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駄話 ■

 マチルダでは一月を別名『大雪(だいせつ)』と呼んだ。ちなみに二月は『大寒』だが、言ってみれば字の如し。月の始めは今年は雪が少ないなどとボヤいていた面々も、連日の大雪に常のスケジュールを大幅に狂わされ呑気に季節の諸々を評す暇すらなくなっていた。
 肉体労働専門部隊とあだ名されている青騎士団長とその直属の部下は今日も早朝から城下の除雪に赴いている。一日の約半分を雪跳ねに費やす彼らの執務室はほぼ無人。政務の役回りの大半が必然的に赤騎士団に流れてくることになるのだが、近郊の町から帰ってきた彼らの疲れ切った顔を見れば不平を口にする気も起こらなくなる。単調な仕事は詰まらないと公言して憚らない自分は、相手の執務が回って来ようとも苦にはならないが、マチルダ騎士団の一騎士団がほぼ機能しなくなるような事態は確かに問題だろうと常々考えている。何より一日の元気の素である青い団長に会えないかもしれないという状況が苦痛だ。
 策を弄すより先に、さっさとやる気をもらうため、身体は最短の方法を取った。部屋にいる部下に適当に午前中の指示を与え、外出着を着込み颯爽と城の正門へと向かう。途中、用を問い質す声を幾度もかけられたが、気分転換だと無敵の笑みで返すと誰もが訝しみつつ道を譲った。
 外は今もなお雪が降り続いている。風も大分あり、除雪作業は恐らく困難を極めていると言った風情だ。まさにいつ終わるとも知れないルーチンワークに追われているだろう青い肉体のことを考えると、あの天蓋を満たしている分厚い雲を全部焼き払ってやろうかとすら思う。無論そんな馬鹿げた行為には走らないが、その境というものはいつもあやふやだ。一歩間違えば、というより間違ってやろうかと挑むような気概に近い。要するに、数日間ひっきりなしに続いている青騎士団長不在の慢性的な鬱憤によるところが大きいというわけだ。
 城門が厳かに開かれ、顔面を容赦なく覆った風に見開いたまま眼も筋肉も固まった。いわゆる視界は気持ちゼロ。白銀がきらきらと輝く季節ではなく一面まさに白。どこを繰り抜いてみても雪の欠片が面積の大半を制圧していた。それが空中で留まっているのなら透かして道が見られただろうが、殴りつけるように横移動していては視神経が残像に反応して非常に苦しい。これは確かに無限のループだと思いつつ、朝に除けたばかりの雪が再び足元に降り積もっている様を他人事のように眺めた。
 とにかくここは救助犬の気分。人どころか城や町全体が遭難でもしたかのような様相に雪に埋もれるとはこういうことかと奇妙に合点しつつ、黒いブーツに包まれた足を踏み出した。人影はほぼまばらで、こんな荒れた天気では誰も出歩こうとは思わないのだろう。黙って家で暖を取るのが正しいやり方かもしれない。悪天候の上、深くなった雪に足を取られて思うように距離が進まず既に何度かバランスを崩している。いつものように気取った歩調は無理だと悟り、ずぶずぶと一歩一歩確実に進む方法に転換した。いや、むしろにじり寄る感覚に近いだろうか。こんなに必死になっている様をもし部下の一人にでも見られれば、あんなに真剣な姿は見たことがないと語り草になるだろう。事実カミューは大真面目だった。これ以上はないというほど真摯に、そして情熱的に困難に立ち向かおうとしている。障害が大きければ大きいほどメラメラと闘志が燃え上がる。そんな性分を刺激してやまないほど目の前の目標を遮る悪夢のような今の状況は言うなれば前人未到の域だった。少なくともカミューにとっては。
 前進しているのか雪を踏んでいるだけなのかもわからない心理的に長い道のりの中、つくづく感じたことは雪が交易の品になればどんなに財政の手助けとなるだろうかということだった。恐らくティントあたりに売り出せば喜んで飛びついてくるのではないか。あそこは乾燥した大地が続く鉱山の都市だ。旱魃も稀ではない。雪を元に水を手に入れられるのだとすれば高い金を払っても惜しくはないと思うだろう。それほど、山の男たちは生命の源足る水源に飢えていた。
 対照的に、ロックアックスには専用の雪捨て場が城内と城下を合わせて数箇所ある。左右の門の脇と町の四方と中心に地下が掘られている。ここ数日で夏の水源にもなる捨て場所が、降雪と運び込まれた町中の雪によってほぼ全面積を埋め尽くされつつあるのだそうだ。古くから作ってある室(むろ)は夏の盛りになっても蓄えてあるすべての雪が溶け出すことはない。冷たい地面の中に作られているために急には温度が上昇しないためだ。その雪捨て場が満杯になったときは、そこに収まり切らなかった雪はどうなるのか。当然騎士団総出でロックアックスの外へ運び出さなければならなくなる。既にその可能性が気象士らの報告から耳に入っていた手前そのときの対処法は万全と言えなくもないが、それよりもこの雪が降り止まないことには目的の青騎士団長の元へいつになったら辿り着けるのか知れたものではない。
