■ Beyblade ■

雑文 ■

 空港に着くまでの歩き。道すがら、考えることといえば大したことではない。
 昼食は機内で食べようか、とか。土産の一つでも持参するのが”筋”だったかなど、どこもおかしくない思考だった。ただ、後者については、『土産話』という金銭のかからないモノがあったので、それを用意しなかったことに懺悔の念はない。今回の旅の支度とて、一晩どころか小一時間もかかっていない。そこらへんにあるものを詰めこんで、袋の紐を目一杯引っ張り、入口を閉めただけだ。何を持ってきたかなんて、開けてみなければわからない。忘れて困るものもなければ、持ってきて困るようなものも、多分入ってはいないのだろう。
 心と身体だけがあれば、順風満帆。問題などあるはずがない。
 その思考回路こそ大問題なのだと、頭の中を覗いた者がいたなら咎められもするかもしれない。けれど、構わない。これが自分の生き方だ。

 予約を入れていた便に乗りこむため、航空会社のフロントで手続きを済ませた。厳重な出国審査と身体検査と荷物のチェックを越えて、搭乗口前の椅子に腰を下ろす。どっかと荷物を脇に置き、大きく伸びをして見せる。あとは時を待つだけ。飛行機に乗りこんでしまえさえすれば、乗り物が勝手に目的地まで運んでくれるという寸法だ。なら、こちらは惰眠を貪ることに専念する。
 朝一番の便。起床時間はいつもと変わらないが、環境の違いが疲れを増加させる。眠い。目を数回しばたき、もう一度大きく口を開けた。
 もともと他人より倍の睡眠時間を無駄に貪っていると言われる。悪口だが間違ってはいないので否定はしない。活動する意思がない限り、襲ってくる睡魔と馴れ合いをするのが常道。ときたまに回りの喧騒がいやになって逃げ口上に使うこともあったが、大抵は本気で眠い。牙族の一つの流れである白虎何某の血筋の影響かはともかく、猫科の動物並みに寝る。寝すぎて病気になった者の話は聞かないが、案外この癖自体が重度の病なのかもしれない。
 確かに、アイツならそう言うだろうな。
 苛立つ理由など皆目見当もつかないことに、さらに眉を吊り上げる。
 胸の前で組んだ腕の中に、うとうとと船を漕ぐ頭を倒しながらぼんやり思う。
 二三度手紙を書いたにも関わらず、音信不通の旧友。
 世界最強にまで上り詰めた、かつての仲間。
 口数が少なくて、おいそれと生の声音を聞かせることのない相手。
 それでも、覚えている。
 強烈に意思を主張する切れあがった眦。りりしい眉は父親譲りなのか、鋭い眼光に険を添える。いつもへの字の形の口は、時折待っていたとばかりに端を吊り上げ月を描く。冷笑に歪んだときでさえ、寄せられる眉間は何なのだろう。
 思い出したら、急に思考が冴え出した。思い浮かぶのは、あれこれと取るに足らない旅先での出来事。ベッドがとなりだったとか、悪夢にうなされた様子を背後に感じていたことや、喧嘩もしたし、それから和解も。
 喧嘩と言っても殴り合いをしたのではなく口論という程度だし、和解というのもこっちが思いこんでいるだけで、あちらはそうは考えていないかもしれない。
 だから返事が返ってこなかったのか。またぐるりと思考が一周する。
 記憶の順序はめちゃくちゃだったが、あとからあとから相手の表情がコマ送りのように脳裏に浮かんできて、とうとうたまらず目を見開いた。睨んだ先には短い毛が敷き詰められた灰色の絨毯。無生物を相手に何を睨めっこをしているのか、自分でもわからない。

 む、としかめられた面が一転。苦笑いに転じる。
 どうやら気運は、ゆっくり寝させてはくれない方向に向いているらしい。ならば、諦めるしかない。何事も、ままに。天運に任せるのが流儀だ。無駄な足掻きはしない。また、質でもない。
 再び顔を突き合せて、そして何から話そうか。
 久しぶりだとか、息災だったかとか。そんなありきたりではなく、もっと別のコメントを考えるべきだった。恨みがましい口調がいいか、それとも能天気だと罵られた平素の態度で迎えるか。実際、日本の地で出迎えるのはあちら側なわけだが。
 少し、考えてみよう。頭をめぐらす価値がないと判断したなら、立ち退いた睡魔がまた頭上に戻ってくるだろう。
 ままよ。
 運任せの選択に、果たして相応の台詞が見つかるのだろうか。
 見つからなくても俺は俺。
 牙族の”金李”はただ一人。


