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駄話 ■

「なぜカミューは、自分のことを『私』と言うのだ」
 食後の食堂。手ずから煎れた紅茶を挟んでの歓談のとき。ふとした疑問符が小さな唇から発された。
 まるで責めるような口振りだなと頭の端で思いながら、真正面の人物が実直で少し不器用であることを実感する。物の言い方を使い分けられないとでも評せば良いのか、いつもあまり変わり映えのしない口調だ。
 計算の上で表情や声を柔和にしたり硬質にしたりする技巧に長けている人間から見ればそれは甚だ器用でないことの証なのだが、彼の場合良い方向に働いているように思う。裏表のない感情というのは、稚拙だと思いながら信頼に足ることの証明だった。実際、自分よりずっと子ども染みてはいるが。
「だったらなぜおまえは自分を『俺』と称すんだ?」
 そう皮肉を込めて言い返せば、恐らく相手は無遠慮に眉を潜めて口を噤むだろう。敵意を向けられる謂れがないと感じ、完全に怒り出すことはないにしても、心にわずかの棘を残すことになる。
 それは、これからの付き合いのことを考慮に入れると、願い下げな対応だった。発する自身にも、受け取る側にとっても。
「嫌味のある気障な言い方だと思うのかい?」
 少し悲しげな表情を作り、微笑する。
 自分が差し向けた唐突な問いが無礼であったと判じた少年の顔が、かすかに硬直した。礼儀を損なっていたことを陳謝するように、声質が硬くなる。そうではないと相手は主張した。ただ、聞き慣れないものだから、と言い訳が追随する。
「カミューに相応しくないと言っているわけではない」
 信じてほしいと言い張るような独特の語調は、それでも決して威圧的ではない。真摯に物事を伝えようと努めている様が向かう側にも強く伝わる。弁論に置いてこの手の特質というのはいずれ役に立つ。芝居ではなく地だという点が、まさに特長だった。
 ありがとう、と小さく返答すると、誤解を解くことが出来たとの理解を得て、まだ凹凸の目立たない白い顎が引かれた。
 ひとつ年下の同輩は、言うこと為すことすべてが実際の年齢より幼く感じるのに、どこにも引っかかるものがない。無垢であるわけではなく、無鉄砲なきらいも無きにしも非ずだが、恐らくそのすべてが生真面目な性質が起因となっているのだろう。
 素質も性格も悪くはない。ただ、相手を非難するような口調が払拭しきれないのは、やはりどこかで自身との文化の違いに批判的だとの感が拭えないからだ。頭から否定することは非礼だと認識しながら、子ども特有の素直さがまだ全面に押し出されている。これは、本人の意思ではまだどうにも出来ない類いのものだろう。であれば、寛容に接する余裕というものが生まれてくる。
 かといって小馬鹿にするつもりは毛頭ないのだが、違うと拒まれていると、どうしても同じものを相手に返したくなる。性質の中に溶け込んでいる復讐法と言うべきものが、どうにも意地悪く心の底に根を張っているらしい。悪意がないと感じながらも、そうさせてしまうのは向こうにも非があった。
「私が『私』と言うのは要するに、常に理性的であれと自分を戒めているからだよ」
 尤もらしいことを理由に挙げてみる。現実にそうであるかは別として、言葉遣いを丁寧にすることで品位が損なわれることを避けているのは事実だ。
 一つの国との認識よりも、故郷は小さな自治国の集合体だとの意識が強い。自身の身の振り方によって血筋や家族の誇りを汚されることのないよう、最低限の礼節を幼い時分から仕込まれている。ここがグラスランドから遠く離れた北の土地であろうとも、同じ連合の領地であったとしても、カミューの態度に変化はなかっただろう。それを掴まえて相応ではないとか子どもらしくないと不平を挙げ連ねられても、それこそ迷惑千万。
 事実、影で何を囁かれているかは知らないが、そういった考えの相違について疑問を投げかけられることは、ロックアックスでは珍しかった。どうもお上品な風習の良くない部分があるようだ。面と向かって何度も問われるのは正直辟易するかもしれないが、慎み深く後ろの方で話題にされても目障りなことには変わらない。もちろん直接尋ねられた方が、あしらい方に自信のある身としては楽であることには違いはないのだが。
 そう思えば、欲求に対して素直に口を開いてくるマイクロトフの存在はある意味奇異だった。非難する素振りでありながら、疑問を投げかけるのは、理解したいとの思いが根底にあるからだ。人付き合いがあまり巧みではない人物にしては上出来ではなかろうか。あるいは、異国の人間と話をする行為というものに何某かの価値を見出しているのか。
 日頃の勤勉な性向を鑑みれば、その予測は恐らく正しい。
 ひとまず参考になったことを認め、黒髪の少年がソーサーから陶器のカップを掬う。薄くて壊れそうな印象がある。青い花が描かれた縁に口をつける一歩手前で、カミューは言葉をかけた。
「マイクロトフは、ここを出たことがないだろう」
 確信のある問いは、表現の仕方や口調を変えただけで皮肉に変わる。努めてそれらを殺ぎ落とし、優しく問い掛けた。黒い目がわずかに見開かれ、そうだと端的な答えが返った。満足の行く回答を得られ、自然と頬に笑みが浮かんだ。
「だったら、他の国の人間と付き合ってみればわかるのではないかな」
 言い継ぐ間に漆色の瞳が二度瞬いた。
「どんな些細なことであれ、自分の行い一つで故郷がどういう受け止め方をされるかが」
 よくわかるよ、と切る。
