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駄話 ■

「何なのだ、カミュー」
 本人にその気はないのだろうが、聞きなれない者ならば相手が機嫌が悪いとしか思えないような、低い声音が飛んだ。悪びれる様子もなく聞き流すのは、執務室の机の前で、本来あるべきではない向かいの位置に椅子を引っ張ってきた来訪者。
 その椅子も、自分の仕事部屋から持ってきたのだから、どういうつもりかと問うのが尋常だろう。言葉のニュアンス的には、頭は大丈夫か?と訝かしんでいる節もある。
「宿題を頼まれてね」
 がりがりと、書類に埋まった机の端にわずかの隙間を見つけてペンを走らせる。しかしさすがに居心地が悪いのか、目の前の紙の束をせっせと片付け始めた。
 それを見咎めた部屋の主がおい、と顔を強張らせる。
「邪魔をするな。それはまだ処理中だ」
「鈍間」
 一瞬、同室していた従騎士も目を剥いた。自分の上司へのいきなりの罵言。引きつった、といった方が相応だったかもしれない。しかし、ここで自分が怒っても差し出がましいだろうと口を硬く引き結ぶ。忍耐が強くなければ、彼らと場を同じくすることなど不可能だったろう。
「誉め言葉か?」
 憤然というわけではなく、青い長衣の青年は返す。自身の愛剣を差してのユーモアだったのが、二人の仲が気心の知れたものであることを意味していた。大体、友人の間での軽口でいちいち目くじらを立てるのもおかしな話だ。刃傷沙汰にならず、ほっとしたのは後ろに控えていた部下だ。
 自身の非を詫びるでもなく、反応に満足した訪問客は秀麗に整った頬を、若干卑屈に吊り上げた。それが本当に嬉しいときのみに見られる仕草だということも、長年の付き合いから相手は熟知している。
「私のことは気にせず、仕事に専念してくれ」
「そのつもりだ」
 遮るように返答が返ったが、その目は『おまえが邪魔をしさえしなければ』と暗に明言している。
 とはいえ、一向にレポート用紙1枚分の居場所を確保したいのか、除けた書類を戻そうともしない。許容範囲であったのか、あるいは引き下がらないことを予測していたのか、黒髪の青年は短い嘆息とともにそれを許した。
 再び黙々と、ペンが紙の上を走る音だけが聞こえる。

 目的の書類を受け取った騎士が部屋から退出すると、おもむろに重たそうな色をした頭が上がった。
「…で、何をしているんだ?」
 尋ねたのは年若い青の団長。気を使う必要のある人物が去ったのを確認してから口を開くのは、彼なりのけじめである。
 そして、それを当然予測して受けたのは、年齢の割に雰囲気が老成している炎の化身。
「私設の学び舎に入った息子が昨日、自分の友達を観察して作文にしろという授業を受けたそうだ」
 息子、と言っても、もちろん目の前の男に子どもはいない。
「けれど時間が足りず、学校も終わり、それで宿題にして持たされた」
 だから自分がやっているのさ、とまるで感慨もないような口調で言ってのけると、話している方向に視線を合わせることなく、また紙面に没入する。
 一般に社交的と目されているが、集中するものを見つけるとあまり愛想がなくなるというのは、身近に接するごく数名の者しか知らないことだ。行動の動機がおおよそわかったものの、どうして、という疑念はまだわずかに晴れない。
 言わんとする先を制して、美声が飛ぶ。
「息子は友達がいないらしい。どうだ、同情の余地ありだろう?」
 そこでようやく顔面が向けられる。目線に獰猛さはないが、言葉の調子はどこか皮肉を含んでいる。そういえば、昔から友人のいない奴だったということを思い出し、青い主は急に押し黙った。
 カミューの言った同情とは、まさしく字面の通りなのだろうが、憐憫という気持ちとは同じではないように思える。少年の時代というのは、様様な人間と会って自身の在り方や考え方も千変万化するのだから、友人がいない、というのは一時のことだと踏んでいるからだろう。現に、というと、あまりに自惚れが過ぎただろうか。
「だから代わりに引き受けたのか」
 肩を竦めて肯定する。そんなものは、夏休みの自由工作を親に頼んで代わりにやってもらうようなものだ。卑怯、とは言わないが、情けないという感に耐えない。しかも、三軍の一つを統率する赤の団長が請け負う仕事ではない。
「期限は?」
「明朝」
 またしても嘆息が漏れそうになったが、寸でのところでぐっと堪える。ため息を見咎められて、早く結婚しろと催促する者が増えた昨今だ。つまり、そういう年代だということに他ならないわけだが。
 けれど、大事な役目を預かっている人間に身を固めろと言うのはお決まりの文句だが、言われる側にとっては結婚の二文字はどうにも煩わしいものでしかない。それよりも他にやることがあるだろう、と責任者としては思うのだ。
 眼前にあるのは、今日の分の『仕事』。そして、勝手に引き受けた宿題をわざわざ他人の執務室でやろうという図々しい『友人』。いや、この場合、友達甲斐のある、と評した方がカミューの尊厳を損なわずに済むだろうか。
「よし、俺も手伝おう」
 ざ、と机の上に散らばった紙切れを横脇に避け、白い無地の用紙を引き出しの中から取り出す。一瞬目を見開いて、それからカミューは承諾した。
「では良く書けている方を息子の宿題として持たせてやろう」



