■ Beyblade ■

雑文 ■

 そろそろ雨が雪になっても良い気温だ。そう思いながら帰り路を歩く。風は冷たく、面倒臭いというだけでコートを羽織らずにいるのは怠慢だったかもしれない。いい加減寒いのだから、冬支度に変えてもよかったのだろう。ただ、寄宿舎付きの学校から週末だけは家に戻ると言っても、いつもその距離は自家用車で埋められていた。こうして自分の足で道を歩いて帰るなどという機会は今までなかったのだ。外気との接触は車内に移動するほんのわずかの間だけで、それ以外は温かな暖房の中で過ごしていた。いつのまにか慣れていたらしい慣習に、余計な荷物を持ちたくない性癖が働いて、自然と持ち歩く上着を最小限のものに留めていたのだろう。
 昔からあまり厚着が好きではなかったので構わないとは思うのだが、やはり冬に近付きつつある風は空気を存分に冷やして寒い。失敗したと負けを認めるのも癪なので口にはしないが、少なからず後悔の念は無防備に開け放たれた襟元から忍び込むひんやりとした感覚からも強くなりつつある。
 ばちばちと、水が靴底とコンクリートの歩道の間で跳ねる。猫ではないのだから、歩くのに忍び足を決め込む輩も居るまい。ズボンに跳ねるのを見越して、あとで洗濯してアイロンをかけなければならないと思案しつつ、前方をふらふら歩く人影を見る。
 制服のブレザーを着込んでいるとはいえ温かい恰好をしていない自分と同じく、コートを羽織らないまま道の端端で立ち止まってはまた場所を移動する。下を覗きこんで何かを探しているような素振りだ。注視するつもりがなくても、ひっきりなしに同じ行動を繰り返しているのだから、興味がないと言い張ってみても不可抗力というものだろう。まるで馬鹿の一つ覚えだ。実際そうなのだと納得しつつ、傍観を決める。自分がそいつの関係者ではないと主張していれば、往来の人間に誰からも怪しまれることはないはずだ。尤も、前方を行く者が同じくこちらに無視を決め込んでくれていればの話だが。
 果たして祈りは天には通じず、全く逆の願いが叶えられた。
 くるりと踵を返し、上機嫌な歩調で歩み寄ってきた人影の手に吊らされているのは濡れた葉っぱ。見るなり、眉間の溝が深くなる。その変化など気づいた風もなく、振り返った人物は屈託なく語りかけてくる。
「カイ、どうだ。すごく大きいだろう」
 興奮のあまり思わず葉を揺らせる仕草をする。先端からこぼれる泥水が服や靴にかかりそうで、呼ばれた少年は怪訝な顔を一層歪めた。嫌悪を露にしているのだが、どうやら言葉にしなければ通じそうにない。
「これ以上近付いてみろ。腹に蹴りを食らわすぞ」
 両手は荷物でふさがっている。肩にかけたショルダーバッグには学校の道具は入っていない。辛うじて予習用の参考書が一冊入っていたが、物の大半は着替えの類いだ。両脇に下ろされた腕には買い物袋が下がっており、なぜか同行している少年は手ぶらでカイだけが荷物を持っていた。それに不服を申し立てたいわけではないが、荷物持ちをやらないのならせめて静かに歩いていてくれと念じていたのは相手に通じなかったらしい。だったらこれを全部持たせれば良かったと思わなくもないのだが、他人からの『頼まれ事』であったため無碍にすることもできなかった。それが、これから週末を世話になる木ノ宮家の長老からの頼みでなければ、カイとてここまで義理堅くはならない。
「やっと見つけたんだ。少しくらい感動してくれたって良いだろう」
 何を見つけたと。
 剣呑とした眼差しが一層酷薄に彩られる様を気にした素振りもなく、金李は少年の前で不貞腐れた。
 白い民族衣装を身にまとっているのだから、自分に対しても少しは気を使えと言うのは、馬の耳に念仏か。アスファルトの上に溜まった泥水がどれほど汚いものか。意識にないのか、それとも眼中にないのか。どちらにせよ、無精も過ぎれば害でしかない。傍迷惑を通り越して有害だ。実直且つ総論的な内心など意にも介さず、レイなる中国から来た少年は機嫌を幾分損ねたように唇を突き出した。
「そこらへんに沢山落ちていたけど、これが一番大きくて、破れ目も穴もないきれいなやつだったんだ」
 だから、カイにも見てほしくて。
 胡乱そうな目付きで、吐かれた台詞を聞き終えたカイは本気で目の前のチーム・メイトが馬鹿だと思った。地面に落ちた落ち葉を拾って見せびらかすなど、10を越えた子どもがやるようなことか。しかも引いた後とはいえ雨の中、汚れも構わず拾ってきてまで人に見せる。そんなものはただのゴミだ。さっさと捨ててしまえ。さもなくば目の前で燃やしてやろうかとすら考える。実際、燃やすとなれば葉が湿っているために繊維とはいえくすんだ煙を出すだけだろうが。
「貴様は最低だ」
 辛うじて、叱咤するだけに留める。このまま殴って目を覚まさせてやろうかとも考えたが、両手がふさがっているのでは地面に荷物を置いてからでないと実行不能だ。しかも、濡れた地面になど汚くて人の買い物袋を置けるものか。これらを見越しての所業だというなら褒め称えてやらないでもないが、行き当たりばったりだというのは言われなくても察しがつく。大体、浮き足立っていたということは、学校の終業時刻に門前で顔を見合わせたときから見当がついていた。わざわざ迎えなど必要はないのに木ノ宮の屋敷から出向いてきたと知ったときは、微笑ましく見送っただろう家の連中に余計なことをしてくれたとつくづく思ったものだ。今もそれは変わらない。何の仕事もせずにただいるだけならば邪魔者でしかない。自覚がないだけ、カイの苛立ちは最高潮に達していた。
 苦虫を噛み潰して吐き出すような低い声音に、驚いたように金色の双眼が見開かれた。気圧されるということを知らない眼は、純粋に驚愕を示している。悪意に対して、謝罪よりも驚きを覚える性格には正直虫唾が走った。馬が合わないというよりも、気が合わないとでもいうべきなのだろう。個が個を識別するに用いられる許せない価値観の範疇に、どうやら相手は納まっているらしかった。
「怒ったのか、カイ」
 ゆえに、茫洋とした問いかけも憤りを増すだけの代物だった。
「『怒っている』んだ、バカヤロウ」
 見下すような視線と、憎しみすらある侮蔑の眼差し。晒された当人は一瞬言葉もなく口を噤んだ。今ごろになって自身を顧みて反省したところで遅い。ち、と鋭く舌打ちし、カイは歩を再開した。幾分足早に通り過ぎる。追いすがる気配がないことを肌で感じながら、冷たい風から早く遠ざけられたいと思った。
「牙族の村には落葉樹がないんだ」
 背後から、ぽつりぽつりと言葉が投げかけられる。
「だから、こんなに大きな、色のついた葉を見るのは初めてで」
「だから、カイにも見てほしかった」

 ぴたり、と動きが止まる。風は相変わらず冷え冷えとして四肢から体温を徐々に奪ってゆく。いつまでも長居をするのは得策ではなかった。『だから』。
「さっさと行くぞ」
 途端、足から水が跳ねる音がした。

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