 あまり実感が湧かないのか、台詞を受けて相手は押し黙った。見つめてくる視線は逸らされはしないが、頭の中で言われたことを真剣に思考していることが知れた。出来る限り想像力を働かせ、懸命に噛み砕いているのだろう。やがて開かれた小さな唇は、得るべき湿り気を喪失してかすかに乾いていた。
「体面が要求される、ということか?」
 よく出来ました、と軽く顔を縦に動かす。
「騎士でも商人でも、あらゆる人間にはそれが必要とされるというわけさ」
 国民から広く信望を得なければならない立場上、必須であると一言で言い切ってしまえるが、紳士然とした態度は一朝一夕で身につくものではない。心掛けと努力は欠かすことは出来ず、やはり素質のない者は品位を損なわないための『芝居』をしなければならなくなるだろう。騎士団という看板を背負って、その名に恥じない行動を常に戒めねばならない。
 けれど、中にはそれを地でやり遂せる者もいる。それこそが、一族から受け継いだ徳と言っても良かった。マイクロトフはまさにそれだった。
 生まれながらの、と称せば過言だが、逸材であることは今時点でも明らかだった。そして、遜色のない好敵手だとも思える。
 持ち上げていたカップを完全に下ろし、少年はあまり大きくない口元に力を込めている。しかめられた面は、思い悩むというより、難しい知識を知り得た直後の学生のようでもあった。
 つまり、と彼は言った。
「俺を通して、カミューはロックアックスを見ているというわけか」
 自身が相手を介して遠い南の地を見ているように。
 発想がわずかに予測し得ない場所へ飛躍していたことに内心面食らいながら、そういうことになるね、と慌てて付け加える。実際驚いた。騎士としての蘊蓄を披露するつもりだったのだが、解釈がそこまで及ぼうとは思ってもみなかった。ここの土地に住む人間は堅苦しい既存の概念でしか物事を判断できない人種であると思っていたのに、マイクロトフの熟考に人知れず舌を巻いた。
「どのように見えているか、教えてくれ」
 率直な要求に、またしてもカミューは慌てた。今まで散々客観的に相手を観察してきたというのに、それをいきなり口に出して言えと催促され、正直困惑した。
 考えていたことは良いことばかりではない。マイクロトフ同様、自分もかなり批判的にこの国のことを眺めていた。言葉にして聞きたいと言われて、頭の中をそのまま言えるはずもなかった。
 けれど、相手の要請はロックアックス自体の評価ではない。マイクロトフ自身だ。そう解せば、難問を突きつけられたとは思うまい。普段のように、思ったままを発言しても悪くはないはずだ。
「住んでいる人々には信頼が置ける、かな」
 始まりの一言を漏らし、次いで思考が落ち着いた。話法というのは切り出しが肝心だと言われる。自身で納得に足るものが出せたということは、あとは信じるままに発声すれば良い。
「考え方が重厚で、歴史の深さを示しているように思える。それに対する誇りも」
 然り。
「少々異文化に対して理解する懐が狭いように思えるけれど、それも時間が経てば受け入れてもらえるだろう」
 何より、違いを容認しようとする意思がそこには感じられるから。
 途中、カミューは言葉を区切った。言って良いものか悪いものか躊躇ったのだが、マイクロトフが口を挟まないことに気づき、決心がついた。
「ロックアックスの背後にそびえる山は、国民の象徴そのものだと思ったよ。険しいながらも、決して人を拒んでいない」
 そして頂には白い王冠を頂いているのだ。まるで思考が潔癖であることを他に示すように、届かない場所に純白の意思が輝いている。人の足で汚されることも、他者の色に染まることもないと主張するように。
 言い終え、黒い双眸の持ち主の頬がわずかに紅潮しているように感じ、まじまじと見つめる。少々感情移入が強すぎたかと軽く咳払いをし、カミューは卓の向かいの少年に切り替えした。
「私の意見はこれくらいだけれど、逆にそちらはどう見ているのかな?」
 同じ問いの返答を要求すると、今度はマイクロトフ自身が驚いた。見開いたのは目だけではなく、唇も無防備にほどけている。普段の様相からは想像もつかない力弁を目の当たりにし、呆けていたと思えなくもない様子だった。確かに熱演した意識はあったが、故意ではなかったのだからそれほどまでに真剣に耳を傾けてくれなくても良かったのだが。照れくさいのはこちらの方だった。
 何度か開閉を繰り返し、やがてその口元から発されたのは、駄目だ、との声だった。
 どういう理由で拒否されたのかがまったく掴めず、あからさまに柳眉を潜めると、そっぽを向いた顔から呟きが一言漏れた。
「今の俺では駄目だ」
 到底太刀打ちできないと自身の不明を恥じるようにもたらされた声音は発した台詞のとおり、自信のないものだった。何に対して、というのは、つまり。
「では、もっと勉強を積んだそのときに」
 悟られぬくらいのかすかな笑みを両頬に刻み、カミューは少年の内心を汲み取った。
 うむ、と硬い口調が返り、おずおずとカップに大きな手が添えられる。
 もっと知り合えれば、おのずと答えは見えてくるだろう。表現する方法も、今だ知り得ない内面の深さも。
 ああ、もっと自分は磨きをかけなければならないな。
 マイクロトフにどのように捉えられるかを念頭に置きながら、自身を鍛えなければならないと。
 本当の意味での好敵手。
 けれどそれは、意外と嫌味のひとつも頭に思い浮かばない対象だった。

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2003.04.06up