■ Beyblade ■

雑文 ■

 最近、寝起きが最悪だ。
 朝、常に寝苦しさで意識を強制的に覚醒させられる。今までなら、こんなことはなかった。そう、自分の部屋で、寄宿舎とはいえ同居人もなく、割と自由気ままに過ごせたはずが。木ノ宮家に寝泊りするようになってからだ。
 苦しい。
 息が詰まるような感覚に捉われて目を開ける。それこそ、強制的に。
 最悪と言ってもいい覚醒の仕方。いや、何が悪いといって、この、今の状況が、だ。
「…………」
 覚醒後からいきなりさわやかな笑み満面な奴などいない。寝ている間もしかめっ面になっているらしい自分の面は、恐らくものすごい形相になっていることだろう。言われいでもわかっている。自覚はある。だが、一体誰が自分を責められる?
 この状況。
 勇気のある者はその弁明をしてみるといい。もし、この硬直した怒面を少しでも柔和にできる自信があるなら。
「………いつまでそうしている」
 思い切りドスの利いた掠れた声で周囲に群がった人物たちを牽制する。
 第一声で反応があったのが黄色い頭のぽわぽわ毛。億劫そうに眠たい眼を手の甲で擦りながら身を起こした。ぼやけた碧い視界の中で、床に張り付けられたままの友人が不機嫌極まりない状況であることに気がついたらしい。
 一瞬何があったのか判断しかね、傾げた首が往復する短い時間のうちに事を理解し、あ、と小さく口を開ける。
 唇から漏れたのは、端的だったが心底実感のこもった『sorry』。
 再会後、英語と日本語が混合した言葉遣いを改めたそうだが(本人は言葉を濁したが尊敬する母親に注意されたらしい)思わず母国語が口を吐く。それくらいしてくれれば、理不尽ともいえない怒りも少しは和らぐものだ。
「おまえらしくないぞ、マックス」
 寝相の悪さは、他の二人ならばいざ知らず。
 言外にそう皮肉を込めて言い放てば、ぼりぼりと後頭部をかいて見せた。まだ充分に意識がはっきりとしていないらしいことは、傍目にもよくわかる。そんなに遅くまでベイの練習に励んでいたわけではなかったが、ここ数日の疲れが溜まってきているようだった。
 共に暮らすようになってから1年前よりもこれまで以上に両親になついているらしい手前、ホームシックにかかるのではと懸念されていたが、今のところその風潮はない。ないらしかったが、ここ最近はそうでもなくなってきてきたと言えなくもない。最初はおとなしかった寝相が、隣のカイの場所にまでお邪魔するくらいになったのだから。それが単に他人の温もりを求めて、なのか目に見えない引力なのか、本人にもわからないところだろうが。
「ううん、おかしいよね。わかってるんだけど」
 言葉遣いが幼稚に戻っている節から、自分に対する自信のなさが窺い知れる。むしろ、こちらの方が疑問なのだ。なぜゆえに人の領地を侵す必要性が『両親恋し』の思いから生じてくるのか。
「そろそろ母親が恋しくなったのか?」
 揶揄ではなく、案じていることを率直に表情に滲ませて言葉にすれば、少年は一瞬目を見開いてすぐさま破顔した。BBAチームの中で最も、否。唯一まともな会話ができる間柄なだけに、意思の疎通は並の上。
 マックスは仲間を気遣う質であるために、自分のことで彼らの心を煩わせるのが憚られるらしい。そのあたりは、米国の母親の血は受け継いでいないようだ。
「カイに心配かけるなんて情けない。大丈夫、明日は同じことはしないように努めるよ」
 前向きな回答。
 であれば、それ以上責めることはできない。無論、マックスに限って悪意あってのことでないことは承知している。単なる一時的なことならば、いちいち目くじらを立てるのは時間と体力の無駄だ。
「辛かったら遠慮なく家に帰れ」
 多少冷たくとも、それくらいしても良かろうという意思がカイにはあった。何せ八百長ともいえる足の怪我で1週間も入院したというどこかの誰かの良い例がある。本来なら悪い例だが、それならマックスが何日か米国の父母の元へ帰ったとしても文句は言えまい。
 チャーター便くらいこちらで用意してやろうかとの気さえある。カイを知る者から見れば、常に仏頂面で他人に興味を持たない少年がどこか病気にでもかかったのかと疑いそうなほどの大盤振る舞いのようだが、どうせ会社から一日一回は社員が外国に出かけているのだから、一緒にチケットを取っても良いだろうとくらいにしか考えていなかった。無論、会計上には問題があるだろうが、そんなものは簿記の上で如何様にも誤魔化しが利く。
