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空の民草の民 ■

 どうにも、理不尽な憤りのようなものがある。
 親しい者もなく、この気持ちの昂ぶりをぶつける相手のいないことに苛立ちを感じていた。
 寝転がっているときに思い当たった不明瞭な感情の起伏に名前をつけられないまま、夜中に自室を出る。
 就寝している部屋は、滞在して1ヶ月を過ぎた現在、すでに大使館の客室ではない。マイクロトフをカマロ自由騎士団領の仮の領民と認め、彼自身が家賃を払って住んでいる借部屋だ。領内でも割と中心部にある宿の二階の一室を借りているのだが、それにも理由がある。
 他国出身者である青年がこの地で仕事として請け負っているのが、まだ騎士見習いにもならない学童の剣術指南だ。時によっては自ら教壇に立ち、弁舌を振るうこともある。頼まれ事には労力を惜しまない彼らしく、要請があればどこへでもすぐに飛んでくるので、領内で認可を得て学問所を経営する学術者の間ではかなり珍重されていた。
 だが、正規の契約で雇われているわけではない。ゆえに他の、中心部から離れたここより見劣りする私設の学校から講師を依頼されても、その仕事を請ける請けないはマイクロトフ自身が決められるはずだった。
 人柄か功績か。本人の口からは正式の場で発言したことはなかったのだが、マチルダ騎士団領で最高指導者的存在にまで上り詰めるかという立場にあったということは、やはり一部の領民には知られている。カミューが彼の所属する騎士団の上層部に紹介するときに、わずかばかり話をしたのかもしれない。いや、それが当然だろう。何の肩書きも背負ったことのない者であれば、友人だと言うだけで事は足りる。一介の剣士だと名乗るのも、身を守る武器を懐の短剣しか持っていない今となっては意味のないものだ。
 マイクロトフ自身も自分の前歴など、故郷から遠い土地であろうとも隠くし遂せるとは思っていない。自身の身の上を偽ることこそ不義とも思う。
 それでも時折、自分が背負った輝かしい過去とやらが、無性に腹立たしく邪魔としか思えないときがあった。
 まさに、今がそれだ。
 頼りにしてくれる者は、一体自分の何に重きを置いて接してくれているのだろう。最近、その判別がつけ難くなっている。
 はあ、と大仰にため息をつき、自室を出て扉を背にする。肩を冷やさないよう薄手の上着を羽織り、寝巻き姿のまま廊下を進む。
 標は決まっている。この角を曲がった先の、宿の裏手にある部屋だ。そこの主とは顔見知り。いや、頻繁に会っていれば顔見知り程度では収まるまい。
 自分がここで部屋を探していると切り出したところ、丁度良い物件がある、と勧めてくれた。理由は詳しくは問わなかったが、とうとうと優しい口調でそこがどれほど有意義且つ地理的経済的条件に当てはまった場所であるかを並べ連ねてくれた。単に自慢したかっただけなのだろうと後から問えば、その通りだと答えが返った。
 自分の住まうところに、無意味なものは何一つないと誇らしげに。
 宿の主人とも古くから付き合いがあったらしく、少年時代には店の手伝いもしていたそうだ。一階は酒場だが、上位階級の有識者らが集まる一種の社交場となっている。時折夫人連れでやって来る者もおり、どこにも椅子のない立ち話しかできない空間であるというのに、常に穏やかな歓談に包まれていた。マイクロトフも幾度か、輪の中に加えてもらったことがある。
 親しくなって久しい友人が、どうして少年の当時からあれほどまでに社交的であるのかと思ったら、なるほどこういうカラクリだったのかと納得できないこともない。この宿屋の息子と称した方が、すんなりと受け入れることができたのではないか。
 カミュー本人も、あまり店には姿を現さない宿屋の老主人には親しい以上の深い敬愛の念を抱いているようだった。どのような間柄なのだろうと問おうとして、師匠だよ、とぽつり呟かれたことも覚えている。恐らく、騎士としての、ではなく、人としての鑑なのだろう、とマイクロトフは解釈した。

