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無題008

 悪夢ばかりじゃないさ。誰がそういったのだろう。確かにそうだと思う心と、嘲りを含んだ調子で言ってろとほざく気持ちがある。言ったのはたしか、おのれと一対のような極彩色の兄弟。
 常に身近にあって、側にあって、近くにいた。気にしたことがなかったなどと、空々しいことはこの際抜きだ。俺は知っている。どれだけあいつに甘えたか。許したか。堪えきれなかったか。
 指先で捉えたものを上下に扱き口腔に含む。濡れた音と、卑猥な構図が一層夜の闇に引き立つようで背徳的だ。だが、微塵もそうは思わない。互いに急所をさらし、熱を加速させる。これが汚れた行為なら、世界の誰もが汚れていることになる。
「早いな」
 口元から雫を滴らせる脈打つ鼓動を放し、ぼつりと呟く。股間から頭を上げて、李がうらめしそうに上気した顔を覗かせた。
「カイが巧すぎるんだよ」
 嫌味か、と思う。別に好んで達者になったわけじゃない。それに、覚えたてということもあるだろう。李が弱いというわけじゃない。
「でもカイも感じてる、な」
 手を添えたものに吐息がかかる。それだけでぞくりとする。甘美なものだ。自分には永遠縁のなかったもの。上気しているのは、相手の頬だけではない。
「構造、だろうが」
 素っ気なく返しても、弾む呼吸は整わない。流される。同時に尤も敏感な内部をなぶられては、抵抗する気にもならない。腰が浮く。喉が反り、知らず相手から下肢を遠ざけようとする。
 逃げるな、と囁かれる。どこに。集音機じゃないんだぞ。
「俺もおまえを良くしたい」
 言わなくてももう充分だ。ぎこちない手つきや舌先の感触に、予測できない快楽を誘発されてこっちは対処に必死だと言うのに。無論、そんなことは言葉にはしない。馬鹿正直にのたまったところで、何の得がある。
「レイ…!」
 捉えられた蛇の頭よろしく。下半身の一点を押さえてただ煽るだけの代物に業を煮やし、早く解放するようまくしたてる。欲しいのは、そこだけれどそこじゃない。

 思えば強いられるたび、瞼の裏に映したのは誰の姿だったろう。俺を残して逝った者、影すらもナリを潜めた静かなる者。複数の荒い呼吸や汗にまみれ、屈辱の汚泥の中をはいずりまわされた日々。地獄だった。もし、その地獄絵図とやらを実際生きながら目の当たりにしたことがあったらの話だが。
 ようやく嵐が去った暗い牢獄の中、冷えきる身体を温めるように。こみ上げる怒りと涙を紛らわすように、ぎゅ、と握った拳に歯を立てて凌いだ。ガキにできることなどその程度で、泣き叫ぶことは三日もすれば忘れる。した覚えはなかったが、人形ではあるまいししなかったわけはないだろう。
 そこにあいつが現れた。
 遠く、窓の外。蒼い夜を狩るように、月光に照らし出された塀や屋根を駆けずり回っていた子どもが突如内に入ってきた。冷えきった外の空気をまとった明るい赤毛と氷柱のようなアイスブルー。
 あとになって誰かから聞かされた名は、ユーリ・イヴァノーフ。
 氷神の寵児。
 何を泣いているのかとあいつは聞いた。錠が施されているはずの重い扉から姿を現して。となりに佇むのは白い銀狼。人間の子どもに従えられていることに違和感を感じる。猛獣だ。おとなしく主に付き従い、地面に足を折っているが、まともな神経の者なら悲鳴の一つは上げている。
 再度問われる。線が細く、鋭く、鋭利な刃物のような子どもが小さな口を開く。そんなに泣かれていては、折角の夜が楽しくなくなると。咎めているのではなく、淡々としておおよそ抑揚がない。表面と同じ、感情を映さない能面の声。
 驚きなど通り越して、持ち前の気の強さだけが表に出た。救世主かなど都合の良いことなど思いもしない。歳の大して違わない相手を、間違ってもそんなものと見誤らないだけの正気はある。打ちひしがれた肉体に宿る無け無しのプライドが理性をまだ生かしていた。
 突っぱねられた問いかけを気にもせず、のこのこと領地に侵入を果たす。一歩一歩、綺麗だが野性を感じさせる獣とともに近づいてくる様を見守る。どうせ手足は動かない。ちぢこまった四肢に立ちあがる気力すらなかった。鼻が利くだろう。部屋に充満する濃度の濃い悪臭にも眉一つ潜めず、距離を詰める。
「名前は」
 促されるまま答える。短く。カイ。口中で復唱し、良い名前だと言った。多少発音しづらかったらしいが何度か舌先で転がしているうちに慣れたらしい。自分のことは名乗らず、気にしていると目論みを付けた傍らの従者について語り出した。狼の名前はウルボーグ。シベリアオオカミだと説明した。瞬き一つせず凝視してくる瞳は、ユーリと同じ冷たい青。それは無言で主と囚人のやりとりを見守っている。
「俺の兄弟だ」
 関係を簡潔に評す。空言かと思ったが、真摯な表情に胸を打たれる。否定しなかった人間を良しと評価したのか、隣の石畳の上にユーリは腰を下ろしてしまった。冷たいだろうが、気にした風もない。おかしな、というより、冷気など微塵も感じないといった面構えだった。ウルボーグも倣うように眼前で膝を折る。複数のおのれ以外の体温を感じることで、凍てつくものが和らいだ気さえした。
 そしてその夜から、夜はただ冷たいだけの牢獄ではなくなった。変わらず暇な連中が安眠を妨げに現れたりしたが、その後には必ずと言っていいほどユーリと奴の兄弟が姿を見せた。とりたてて咎めることも異を唱えることもせず、ともに時を過ごす。埒もあかない独り言のようなものをぽつりぽつりと吐き出して。他の人間が聞けば、会話という成立を見ない”ままごと”以下の代物だろう。それでもいい。何者でも良い。悪魔であってさえも、連中に比べれば随分と優しい時間を俺にくれた。時折疲れて眠ってしまうその身体を、二つのぬくもりがそっと抱きしめていてくれたことを覚えている。




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