黒の教団なる宗教集団を背後で取り仕切る影の象徴。
権力の中枢が置かれる中央庁でも、特別監査室の名は特殊な意味合いを持つ。
最高権力者の威信を笠に、少しでも信仰に翳りがないか。違反者はいないか、鋭い目を光らせ、欠点を洗い浚い調べ、監視を行い、監督する権限を有する機関。
前線で活躍をするわけでもないのに横からしゃしゃり出て来ては口を挟むのだから、各部署で目の上の瘤扱いをされているのは自明の理だ。
事務官として、それ以上の能力を期待されていなければ、鴉が加わる必要性は決してないはずだった。
辞令の内容を確認したのは、指示が下りた後暫く経ってからだ。
妹のテワクから帰還のないことを告げられ、待機する場所として定められている房に気配がないことから改めて事実を察した。
荷物だけを残して去ったのち、除隊の処理を行うよう書面で命令が下ったのは、そこからさらに数日後だった。
『テワク』はこの件に関して発言をすることはなかったが、やはり彼を任命した長官の意図を感じずには居られない。
何ゆえ人選を行っていた旨を公表することなく、ただの紙きれ一枚で決定を下したのか。
彼と監査室長官は、護衛という任務で言葉を交わさぬ装束越しの接触が幾度かあったように知覚していたが、それが今になって、専属という言葉は使わなかったものの、専用の腰巾着にしたいと言い出したのは、個人を特定してのことであったのだろう。
何のために。
考え出せば切りがないが、いつもならば素通りをするだけの書類の一片を、いつまでも眺めているのは滑稽だろう。
どこか忌々しさすら感じる心地に囚われながら、指を動かし、炎の輪を作る。
呆気なく炭に還った屑は、一息で室内の塵と同化した。
除籍ではなく、除隊する、ということは、いずれ戻ってくるのかもしれないが、恐らくその期待はゼロに等しい。
そもそも、単なる事務官とはいえ、内部の末端に至るまでの行動を監視し、刑を執行する役職に就いておきながら、命のやり取りが頻繁な実行部隊に帰ってきた者は鴉の歴史の中では誰一人としていない。
今回の異動は、昇進と称してもあながち間違いではないからだ。
それが、意味することは。
「………」
腑に落ちないと感じる部分と、なるほどと合点する要素がある。
後者は、ルベリエ本人の思惑に因るものであるという確信。
手駒として使うことのできる優秀な人材として選択をしたのなら、よく目の利く人間だという評価もあながち偽りであるとはいえないだろう。あとは、相手が手に入れた情報の確かさだ。
私情を挟まないとはいえ、非情には徹しきれないところは短所と呼ぶべきだが、戦闘員として働くならば持っている技に於いて柔軟で有能な『彼』が、おのが命令や司令官に対して極めて忠実な下僕になり得る器であると見抜かれたのは、鴉を担う者としては痛手という他はないだろう。
物事を指示する時、客観的に見て異論を感じる場合は、上官に対する軽視の度合いを表すことが多いが、信奉する人間として一から育てれば、これ以上は望めないほど、使い勝手の良い部下になるだろうと断言できるからだ。
『ハワード・リンク』は、そういった、組織に組する人間にとって都合の良い人種であり、人格であることを、自分以外の者に悟られた現実に、深い嫉妬にも似た感情を覚える。
できることなら同じ部署に繋ぎ止めておきたかったという後悔のようなものを感じているのは、勿論、彼らを統括する人間としての思いだ。
勝手が良かったのは、何も上の人間にとってだけではなかったと。
主に盲目的に付き従う忠犬を得たことで、今よりも尚、特別監査室の名が忌むべきものになることは明白だろう。
鴉の内に居れば、数の中に紛れてしまっていただろう。
一番にも最下位にもなれず、中途半端な存在として生きて行っただろう。
ここへ連れてこられた時分と変わることなく。
ゆえに、今だ凝のように胸裡で燻っている感情は、腹心となるはずだった同僚を失ったための苛立ちでしかないと。
それ以外に理由はないと、言い切ることのできる根拠はどこにもない。
-2009/08/22
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