 端から問題に対して善処することに些かのためらいもない。
 会社が駄目なら大転寺会長のコネを使うという手もある。だが、人の好いマックスはそれを承諾しないのだろう。父母に会いたいと思いながら、電話で話ができるだけまだマシだと困ったように苦笑して。
 甘いな、と思う。
 自分には、焦がれるだけの感慨を伴わせるような存在がいない。離れていて寂しいだとか、会わないことが不自然と感じる対象が。どれも一線を隔して、誰も”身内”ではない。そうならないように避けてきたのは確かに自身だろうが、その非を自覚するにはまだ幼さが邪魔をする。
 責任を他に押し付けるのは、受け入れる器が成熟していないからだ。あらゆることを理解し、取り込むには、抵抗しようとする『意地』がある。何に対しての面目を守ろうとしているのかはわからないが、このまま言いなりになるのだけは悔しいと感じていた。だから、大人たちの敷いたレールの上を歩いていこうとは思わない。受け入れる大器が自身に身についたとしても、きっと違う道を行く。
 従うことが性に合わないならば切り拓く。
 そうすることが、多分自分という人間にとっての良策なのだ。
「でも、他の二人は相変わらずだなあ」
 嘆息とともに、マックスが肩をすくめる。
 先ほどまで自分がいたところと正反対の場所にレイ。
 頭上にタカオ。
 さながら、カイは城壁に守られたキングといった感じだ。
 例えは悪くない。お姫さまというには、この状況に憤った『囲まれ者』の眉間の皺が深すぎる。こんな厳ついご面相のお姫さまもないものだ。
 マックスはここ数日間だけだったが、今なお夢のしじまを漂っている二人に関してはもはや常習。絶対意図的だと決め付けはしないが、でなければ病気の類かと疑ってしまう。あるいは”習性”か。
 どちらにせよ、尋常なことではない。
「タカオ、いい加減にしないとカイが起きられないぞ」
 見るに見かねて枕元で逆大の字になって、カイの枕をほぼ占領したまま大いびきをかいている友人に声をかける。一緒に肩を揺すっているのだがまったく意にも介さない。熟睡しまくっているのか、てこでも動かないタカオはまさに健康優良児の鑑と言えた。
 一方。
「………肩がしびれた…」
 右脇からまるで体を抱くようにしてカイの上に覆いかぶさっている白いもの。
 寝ているときは髪を結っていないので、黒ずんだ木目のそこら辺に黒いものが所狭しと羽を広げている。足の踏み場もない、というかはっきり言うと汚い。木ノ宮家の道場は、毎朝雑巾がけをして清潔を保っていたが、床に髪、という状況は決して衛生的ではない。それが自分の布団を侵してきているのなら、カイでなくとも青筋の一本や二本は浮かびそうなものだ。
 当人は髪を洗えば済むと考えるだろうが、他人にとってはいい迷惑。
 人一人分の重さを受けて、カイが息苦しさを主張する。いい季節なのだから密着するのはいい加減暑い。まるで人いきれの中で寝ているようなものだ。マックスは少年の胸中を察して、ひっついたままのレイの体を引き剥がしにかかった。覆いかぶさる肩を横に倒そうと手を伸ばしたところで、いきなり虎が身じろぎした。
「……………」
 鬱蒼とした物腰のまま、金目が開かれる。
 素人でなくとも、それが敵を知覚してのことだと知れるほどレイの機嫌は良くはないようだった。表現するなら野生児、というか、野性の虎に触れたような反応だった。うそだろ、とマックスがその豹変振りに息を呑む。
 無言のままレイは相手を睨み据え、ぐるぐると威嚇の音を放つ。ごくり、と睨めつけられた側の喉が鳴り、次いで小気味良い平手打ちが天井にこだました。正確には、”掌抵”。
 下からというポジションで放つにはあまり威力は期待できないが、突き上げた手の一番硬い部分がレイの顎を強打した。
「何を勘違いしてやがる」
 見るに見かねたカイの適切な処置。言いかえれば堪忍袋の切れた音だったのかもしれない。
 瞬間、きょとんと虎の目が丸くなる。どうやら正気に戻ったらしい。顎が少し赤くなり、続いてカイが自由になった身を起こす。マックスは緊張の糸がほぐれたのか、その場にへたり込んでしまった。
「寝覚めに殴るなんてひどすぎる」
 虎はかすかにひりひりするらしいおとがいを撫でながら、不平を隣に上体を起こしたばかりの少年に訴えた。自業自得だ、と視線を合わせずに答えが返る。