 少し、部屋を出てから気分が落ち付いた気がする。
 が、出て来てしまった手前、このまま引き返すのも少々間が抜けていた。そういえば、鍵をかけたかどうかも確認しなかった。それでもなぜか、今だけは引き下がりたくないという気持ちが強かった。
 いつも気を張り詰め過ぎているからだと言われたことがある。だから、ふとした時に身体が息抜きを欲するのだと。今がそれかもしれない。そうだ、と判断を下し、マイクロトフは壁ばかりが続く廊下の、一番端のドアの前に立った。
 室内で休んでいるのだろう者がこの時分に起きているかどうかの確証はなかったが、節くれだった拳で数回木の扉を叩く。分厚く、とても屈強なしつらえのそれは、銅などの金属で作られたものよりも強固な印象だった。むしろ、樹木の少ないこの土地では、それだけに高価なのだろう。
 応答は、とても簡素なものだった。一言、入室を許可する声。名前も告げなかったのに、ノックだけで何者かわかったのだろうか。
 予告もなしにもたらされた不意のおとないを、部屋の主は寝台の上で寝そべりながら迎えた。そろそろ就寝しようかと思っていたのだろう。服の前をくつろげ、すでに靴を脱いでいた。胸の辺りに、薄い小さな冊子が頁を広げられたままうつ伏せに乗っかっている。
 その様から察するに、読書をしているうちに眠くなるだろうと踏んでいたのが、あたりが外れて一冊では済まなくなったに違いない。マイクロトフのように本が好き、と公言することはないのだが、カミューもかなりの読書家である。お互い読むものの趣味が合わないので、それらについて議論することは滅多にないが。
 その口が、相手の調子を尋ねる。不測の事態があったための来訪だというのなら、とうに用件を切り出していると見抜いているのだろう。長い付き合いは、しておくことに越したことはないようだ。
 無言で、扉を閉めて突き進む。ベッドの前で仁王立ちし、腰を下ろしている者を睨み据えた。どうやらお冠らしいのは入ってきたときからわかっていたのだろう。カミューはわざとらしく肩を竦めた。
「夜這いをするにしては険悪過ぎるね、マイクロトフ」
 これが逆の『夜伽』であったなら、もう少し甲斐甲斐しくやってくるはずだから、とはぐらかすように微笑う。絶対にマイクロトフにはあり得ないことを口にする辺り、その性根の据わり様がわかるというものだ。
 まともに会話をすれば、カミューの方が一枚も二枚も上手。そんなことは、とうの昔に心得ている。
「今日はおまえのくだらない話に付き合っている暇はない」
 切り捨てるように宣言する。別段不思議な顔色一つせず、相手は口元に微笑を履くだけだった。試されているのでは、と一方で思うのだが、それがどうした、と挑むような部分の方が強い。カミューの側に言い分があるとすれば、夜半のおとないは次は明日か明後日のはずじゃないかということだろう。だが今更そんな皮肉を述べられても、今となっては聞く耳など持たないが。
 ぎ、と音を立て、寝台の上に膝をつく。二人分の重みに耐えるのは、マイクロトフの知る限りカミューの私室は今日が初めてだろう。室内用の上履きを常の彼にはあらず乱暴に足先で放ると、物は壊さないでくれよ、とのし掛かられた者から要請が上がった。半ば憤然と当たり前だと叫び出しそうになり、き、ときつく眉を吊り上げる。
 様子からして、昼間彼の気に食わないことでもあったのだろうとカミューならばすでに見当をつけているのだろう。なすがままにさせてやりながら、決して視線をはずそうとしない。理不尽な衝動でやってきた人間の、その怒り心頭の表情すら一つ残らず脳裏に刻み付けておきたいとでも言うかのようだ。
 不意に頬が上気するような錯覚を覚えながら、マイクロトフはベッド脇に置かれた燭台の灯りだけを頼りに、暗闇の中手を動かした。
 簡単にはだけられただけだった前をくつろげ、腰の上に跨った体勢でなんとか相手の素肌を外気に晒そうと試みる。片腕では動作が侭ならないばかりか、バランスすら取り難い。自然、重心は広げた両足で取る形になり、体重はすべて二の足にかけられた。不便なことこの上ないのだが、助力を申し出る他人の腕を無造作に振り解いた。
