普氾(ふはん)という黒龍の少年に対して、ひとつの疑念があった。
「黒龍ってのは、皆肌が赤褐色だと思っていたが」
どこか錆びたような血色と、黒い眼球を持っていると師に聞かされていたことを問うと、眼前の友人は大きく瞬きをしただけだった。
『不死者』と呼ばれ、同じ六大龍王の中で最も異質であり異能の存在として恐れられている黒龍の一族は、他者を食らって永遠に近い時を生きると伝えられている。
しかし今現在彼らを統べる普氾(ふはん)は、それらを良い意味で裏切っていた。
短く切りそろえられた真っ白な頭髪は光沢こそ少ないが、ところどころに新雪のような青い影が差している。
肌の色もどす黒い血の色とは程遠く、色白ではあるが健康的な艶を保っている。
双眸とて自分たちと同じように白い眼球の上に灰色の瞳が単座しているだけだ。
まるきり同族の姿と同じだとは決して言えないが、耳にしていた黒龍の者たちが持つ容姿とは似ても似つかないものだった。
奴らと違うという感想を聞かされても、普氾(ふはん)にとっては大した衝撃として受け取られなかったようだ。
「そうかもなー」
「…………」
他人にどう思われるかということに頓着しないというか、おそらくおのれに対する評価というものを無味であると錯覚しているのだろう。
あるいは種族が違うからこそ、普通に行えるべき意思の疎通が可能ではなかったのかもしれない。
「俺は会ったことはないが、滂沱(ぼうだ)は黒龍そのものの姿だったと聞いているが…」
「まあ、そうかもなー」
やはり、そうなのかもしれない。
「…………俺とまともに話をする気がないのか?」
あまりに端的すぎる応答に辟易して嘆息を漏らすと、普氾(ふはん)は口元に薄い笑みを浮かべたようだ。
「悪いな。単に今のこの状況を俺なりに楽しんでるんだ」
「……?」
今まで滂沱(ぼうだ)様以外と話をしたことがなかったからな、と継いだ言葉に思わず目を丸くした。
「他にも黒龍がいるだろう?」
「……いや、俺と滂沱(ぼうだ)様だけだ」
「…………」
六大龍王はその名が示す通り六つの種族が存在すると言われている。
実際にすべての龍王を目にしたわけではなかったが、確かにその中で繁栄を誇っていると言えるのは白龍だけだ。
同じくらい古くから続く黒龍の一族も長命ながらも同類が大勢いるのかと思ったが、どうやらそうではなかったらしい。
「…そんな馬鹿な」
知らず口を突いて出た。
「だったら、黒龍の生き残りはおまえだけってことになるじゃないか」
呆れたような口調になってしまったのも無理はない。
一人残されたはずの普氾(ふはん)に全く悲壮感というものが浮かんでいなかったからだ。
ほぼ永遠を生きるような種族だからこそ、危機感を覚えなかったのかもしれない。
代を続けていく白龍とは根本的に考え方が違うのだろうか。
馬鹿な、と改めて胸中で呟く。
「それじゃおまえは、これからたった一人で生きていくのか?」
師匠であった滂沱(ぼうだ)亡き今、独りきりで黒龍を背負っていくのかと。
普氾(ふはん)は相変わらず頬に笑みを宿したまま肩を竦めたようだ。
「まともな黒龍は俺と滂沱(ぼうだ)様だけだったが、仲間ならいるぜ」
「…………」
まともな、とはどういう意味だろう。
これ以上踏み込んでいいものかどうか躊躇したが、なぜか相手に対して自分は遠慮や配慮というものを失念してしまうようだ。
けれど、今は普氾(ふはん)が独りきりではないということがわかっただけでよいと思うことにした。
「……仲間がいるならいい。少し安心した」
「おかしな奴だなー」
相手から言われなくても、自分でもそう思う。
普氾(ふはん)の短い感想は、どうして他種族の自分に対してそこまで心を砕く必要があるのかという単純な疑問からだろう。
しかし、友人となった者がこれから誰も頼りにできずに生き続けなければならないと知れば、これまで罪悪感など微塵も抱かなかったが、黒龍の滂沱(ぼうだ)の命を絶ったことに何らかの後ろめたさを感じるところだったからだ。
黒龍のかつての長であった滂沱(ぼうだ)は、白龍の太祖の血を引く先代の大師峰(だいしほう)をその手にかけた。
師である男の命を奪った黒龍は、事切れる前の大師峰の手によって葬られた。
師匠であり仲間を殺された普氾(ふはん)が、その事実を知って我を忘れたとしても無理からない話だ。
ただ、師の仇討のために白龍の地を訪れた普氾(ふはん)は、当時理性を失うほど暴走しているわけではなかったと断言できるだろう。
しかし、領地に入る直前で足止めをするために立ちはだかった自身に対して容赦はなかった。
問答無用で地面にたたきつけられ、圧倒的な力を以てして重傷を負わされたが、滂沱(ぼうだ)のように白龍すべてを血祭に上げようと考えて姿を現したのではないことは明白だった。
滂沱(ぼうだ)は憎むべき敵である白龍を文字通り殲滅するために白龍の地に現れた。
師匠を殺した張本人を探しに来た普氾(ふはん)とはその目的からして異なっていたのだとしたら、自制を失うほどの怒りに駆られていたわけではなかったのだろう。
烈火のごとき怒気を全身に漲らせながらも、仇であるはずの白龍の自分の諫言に対して聞く耳を持たなかったわけではなく、最後まで辛抱強く師の命を奪った者の所在を尋ねていた。
真相を知った後には怪我を負わせた自身の治療を買って出てくれたのだから、普氾(ふはん)には普通の黒龍とは違う部分があるような気がしてならなかった。
「おまえの怪我が治ったからには、もう会う必要はないんだよな」
ふと漏らした普氾(ふはん)に、考え事をしていた顔を上げる。
「……黒龍を倦厭する白龍は多いからな」
敵対していたわけではないが、過去に何度か同族が黒龍に食われたことがある。
滂沱(ぼうだ)もかつては幾人もの白龍を殺めてきたと聞いている。
普氾(ふはん)たちにとっては生命維持のために必要なことであったのだろうが、仲間の血が流れている以上、交流を続けようと考える方が非常識だと言えた。
「……そうか」
少しだけ細い顎を下に傾けたが、それきり普氾(ふはん)は黙り込んでしまった。
黒龍といっても、自分同様に生まれながらに竜穴を持つ普氾(ふはん)は他種族の生命を必要としない。
これまでの敵の概念を著しく逸脱する少年を、このまま孤独の中に置き去りにさせて良いのだろうか。
自分と同じ。
それだけで、動くものが確かにあった。
「また、会いに来ればいい」
師の後を継いで大師峰となった者の許可を得ることができれば問題にはならないだろうと。
横目でちらりと覗き見た普氾(ふはん)の顔には、心の底からの笑みが浮かんでいた。
竜穴。
本来地上に開くはずの力の出入り口。
それを体に持っている者はその規模の増減と流出、流入する力の大小によって過度の負荷を負う。
短命で終わる者が多いと言われるほど危うい代物であるにも関わらず、普氾(ふはん)のそれは信じがたいほど安定していた。
まるで何もなかったかのように、強力な竜穴の力を操り、体内での均衡を維持していた。
自分でさえ、いまだに苦しめられている存在を、さらに四つも持っているにもかかわらず。
疑念がある。
普氾(ふはん)はただの黒龍ではなく。
あるいは。
―――なのではないかと。
-2013/12/31
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