second generations ◆ 駄話-


 なんだべ。あの人。
 どっかで見たことあるけれど、どこの誰だか忘れてしまった。
 漆黒のコートを肩に羽織り、雨の中、道の脇に備えつけられている花壇の縁に腰かけている。
 ザアザアと降りつける雨が、コートの裾や襟を伝い、雨水となって落ちる。
 寒くないんだべか。
 それに誰を待っているのか。長時間この寒空の中で体勢を変えることなく、すでに冷えきっているだろう手を足の前で交差させて黙したままだ。
 買いだしの帰路の途中で見つけた人物。近くまで行き、思わず手にしていた傘を傾けた。
「こんなところさおったら、風邪を引いてしまうべ」
 もじゃもじゃの手に握られたプラスチック製の柄が視界に入ったのか、鮮赤をした目だけが寄越された。黙ったまま、何も言わずにまた見ていた方角へ顔を戻す。視線の先に何があるのか。
 きっと、待っている誰かがやって来る方向なのだろう。
 よいしょ、と足をかけて相手の隣の縁によじ上り、白い面に雨粒がかからないよう体を伸ばして傘を差しかける。手にしていた吹かしイモが冷えてしまうのも構わず、とりあえず待ち人が来るまでの時間、一緒にいてやることにした。もちろん、何か礼を期待しての行動ではない。
 不意に足の前で交差されていた手をはずし、傘の柄に腕が伸びる。大きな掌が小さな手からそれを受け取る。物言わぬバトンタッチ。座っていられるよう、代わりに傘を持ち替えてくれたのだ。
 無口だけど、優しい人だべ〜。
 言葉をかけてくれればもっとわかりやすかったのだけれど。
 きっとおしゃべりな質ではないのだろうと思い、会話は諦めた。もともとにぎやかな家庭で育ったので話は好きだったが、ここは相手に合わせることにする。知らない男の人だから、という理由からなのか、普段の姿勢を180度変えて、しとやかさを気取ってみたかったのだ。
 傘を差さずに済むようになって、隣に大きな尻餅をつく。背丈がいくらもないので、足が宙に浮いた。ぷらぷらと遊ばせたまま、会話のないことに慣れず、聞き取れないような独り言をいくつか呟いて退屈な時間を少しずつ埋めた。
 おがあが心配するかもしれねえが、大丈夫だろう、とか。
 明日は晴れるといいべ、とか。
 相手は何も言わず、ただ聞いているだけのようだった。
 それでも手持ち無沙汰になり、ちろり、と自分の隣をずんぐりと丸い目で一瞥する。
 物言わぬ人物を改めて観察してみれば、着乱れたように襟を広げており、着ているコートはサイズが幾分大きめだった。
 誰かに借りたのだろうか、袖も大分余っている。
 無機質な仮面に繰りぬかれた二つの場所には透明な紅眼が輝き、頭上には王冠をかたどったような装飾が施されている。着ている服もどことなく品のある、どこでしつらえたのか、上等なもののようだ。ぴらぴらと麻と木綿で出来た赤い自分のスカートと見比べて考える。
 きっど、王子様ってのはこんな感じなんだべなあ〜。
 自分にとっての王子様、というのは、大好きな万太郎のことだが、頭に思い浮かべるイメージは目の前の人物が相応しい。
 仮面であって素顔ではないが、綺麗に整った顔立ち。きっと本当の顔とあまり相違はないのだろう。佇まいにマッチして、角が鋭くいかめしくはあったが、面の部分を覆うマスクは端正な作りをしている。体も超人で言えば筋肉質というほどではなく、それでも長い足や腰にしっかりと肉がついている。
 万太郎さんに比べれば少しか細い気もするけど、かっこいいべ〜。
 ちらちらと相手の姿を窺いながら、色んなことを考える。何も話してくれないので、想像だけがあとからあとから沸いてきた。秘密にされると、それだけで妄想がたくましくなる。
 どうしてこんなところにいるのか、事情を聞いて良いような、悪いような、どっちつかずのまま時間が流れた。
 次第に夕刻が近付き、空が黒染み始める。雨雲に覆われていたため、日没の印象は性急ではなかったが、気温も下がってきたようだ。このまま待ちぼうけをしていても一人ではないから構わないのだが、相手はどうなのだろう。
 自分は、恐らく心配した兄が探しに来てくれるかもしれないから不安ではなかったが、この人はこのままずっと待っているのだろうか。
 まだ、見えもしない”待ち人”を。
 ”王子様”の視線が注がれた先には、人影すらない。まばらな人間たちの往来はあったが、道端に座っている自分たちをぎょっとして見ることはあっても立ち止まる者はない。
 どんな人だべ。こん人が待ちわびてる人というのは。