「触るな」
 余計なことはするな、と釘を刺され、束の間の逡巡ののち相手は大人しく引き下がった。どこまでやれるかお手並み拝見、という意図も含まれていたのかもしれない。
 途中まで読んでいた本を枕元に放った以外何もしてくる意思がないことを確かめ、マイクロトフはまず自分の下衣を脱ぎ捨てた。ここに来るまで羽織っていた上着は肩からずり落ちたものの、夜着の上着だけは、うまく脱げないだろう事を見越してそのままにしておいた。
 片手で解くには難物だったが、どうにかして相手のベルトのバックルをはずすと、ふう、と気づかれないよう嘆息する。正直、ここまで尽力しなければならないとは思わなかった。自分とて普段、ただ流されてばかりいたわけではないと自負していたつもりだったが、この体勢は疲れる。もし重心を尻の下に敷いて覆い被さるにしても、片手だけでは自身を支えるだけで何も出来ない。こんなところで不幸が襲ったわが身を呪いたくはなかったが、歯噛みしたい気分にはなる。それがなお一層、苛立ちを募らせた。
 くそ、と内心舌打ちしたまま、腕を伸ばして寝台の脇につく。肘を折って上体を屈ませ、相手の首筋に噛みついた。わずかに息を飲んだように思えた気配は、鼻から抜けた苦笑だったようだ。もし口を開いていたら、嫌味たらしく『かわいいことをするね』などとのたまっていただろう。癪に障るような物言いをされないだけ、まだましだと判断し、唇を開いて舌を這わせる。
 滑らかな肌の上には似つかわしくないような、荒荒しさを刻んだ皮膚。男らしい筋骨の隆起が鮮やかで、その上に所どころ傷痕が乗っている。カミューはこれまで大怪我をしたことはなかったが、軽傷では済まされないものも幾つか経験がある。マイクロトフもいちいち覚えているわけがないのだから、それがどれほどの年輪を刻んできたかなど思いを馳せることもない。舌先で、かすかに鈍い感触を辿りながら、目を閉じる。神経を唇にだけ集中させ、懸命に相手の肌を貪った。
 姿勢が辛くなり始め、顔を上げると視線が合った。
「もう終わり?」
 うるさい、と遮る。
 恐らく、ずっと動きを見張られていたのだろう。まるで獲物を狙う鷹のように、獰猛さを押し殺したまま冷静に刮目し続ける。居心地の悪さはさほど感じないものの、趣味が悪い、とマイクロトフは心中唸った。
 無論、これくらいでは全然満足はしていない。そう主張するように相手の股間に手を伸ばした。無造作に、恥じらいもなく手をかける。剥き出しになった肉の塊に、ためらいもせず顔を寄せた。
 これにはさすがに驚いたようで、カミューが何か言おうと口を開く。それ見たことかとほくそ笑みつつ、マイクロトフは取り合わずわずかに脈打った実を口内へ導いた。
 経験のないことであったために、初めは抵抗のようなものがあるかと思っていたが、知る者のそれだと思えば吐き気すら催さなかった。暑苦しさや息苦しさは接吻のそれと大して変わりはなく、カミュー自身を愛撫することに没頭した。
 口腔に含んだまま、舌を操り満遍なく湿らせる。次第に体積を増す脈動を、湿度の高い粘膜の中から引き抜くと、裏側を根元から上へゆっくりと舐め上げた。手管を教えてくれるような手本があったわけではなかったが、動物に本来備わっている本能のようなものだったのかもしれない。認めた他者を、愛撫する行為というものは。
 そんなことを頭の隅に思い浮かべながら、マイクロトフは自身の性格を表わすかのように丹念に舌を絡め、這わせた。
 身体の下のカミューからは、度々鼻から抜けるような呼吸を感じるだけで、明確な声はない。それでも存分に感覚がそこへ集中しているらしく、掌の中で肉塊が存在を主張した。屹立した部位に手をかけ、先端を強く吸う。淫猥な水音が逞しい容貌を持った青年の口元から放たれているというだけで、底知れぬ淫蕩を感じる。
 先端を穿つように尖らせた先を宛がうと、カミューは前振れなく性急に目的を遂げた。口内の舌の上に、吐き出された白濁の液が溜まる。飲み干さず、マイクロトフは自身の指をそこへ伸ばした。
