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去ったもの
 顔の造形は疎か、体型や性別すら。
 あるいは、生身の人であるかどうかの差異すら。
 すべてを包み隠す、生命そのものであり戒めでもある血色の装束の下、その人は立っていた。
 どこを見ているわけでもないだろう、それは横顔というべきものであり、胴の前で大振りの袖を合わせ、一見思慮深く考え込んでいるようにも見えた。
 ともに過ごす暇は、他の面々と大差はない。
 任務に同行することもあれば、別々に行動をすることなど当たり前だ。
 だからといって、故意に分け隔てられているわけではなく、また、拒まれても拒んでもいない。
 才能を見出されて連れて来られたのは、兄より数年後(あと)ではあったが、凡人より飛躍した能力を身につけることができた自身に、さほどの自負も感じなかった。
 ただ、人形のように。
 人型のように在ることが、命じられた鍵とも言うべき暗号なのだと思えば。

「……………」
 無言で一歩離れた場所へ。
 隣に並び、同じく外のない景色を見る。
 同じく『鴉』に在籍する覆面たちの中、わずかに覚えのある仮面の姿がないことには気づいていた。
 顔を見せ合うことは、修練を積む鍛錬を行っていた当時以来、頻繁ではない。何より構成する人とは呼べない者たちは出入りが激しく、そして命を全うしてもしなくても存在そのものを失うことは少なくなかった。
 見知った者がアクマと呼ばれる殺人兵器の前に膝を折り、息絶えても、屍が帰ってくるわけではない。
 死すれば肉と骨と皮だけの骸。
 所属していた教団との関係も公のものとはならない。
 同属に知られず消えて行くのも、人型の影と評される自分たちの道なのだと理解していた。
 しかし、今回はそれとは少し異なるようだ。
 兄の、微動しない佇まいはいつものことだと知覚できたが、無心とは程遠い気配が、忍びやかにそこに蔓延っていると思った。
「………『彼』は、」
 どうしたのかと一言問えば、去ったとだけ平坦な答が返った。
 兄のお気に入り。
 と言えば、解釈が適当ではないと訂正を促されただろうが、それ以外に当て嵌まる形容がない。
 目をかけていたとは言い難いが、彼のことを、大小の違いはあれ一目置いていたように記憶している。
 なぜかと問えば、的確な返答を得ることができたかもしれないが、内心を語らないのも兄だ。
 告げる言葉はまやかしであると、どこか失望にも似た感慨が浮かんでは消える。
 だからこそ、表面上はどうであれ、言ったこととその中身は、同様でありながら異相だと捉えていた。
「どこへ……?」
 そっと、小鳥がかすかにさえずるような声で問い返せば、まるで書面の文字の上辺だけを音にしたような調子が帰る。
 中央庁の、最高権力に近い室(へや)。
 そして最も似合いだろう部署。
 引き抜かれたのか、転がされたのかの相違は定かではないが、異動というのは異例に近い。
 無論例外はあるが、少なくともある一定の基準を満たしていなければ、抜け出すことはできない血塗られた頚木から。
 裏の仕事を遂行するために研磨していた『鴉』が、表に。
 彼らの世界にあっても違和感を与えない容姿が、人選をした側の眼鏡に適ったのかと漏らせば、どうやら『兄』は唇をわずかだがゆがめたようだ。
 笑みに似た、冷笑というべき些細な変化。
「…なぜ、『彼』を……?」
 他にも選りすぐりの顔触れがいることを示唆するように声に出すと、瞬く間に露と消えた表情が再び見えない何かを呈した。
「容易いからだ」
 今度ははっきりと、低い声調が闇に近い夜を打つ。
「…………?」
 何がと主語を質せば、瞬きのない眸を一度だけ閉じて、瞼を中ほどまで上げたようだ。
 篭絡をすることが。

 浮かんだものは、侮蔑と自嘲。
 、そのどちらか。




-2009/05/10
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