『マダラオ』は、また彼と一緒ですか。
冷淡というには、饒舌な割に精神的な機微を報せる波長の起伏の乏し過ぎる声調が、背後から届いた。
振り返ることなくそのまま気配を澄ませていると、二人分の間隔を空けて、暗闇で覆われた庭を眺望する石造りの手すりの前に立った。
鮮やかな赤と黒の布を裂き、分厚い衣の合わせから、すっと利き腕が伸びた。
胸を通り首を過ぎ、自らの口元に人差し指を当てる仕草は、自然か故意かの区別は定かではない。
「…それにしては、珍しく、執心している…」
いや、初めてかな?、と含むような笑いを付け加える。
特に興味があって発しているのではなく、皮肉屋な相手なりの観察眼が働いたがゆえの独白なのだろう。
反応を示すことなくそのまま聞き流していたところで、受け答えをしたところで。
行き着く所は同じだと解釈していた手前、相手をする義務はないし、向こうもそれを期待しているわけではないだろう。
とはいっても、時間の問題であったとはいえ、『トクサ』なる鴉の一人に目をつけられたのは厄介であったかもしれない。
「『テワク』にとっては、最大のライバルが出現したといった感じですかね……?」
にこり、と眼だけを糸のように細めて笑っているつもりなのだろうが、視界に入っていない上は、それが事実だとしても何の効果も生まない。
あちらとて当にそれを理解しているだろうに、丁寧を気取って言葉を放ってくるのだから、この男が任務の場面で兄のマダラオや『彼』と穏やかな口論になることは少なくなかった。
表立った敵対心の方がまだ可愛げがあるし、利用できると、冷たい眼差しとともにたった一人の肉親が漏らしていたことを思い出す。
「………彼は、違う」
違うと思うと。
男の言った敵という概念には当て嵌まらないと、短い言を呟くと、おや、と驚いたように楕円の眉を持ち上げたようだ。
まるで恋敵のように告げられて、思い浮かんだのは、非ず、という率直な感想だけだ。
血肉を分け、その上、恋愛沙汰の感情も取引も必要のない世界に生きているのに、俗世の感覚でものをいう『トクサ』こそが、ここでは異端と呼んでも間違いではない。
ただ、人としての生を棄てていないと、上司であり師であった御仁ならばそう説いたかもしれないが、兄に言わせれば異端分子のような、単に面倒な人種であっただけのようだ。
では、『彼』ならばその面倒などという苦労の一切が取り除かれるのかと問えば、恐らく、その通りなのだろう。
「……いずれにせよ、士気に問題が出なければ、こちらとしても文句を言う立場にはない…」
他の部署の人間であれば可だったというわけではないだろうが、『鴉』同士というのも、些か不都合があるのではないかと。
言外に辛辣な皮肉をぶつけられているようにも感じたが、同僚からの忠告を直接実兄に告げるつもりもない。
もう用は済んだと、こちらが意識を別の場所へと移したことを察したのか、ちらりと男は兄がいるだろう建物の扉と窓を一瞥したが、無音であることを確かめると、それきり踵を返して去っていった。
彼とともにいる者が戻るのを待っているつもりはなかったが、なぜか自分はいつもここにいた。
遠くはないが、近くもないところで、影のように立ち、外を臨み、空を望む。
そこに特段の理由も意味もない。
あるとすれば、それは赤の他人にはわからない、血の口伝だったのだろう。
-2009/06/01
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