「俺が何をしたっていうんだ?」
 突然食らわされた打撃が承服しかねるのはわかるが、今までの状況を見てきた者たちには効力がないことは一目瞭然。マックスは、はは、と苦笑を繰り返すだけだった。カイとてこのまま何事もなかったかのように終わらせるつもりはない。腹に積もった積年の恨み、というか、言いたいことなら山とある。
 なんで寝ている間にこっちに寄ってくるとか。2M近く離れている場所を飛び越えて領地に侵入してくるな、とか。きさまの寝相は悪すぎる、とか。尤もらしい意見の数々。だが、いくら愚劣極まりない罵言を吐いたところで解決策が見出せないことも承知済み。だったら、改善の策を考える。金輪際ごめんだという意思が、根底にあった。
「きさまこそどういう了見で俺の上に乗りたがる。おかしな病気でもあるんじゃないだろうな」
 横目で大きなあくびを繰り返す相手を睨めば、ワンテンポ遅れて反応が返った。
「俺はカイの上に乗ってたか?」
 自覚なし。
 カイは頭の中に広げられた虎との会話のチャートの分岐を横にずれた。本人の意識のないところでこれらの行いをしているのだというなら、それに見合う次の手が用意されている。
「夢遊病のケでもあるのか」
「俺は熟睡するから、そんなに動かないはずだぞ」
 いつも狭いところで寝ているから、とあまり理屈に合っていなさそうな理由が付録でついてくる。ねこは狭いところが好きだ。確かに虎は穴倉が寝床。そうかもしれない、と妥協しかかる。
「だったら俺にくっついてくるのは何故だと思う」
 う〜ん、と腕を組んで考え込む。ところどころで頭の短い毛がその他大勢の流れに逆らってぴょんぴょん跳ねているのだが、深刻な状況に笑う者はない。
「きっとカイのせいだ」
 いきなり顔を上げたと思ったら、あっけらかんと言い放つ。傍聴していた約1名は思わず顔面の相好に大きな雪崩が起きたのがわかった。言うに事欠いて、今度は相手の責任とは。突如矢面に立たされたカイは閉口。次の台詞が出てくるまで大分時間が要った。ここで激昂しては話が前進しない。また同じところで終わってしまう。
「なぜそう言える…」
 やっとの思いで平静を装った普段の声音がその唇から漏れる。カイも同世代に比べれば、幾分人ができている。時の流れが成長を促したのだろう、と思うのだが、声がわずかながらに震えているのは抑えられない怒りのためか。
「カイが俺を、カイの側に行かせたくさせているのさ」
 これを何といったのだろう。遠近法、ではなく、演繹でもなく婉曲でもない。歪曲、というのかもしれなかったが。要は、罪のお仕着せか。単なるお門違いというのか。いずれにせよ、普通にはない思考回路だ。そんなことを今更論議しても仕方ないとその場を譲り、混ぜ返す。
「きさまが自発的に、じゃないのか」
 相手に問われ、レイはもう一度小さく唸った。考え込んでいるようで、その実あまり思考とは縁がないと人はいう。
 まさにそのとおりで。
「そうかもしれないが、カイにも責任の一端はあると思う」
 いけしゃあしゃあと。
 再び閉口したカイによってこれ以上の御託はたくさんだと、議論は呆気なく打ち切られた。まったく、宇宙を相手にしているかと思えるほど意思の疎通というものがない。というか、理解し合えない互いの持つ論理。どちらが正しいのではなく、間違ってはいないのだろうが通じ合うところはない感性だろうか。そうして問題は正面から疑問をぶつけ合うことを放棄して、また後日残していた火種を爆発させることになるのだ。目に見える光景。
 マックスに言わせれば、それはもう日常茶飯なので取りたてて大きな事変ではないらしい。だが他人から見れば、『飽きもせず』と呆れられることもまた事実であり。木ノ宮のご老体には『仲が良い』と褒められる始末。多分、カイも昔ほど苛立ってはいないと思われる節も多々あるようだが。
 冷たい木の床の上でまだいびきをかき続けるもう一人の仲間を見下ろし、金髪の少年は苦笑せざるを得なかった。
「カイ、待ってくれ」
 さっさと洗面所へ行ってしまった影を追って、虎も白いシャツ姿のまま道場を飛び出していった。またその場で一悶着ありそうだ。

 外からは、老人と朝の挨拶を交わす女の子の元気な声が聞こえる。

Copyright(C) PAPER TIGER(HARIKONOTORA) midoh All Rights Reserved.