 長い前髪をかき上げながら、独特の呼吸を繰り返し平静を取り戻そうとしている体の上の、丁度達した部分の真上に腰を移動させる。唾液と粘液が絡みついた指先を、ためらわず後ろから自らの下肢に塗りつけた。徐々に奥深くまで領域を広げ、普段されているような動きで内部をほぐしてゆく。
 前面で膝立ちのまま下半身を露にして情欲を煽る行為を見せつけられ、カミューの男は再び硬さを備え始めていた。上体をわずかに起こし、相手の後ろへ手を伸ばす。絡みついてくるそれを体を揺すって振りほどくと、うるさい、とマイクロトフは言った。
「おまえは、何もするな」
 聞き間違いではないのだろう。呼吸が、幾分荒い。
 マイクロトフ自身も行為の進行とともに熱を欲し、欲求している。好きなようにさせろということは、湧きあがる情欲の強さ表わしているようなものだ。しかめられた顔の、眉間とこめかみに、汗が伝う。
 必要な分だけ居場所を確保すると、そろそろと指を引き抜く。すでに何色とも知覚出来ない液体に汚された部分を、咎められるのも構わずカミューは引き寄せ、口付けた。歯を立て、催促する。早く自分の欲情ももろともにうずめてくれ、と。
 それが合図であったように、マイクロトフの腰が沈んだ。ゆっくりと、深度を自分の身体で測るように注意を払い、体重を下ろしてゆく。左手で直立した部分を支え、被さってくる体積に備える。見上げる表情は、これ以上はないほど恍惚としていた。本当に、他では見せられない。また、見られないだろう。嬉しそうだな、とカミューは口中で呟いた。
 肉体が落ちると、待っていたのは締め上げるような窮屈さだった。先端で一度動きを休止させ、落ちついた頃に再び腰を下ろす。根元まで納めきるにはやはりかなりの修練を必要とするようだった。
 ひきつけを起こすように数回に渡って締め上げられ、カミューは苦痛とも苦笑ともつかない歪みを口元に湛えた。声に出しはしなかったものの、寛容に接するよう努めているのだろう。甘やかされているとの実感が無性に腹立たしかったが、マイクロトフは目を瞑った。もう、相手の内心を測るような、細かいことに気を留めていられる余裕はない。大きく息を吐き、待ち構えていたかのように腰を上下させた。やはり最初は慣れず、動きがぎこちない。コツが飲み込めるようになるまでには数回の往復が必要だった。ようやくリズムを掴んだ頃合を見計らったかのように、カミューが身を起こした。いきなりの予測し得ない動きに、内面も外も大きく動揺する。唇から耐え忍んでいた声音が洩れたのが衝撃の度合いを物語っていた。
 駄目だ、とカミューは言った。
「そんな程度じゃ、全然、満足しない」
 挑発は口先ばかりで、怒張したものがマイクロトフの内部で存在を主張しているのは明白だ。それでも敢えて煽られるように、動きを早める。相手の策の内にはまっているのだろうという実感は、あまりなかった。
 なぜなら、それが、カミューの本音だと直感したからだ。下からも突き上げられ、身体が反れる。腰を掴まれたときには、振りほどくことすら念頭になかった。張りを示すように反りかえった自身の肉欲も揺れに合わせて涙を流す。歯を食いしばっても、肉体の本能には逆らえなかった。
 そうして、唇が寄せられる。汗を流す肌の上をそっとなぞり、耳朶を挟む。電流が流れたかのように身を大きく震わせ、マイクロトフは頭を振った。
 欲しかったものが、目の前にある。身体の下に、内に、奥に。
 感覚と錯覚と幻覚が相乗し、相手の肩に手を伸ばす。引き寄せ、密着し、存分に口腔を蹂躙し合う。
 本領とばかりに全体重をかけて圧し掛かられたときには、すでに意識は飛んでいた。覚えているのは、間断なく上げさせられる喉から洩れる悲鳴と、嗚咽。寝台の軋む音を掻き消すかのような互いの激しい息遣いだけが、耳にも脳裏にも残っていた。






「口添えしてあげようか?マイクロトフ」
 眠りに就く支度を整えた後、なんとか有益な人物を自分の手のうちに引きとめて、あわよくば引き入れようとしている勢力について、カミューは言葉を発した。