 偶然という奴かもしれなかったが、書き終わったのはほぼ同時だった。その間、どちらも言葉を交わさず、喉を潤すために棚に備えられた水の入った瓶にも手を触れなかった。没頭していた、というよりは真剣勝負に取り組むが如く集中していたのだろう。書き上げた文面を再度読み返して、よし、と小さく、出来を確認する。こんなところで誤字が見つかっては、減点の対象にしかならない。宿題を教師に提出する『息子』のためではなく、つまりは、この勝負事の。
「自信の程は?」
 尋ねられ、不敵に笑う。
「吠え面をかくな、と言ったところだ」
 短く口笛を鳴らし、赤の上着を着込んだ男が感嘆の声を上げる。
「生徒の宿題がまさか青の団長の作品だと知ったら、女性の先生であれば即満点を出すだろうね」
 嘯く姿を白々しく眺める。
「それはこっちの台詞だ」
 互いに苦笑し合い、そして手にしていた用紙を交換する。字数の制限はなかったが、1枚に収められたようだ。
 性格がよく現れたような字を黙々と読んで行き、同時に呟いたのは端的な感想だった。
「カミュー。この、土の中で育つ珍重な茸のような瞳、というのはなんだ」
「マイクロトフ。私の髪の色は作って三日目の麦茶のようかい」
 この場合、食って掛かっても良いものか悩みつつ、それでも紙面に落としていた視線を同じ高さに持ち上げる。
 見合わせた視界に浮かんだのは、何とも言えない不可解な表情。誉めているのか、けなしているのか。それとも、味わいぶかい表現だと評すべきなのか。
「しかも、じめじめといつまでも乾くことのない山奥に生えた大木の枝ような肢体というのも…」
「どんな頑なな相手だろうとローストビーフにしてしまう性格、というのは、つまり、どういうことなんだい?」
 確認したのは、自分たちには純粋に詩心がないということだった。


「私は飽くまで子どもの宿題だから、表現を少し抑えただけだよ。マイクロトフ」
 城の給仕にわざわざトレイに乗せて運んできてもらった食事にフォークを差しながらの答弁。
 片手は行儀悪くペンを握って書類にサインを繰り返している。
 辛うじてその本来の『宿題』を任された部屋の主人だけは、皿の上の肉料理を平らげてから仕事に取り掛かろうと忙しなく赤い塊にナイフを差し入れている。
「俺も誰にでもわかりやすいように身近な題材を扱っただけだが」
 言い訳なら、きっと吐けるだけ出てくるだろう。それでも、共通の認識は言い方を変えてはいたが何ら変化はない。
 好意を持っている、という親しい感情は。
「要するに私にとってマイクロトフは未知の領域の、その上珍しい珍味だということさ」
「食べるな」
 珍味、と聞いてさっと眉間を寄せる。
「だったらマイクロトフも、私を麦茶のようだと言って飲むのはよしてくれ」
 固形と液体の例えに、なぜか納得するものを見つけて笑いがこみ上げる。ああ、そうか。そういう例え方もできるのか。
「第三者的な視点から改めて眺めてみるというのも、面白いものだな」
「私は全然面白くないけれどね」
 否定するような言い回しに、戸惑う視線が寄越される。
「マイクロトフの手にかかったら、今まで培ってきた品位が損なわれるような気がするからね」
 何しろ形容に使われる題材が素朴すぎる。つまりはボキャブラリーが貧困だということだが。
「悪かったな。ではどこかの詩人に、おまえを褒め称える歌でも作ってもらうといい」
「冗談」
 にべにもなく取って返す。
「おまえの言葉だから良いのさ」
 視線に捉えられ、水晶体に映し出されたものが脳を伝って心に移り、嚥下される。それが再びその人間の内面を表すように、内に備わっている部品を得て、口にされる。
 まるで一瞬でも、その人間のすべてを掌握したような気分に浸れるものだ、といえば不謹慎だったろうか。
「マイクロトフらしいよ」
 ふいに口元を抑えて目を逸らせた頬は、束の間桜色を帯びて、見ていた者を喜ばせた。





「で、その赤騎士の息子の宿題はどうなったのだ」
「友達がいないから近所の猫を観察して作文にしたそうだ」
 結局自分たちが苦心して書いたものは没だったか、と黒髪の青年の肩が若干落ちる。
「なあに。出来は秀逸で、特Aをもらったらしい」
 終わり良ければすべて良し。そうか、と気落ちしていた表情が今度はほころぶ。結果が良い方に転んだのなら、無駄に費やした労力も少しは報われると言うものだ。それになにより、他人の手を借りることなく自身でやり遂げることこそが大事なのだと改めて思う。
「だがしかし。逆に困ったことが起きてしまったよ。マイクロトフ」
 扉から入ってきたままずっと、壁に寄りかかって腕組みした視線が険を含んでいることにようやく気がつく。もっと早くに気づけなかったのは、昨夜あれから町に繰り出したのが災いした。明け方まで飲んでいたので、午前中は集中力に欠いた。おかげで、またもや執務室詰めである。
「私たちが書いた作文が赤青両の騎士団に公表された」
 間。
 次の瞬間、どたどたとものすごい轟音が廊下を駈け抜けた。一目散に逃げ…もとい。公表されているだろう場に駆けつけたのは、無論息を切らして肩を怒らせた青の団長。
 そのときの形相たるや、のちのちまで怪談として語り継がれるほど凄まじいものであったとか。
 赤青の団結は永久に不滅だ!と書かれた垂れ幕は取り外され、掲示されていた両団長の直筆の文章もマイクロトフの手によって灰塵に帰した。
 一応、そのときの弁明がコレ。
「同じ軍とはいえ、騎士団同士の癒着は許されん…!!!!!」
 今更過ぎだが、それでも反論する者はなかった。それだけ、言った本人は切羽詰った表情だったとか。
 そしてもう一人の作文作成者は、とりあえず燃やそう、と心に誓うのだった。
 誰を、というのは、神様に問え。

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2002.08.26up