 除雪部隊を指揮する彼は無論担当の地区と言えば市全体だ。どこにいるかなど決まっているものではない。とにかく青だ。青騎士を一人探せばなんとか足を掴むことができる。知らなくても力づくで吐かせる息込みで前を歩いた。そして、倒れた。
 ああやはり私は雪が苦手だとか何とか呟きつつ、突っ伏した目前の雪を見詰める。白く、結晶すらも明瞭な美しい娘たち。まるでマイクロトフのようだと本気で思いながら、体温を奪って行く吹雪の中で意識を手放した。
 死地の向こうで誰かが呼んでいる声がする。怒鳴っていると言った方が適切だったが、あれは夢にまで見た甘い声音。地面に倒れたために近くの物音を聞き取りやすくなっていたのだろう。がば、と勢い良く頭部だけを上げ、随分積もっていたらしい雪を隅々まで払い落とした。凍死しなかったのが奇跡のようだったがそんなことはどうでも良い。火を身に置く者は同じ炎でなければ死に至らないと言いくるめられている以上こんなことで死ぬとは思っていなかったが、それはどうやら真実であったようだ。素早く視線を巡らせ目的の人物の気配を探る。吹雪は若干風が治まったがために緩やかになっている。そんなことを頭の隅で納得しながら、白い視界の中に青い影がちらりと見えた方向に向かって、無意識に足が進んでいた。我ながら驚くべきことは、何が最も必要であるかということを自身は紛れもなく理解しているということだった。どう見ても目標物だろうと確信したどでかい影に向かって両腕を広げる。後ろから羽交い締めにした形となって捕えた相手はやはり狙った通りの人物だった。しがみつかれ、背の高いもう一人の騎士団長は何事かと真っ黒な目を見開いてきた。
「なんだ、カミュー。行き倒れたのか!?」
 フードも着けず出歩くとは正気の沙汰ではないと声を荒げるマイクロトフ自身も騎士服の上からコートを羽織っただけで、分厚い手袋以外何も身に着けていない。軽装の方が動きやすいと言い張る気持ちもわからないではないが、黒い髪に積もった羽は羽毛と言うには量が多すぎた。どうせ外では払い落としたところで変わらないのだ。雪国の人間が非常に合理的且つ大雑把な理由はそんなところにあるのかもしれない。
 マイクロトフは寒さで何もしゃべれなくなっている男に、近くの家から除雪を手伝ってくれた礼だと言って賄われた乳のスープを差し出してきた。どうやらしばし休憩を取っている最中だったようだ。急には熱いものは飲めないと首を横に振れば、陶器のグラスごと中身を吹き熱を冷ましてくれた。放置してもすぐに冷えるだろうに、そういうこところに気が回らないところも愛嬌だ。むしろベタ惚れだった。
「何か不備があったのか?」
 真っ白な息とともに吐き出される声音に半ば天国へ身を投じながら、アップに映し出される美貌に負けじと笑い返す。やに下がっていると周囲の青騎士たちはツッコみたかったが、さすがにどんなに寒くとも焼け死ぬのは御免だと思ったらしい。
「いや、おまえの顔が見たくてね」
 人知れず殺し文句足り得る言葉を、真正面からマイクロトフはそうかと鵜呑みにした。雪除けという過酷な労働が終わり切らない状況で、他人の言うことをいちいち真に受けていたら時間が勿体無いという、極めて理屈に適ったモノの考え方だった。あるいは真実真面目に受けとめてそう返しているのだとしたら、青団長は骨の隅々まで赤バイキンに染色されていることになる。その恐れの方が明らかに怖かった。可能性はゼロではないだろうが、如何詮相手は雪山の男だ。甘い余韻に浸ることは滅多にない石頭。というか雪に支配された男。
「作業の妨げになるから早く城へ戻れ、カミュー」
 言わんとしていることは仕事をしろ、そしてさせろ、ということなのだが、なぜか意思疎通が公然とまかり通っている騎士団長は連れない態度に不平すら言わない。会いたかった人物を一目見、しかもセクハラまでやり遂せたとあっては文句なしといったところなのだろう。雪の中で溺れ死にしかけていたとは到底思えないような改心の笑みを放ち、カミューはカップを返すと早々に作業場を後にした。ちらりと後方に目をやった先には、剣をスコップに持ち替えて精を出す愛しい人間が映る。仮にこの場で雪に足を取られて沈んだとしても、必ず彼が自分を見つけ出してくれるだろう。そしてまた同じことを言われるのだ。
「行き倒れたのか、カミュー」

 既に毎年恒例となった赤騎士団長ロックアックス市遭難事件数は、例年にない回数で新記録を樹立した。
 どうして除雪した雪を排して作った山の中に埋まっていたのかとか、そんな雪山救助犬すら見つけられないようなところからグラスランド出身の男を掘り出すことができるのかとか。マチルダの赤青騎士団長には人智を越えた噂が常に付きまとっていた。
 知れず騎士団の中では一月は『大赤青』と呼ばれるようになったのも、自然の理と言うに近いものがあった。

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2003.01.31up