 カマロでもそれなりに名の知れた一家の次男坊が口を挟むということは、つまり。正規の契約で講師を請け負っているわけではないと宣言して、自由に領内の学校を渡り歩けるようにしてやろうということだ。
 率直に助かる、とは思いはしたものの、それは交渉だ、とマイクロトフは唸った。
「おまえはもう少し、周りの人間を利用しても良いと思うよ」
 それで罰を受けることがあっても、些細なものだと断言する。こういうときの男は、悪魔を上回るほど不敵だ。恐らく、信じるもののためには神をも欺くことを辞さないのだろう。嫌悪を覚えないのは、カミューが置く信念というものが、非常に人道的であるという理由からだ。そのことに疑いは持たないし、実感という現実が確信を強くしている。
 それに、と告ぐ。
「私は何も無益で利用されるのではないからね」
 何のことだ、と無意識に顔がしかめられる。怪訝を通り越して胡散臭そうな表情を、どこか満足げに見下ろし、微笑う。
「今夜の、おまえが私にしてくれた分くらいの働きはしてあげるよ、ということだよ」
 一瞬、やはり何のことか腑に落ちず憮然とし、そして一気に表面が温度を上げた。首から上の肌全面から火が吹き出なかったのが不思議なくらいだ。
 いきなり湧きあがった激情を言葉に出来ず、おまおまおま、とおかしな単語を繰り返す。何を言わんとしているのか、自分でもわかっているかどうかすらあやしかった。
「交渉というのは、こういうことさ」
 しれっとした態度で、カミューは簡単に言ってのける。どうにもマイクロトフには到達できぬ境地に、この男は立っているらしかった。それも言わば、望むところなのだが。
 だったらそれはそれで『やり返す』手はある。
「では、結果的に不利益をこうむっても構わないと、そう判断して良いんだな」
 不審な表情は、次はカミューの番だった。我が意を得たりとばかりに畳みかける。
「俺がカマロの領内を飛び歩いても良いと解釈した、ということだろう?」
 ふ、と唇の端を歪ませて目を細める。相手の勝ち誇ったような仕草を見下ろし、なるほどね、とこれは素直に受け止めたようだ。
 だが、敵も去る者。
「マイクロトフの言う通り。なったらなったで、そのとき最良の手段を講じるまでだよ」
 布石を置くことも重要だが、裏の裏を読んで、はるか昔から手立てを講じられるよう種を蒔いておく。カミューが幼い頃何をやってきたかなど、過去を知らないマイクロトフが今時点で解せないとしても、それは追々わかることだと。
 そして、堂々と高言した。この土地の領主でもあるまじき調子で。
「ここは如何に広くとも、私の庭だよ。マイクロトフ」
 かつて、おまえにとって”マチルダ”がそうであったように。
 いわば、マイクロトフが各地の要求を飲んで地方を転々とすることがあっても、ちゃっかりついて行くよと宣言されたも同然だった。それは。それも、まあ、望まないところではない、が。
「俺は、別に、おまえに口添えを頼みたくてこの部屋に来たわけじゃない」
 らしくもなく歯切れが悪いのは、すでに負けを喫したことを認めたようなものだ。それでも語調が硬めなのは、いつもの威厳を残しておきたい健気な処置と受け取ろう。
 カミューはそれこそ、嫌味なほど鮮やかに微笑んだ。裏に凄みが隠されていたかどうかなど、すでに動揺しきった思考回路のマイクロトフには判別はつけられなかった。
「もちろん。おまえが謀略を好む輩でないことは百も承知さ」
 微笑は飴で、言葉は恋人を立てようという、なけなしのフォロー。
「それどころか、おまえにも『こんなことが』できるということがわかって、私は誇らしげな気持ちを全世界に伝え歩きたい気分だよ」
 そして鉄槌。いや、神の雷。

 その晩、マイクロトフは慣れない寝台の枕で眠れぬ夜を過ごした。…かどうかは、当人はあまりよく覚えていない。

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2002.10.05up