかかりを覚える。捉えたのは、腕。冷たく、低い温度のカイのかいな。
「充分じゃない」
 苦笑に歪んだ頬。止めた相手の、要求。どちらも見透かされている。でもやめない。意思表示に偽りや駆け引きを持ってこられるほど聡くもない。
「病人の添い寝はご免だ」
 予想どおりのお断り。予期しているのだからそれにひるんでしまえるほど場は明け渡していない。
「ここは寒いから、二人で寝るのが丁度良いんだ」
 無茶苦茶な理論。でも正当。自分にとっては。人を湯たんぽがわりにするなとの抗議。ゆ…て、なんだ?
 取った手の冷たさを、そのまま両掌の中に押しこむ。包めば、応えるようにとりかごめられた気圧がぬくもり始めた。引き寄せ、ベッドにもぐる。ただ共寝するだけの単純な行為。いや、幼児期に近いか。お昼寝時間をともに過ごすのと同じだ。そういえばそんな時分もあったなあ、と心の隅で思う。成長したのだから、さっさと卒業してしまえばいいとさえ。なのに拒めない欲求。答えは簡単だった。
「明日は諦めて病院で観戦する」
 だから朝まで。
 年に一度、あるかないかの駄駄。苦笑に歪む相手の頬。許諾と受け取り不敵な笑み。炎を打ちこんだ鉄のように強靭で頑迷な性が、まるで時折見透かしたようにやわらかくなることを知ってしまった。自分だけに許されたと思いたい、カイの甘さ。
 俺は随分果報者だ。
 二人分の体積に占められたシーツの中。狭いと不平を訴える声と、鼻先を掠める洗い立ての髪の匂い。わずかに外気の名残が薫る。
「おまえが死んだと思った」
 背中を向けた、小さな呟き。
「まだやることがあるから俺は死なない」
 握った掌を放さず、天井を見上げて断言する。かなり、自分でもその自信がどこから来るのか計り知れない。開き直ったら最強。落ちこみは人一倍激しいくせに、と、生真面目な性格を知っている者なら言うだろう。
「カイだってそうだろ」
 まあな、と。
 案じてくれていたことに素直に感謝し、ぎゅ、と目を瞑った。
 指先から全身の血を温めるような、相手から伝わるぬくもりに陶然としながら。

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