「カイは他の二人と連絡を取り合っていたのですか?」
 チームの頭脳役に問われ、間が置かれる。
 木ノ宮タカオなる『論外(例外、ではなく)』の対象以外には、滅多やたらと即答しないのが少年の常だ。無論、即返る返答、というのは腸(はらわた)煮え繰りかえった時以外にないというのは余談だが。
「…マックスとは学校のメールのやり取りを何度か」
 へえ、と感心した少年の声が届く。
 まさかそこまでマメだとは思いませんでした。
 隣の少女は、この中で一番背の低い同級生が失礼なことを言っていると感じたが、口には出さなかった。彼女にとって端に陣取る無言の影は、とっつきにくい性格の男子生徒。であれば、わざわざキョウジュの敵に回る必要はない。いけ好かない、とはもう思わなかったが、どうせフォローしたところで恩に感じるどころか、うるさいと目で一喝されるだけだ。
 邪魔者扱いするんだから。(なによ、タカオみたいに)
 冷たい視線を送りながら、唇を軽く突き出す。
 干渉せず、のつもりだったが、自己主張の激しさがついつい出てしまうようだ。ついには業を煮やして、ガラス窓に顔面をくっつけて寝こけているタカオを叩き起こす始末だが。
 先の感想にカイがコメントを付加する。
「アイツが勝手に送ってくるだけだ。返事もしないのに写真だなんだと…」
 それは私も経験してました。
 キョウジュのコメントで、カイがどのような境遇に陥っていたか理解してもらえたことを認めて、愚痴まじりになっていた口調を改める。家族の仲睦まじい光景だったり、地元のカワイコちゃんとのツーショットだったり。明確にNOと言わない限り、延々それらを送り続けるのだ。かのアメリカの”仲間”は。
 それに対してご丁寧に逐一返信を書いていたのがキョウジュ。見るだけは見て音沙汰なく過ごしたのがカイ。いい度胸だというより、送られる写真を見て感想を述べ立てるのは骨が要ったと実感する少年は、それ以上は言及しない。むしろ、お疲れさまの心持ち。
「で、レイとはどうしてましたか?」
 無言。
 返答なし、ではなく、黙考しているに近い。
「名無しのごんべえからは何通か手紙が来たな」
 名無し…。
 カイの台詞を口の中で反芻し、キョウジュが表情を固まらせる。
 追い討ちをかけるように、じろり、と尖った視線が向けられた。
「アイツに俺の家の住所を教えたのは貴様だろう」
 ぶんぶんぶん、と思いきり良く頭を振る。反動が大きすぎて眩暈を起こしたが、ずり落ちる眼鏡にも構わず必死の釈明。
「私は違います。き、き、きっと大転寺快調です。きっと、そうです」
 きっととか多分とか、不確定詞がつくのは疑い深いことこの上ない。
「会長、の文字が違うぞ…」
 無慈悲なツッコミを受けつつ、少年は何とか話をごまかそうと試みた。
「でででも、差出人の名前を書かないなんて、レイも無作法ですね」
 それにこちらには事件があるまで、一通だって連絡を寄越さなかったのに。
 言わんとする皮肉を読みとって、ふん、とカイは鼻を鳴らした。
「知るか」
 それに、と続く。
「奴の文には平仮名がない」
 つまり、原文。
 白文、と書いて『はくぶん』。漢詩のような、というか、まんま中国語ということか。日本人のまだ子どもを相手に、いきなり外国語で愛を語ろうというのは間違いですよ。と思ったことは即否定。
「色々、感極まっていたんでしょうね…」
 中国出身の元チームメイトが、日本語の読みはできても書くことはどうだったかということを思い出しながら、思わず本音が漏れる。何カ国語を駆使できても根本的な語学力が備わっていなければ、まさに子どもの火遊び。ここぞというときには能力を発揮しない。いや、できない。
「では、やはり返事は」
「するか」
 吐き捨てた言葉には、侮蔑がありありと篭っていた。
 有り余る好意を詰めまくった手紙を、不可抗力とはいえ無碍にされていたどころか邪険にされていたと知ったら、当人はどんな顔をするのだろう。
 寛容が虎の皮を着て歩いている、と評していい中華四千年の友人は、果たして。
 これはカイにも我々にも、楽しい再会となりそうですね。
 たはは、と早起きした眠い目を擦りながら、着々と諸外国からの飛行機が到着する、まだ晴れている青い空を見上げた。

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