 不意に、わずかにだったがうつむき加減だった白い顎が持ちあがる。それに気づいて、仕草を追うように自分も顔を上げた。
 視線の先にいたのは、誰もが知る長身の蒼いマスクの超人だった。
 驚きとともに見開かれた目の前で、長距離を走りぬいてきたのだろう、Tシャツの上から蒸気を立ち上らせた超人が、立ちあがった黒い影にゆっくりと駆け寄った。
「待たせたな、クロエ」
 側に近付くと同時に、持っていた傘を小さな主に返し、羽織っていたコートを走ってきた相手に着せ掛ける。運動を終えた体が冷えるのを避けるためだ。
 呆然と、手渡された傘を挿しながら、その一挙一動を見守る。
 自分や兄の出身がアイルランドであるがゆえに、お隣のイングランド出身の有名超人のことは知っている。
 けれど、こんなに間近で接したことは今までになかったことなので、どきどきと胸が高鳴った。遠くで見たことはこれまでにも数回あったのだが、実物はその万倍もかっこ良い。
 その事実が、ようやく目的の人物に会えたことにかけるべき言葉を忘れさせた。
 よかったべ、と純粋に喜んであげるべきところが。
 そして、”王子様”がクロエ、という名前であることを知る。
「お嬢ちゃん、クロエに付き合ってくれていたのか?」
 いきなり声をかけられ、どぎまぎする。ケビンマスクは他人に威圧的な、嫌な奴だと主に万太郎から聞かされていたので、そのギャップがなおのこと濃い体毛に覆われた頬を赤く染め上げた。
「ひ、一人じゃ心細いと思ったんだべ」
 長い間、じっとここであんたを待っていたのだから、と付け加えると、鼻で笑う声が届いた。
 しかし、決して嫌味なものではない。
 つと自分より背の低い超人を見つめ、不思議な感慨を抱くような目線を送る。気づいているのかいないのか、クロエに大きな変化はない。
 ただ無言で、静かにこちらを振り返った。
「迎えは来るのか?」
 暗くなってしまったので一人で帰れるかどうか尋ねる。こうして帰りが遅くなったことを自分の責任であると自覚しているのか、年端もいかぬ少女をこのまま放置しておく気はないらしい。
 ”王子様”の声をはじめて聞いて、そしてそれが自分に向けられたものだと知り、再びばくばくと心臓が振れる。
 やさしい声だべ〜。ハスキーだべ。
 万太郎さんには劣るけど、と自分の純愛にフォローを入れつつ、何度も頷き返す。
 兄から持つよう渡された携帯電話もある。か弱いおなご一人、夜道は物騒だったが、連絡を入れればすぐにも頼もしい兄が迎えに来てくれることを、自分としては普段よりしどろもどろになりながら主張する。
 だが実際は口早なわめき声に近かった。言い終えてから、はたと気づいても後の祭。
 その唾も飛ばさんばかりの勢いある説明を理解し、納得したように、クロエは浅く頷いた。
「行くぞ」
 簡単な別れを交わし、二つの長く大きな影は少女に背を向け、歩き始めた。
 遠く、姿が小さくなったところで、蒼いかぶとを被った超人が自分のコートの中に相手を巻き込むようにして腕を回す。小雨になったとはいえ、雨はまだ降っている。肩を冷やさぬよう、友人に対しての細心の心遣い。いやむしろ、『恋人たち』に近い。
 わからんけど、不思議な人たちだべ。
「ドロシ〜〜!」
 聞きなれた声が背後から聞こえて、その思いは自然と消えてなくなってしまった。兄の巨体がどすどすと近付いた。駈け寄って、しっかと抱きつく。
 もう見えなくなってしまった、黒い服の王子様。
 綺麗なものに好意を持つのは、女の子には当然の心理。
 自分が一番好きなのは万太郎だが、騎士か貴公子然としたケビンマスクやクロエも捨てがたい。
 また次会うときまで、クロエが自分を忘れないでいてくれれば良いと思いながら、背中におぶされと促す兄に飛びのって、遅くなってしまった家までの帰路についた。
 胸には母親と一緒に食べようと買ってきたイモの袋をしっかりと抱え、いつしか温かい兄の背で心地よい夢の中へ意識を手放した。
 ゆらゆらゆら。
 立ち昇る淡いピンク色の雲に揺られ。
 ふわふわと、眠りが訪れる。



 余談。

「まるでデートをしているようだったぞ」
 走り込みを終えて、約束の場所に戻ってきたとき目にした光景を反芻する。皮肉と嫉妬は半分半分。嫌味を言っても、暖簾に腕押しだということは承知の上。だからといって、こちらから切り出さねば話題になりもしない。ならば、滑稽だと思われても口に出さずばおられまい。
「アア、そうかもしれないな」
 肩を抱かれているのにすがりもしない、愛想とは無縁の隣人。余計に悋気を煽ると知っていても、こちらの揶揄など歯牙にもかけず。
 ゆるやかに黒い肢体の外面を覆っていた冷気が腕の中で溶けて行くのを実感しながら、つれない台詞に内心舌打ちを隠せない。
 相手が小さな少女であろうが、赤ん坊だろうが、居場所を許すのは好かないと。知っているのか、承知で構っていないのか、無応答の態度は今に始まったことではなかったが。
「オレがもし、女を連れて帰ってきたらどうするつもりだった」
 ランニングの途中でナンパをするか、されるかして。
 想像しなければ現実味がわかないのだろう。しばらく逡巡したのち、繰り出された答えは安直。
「ホテルに帰って、部屋には入れない」
 それを耳にした瞬間、思わず声高らかに笑い出した。
 それこそ、腹を抱えての大爆笑に近い。
 反った反動で屈みこみ、着ていたコートに包まれていた相手の体もそれに倣う。否応なく前のめりになって、クロエが足で自身を支えた。
 短時間で笑い納めたとはいえ、ケビンマスクには愉快だという表情がありありと浮かんでいる。これだけ腹をよじるくらい爆笑したのは久方ぶりだった。初めてと言っても良い。
「鍵をかけて追い出すのか、オレを」
 おかしなことを言ったつもりは毛頭ないのだろう、無表情の顔が見つめてくるのを見返しながら、ケビンはくっくっと肩を揺らした。
「だったらドアを壊してでも中に入るぞ。そうしたらどうする?」
 無防備な身体を抱き寄せ、腕の中に絡めとる。密着した体温が、確かに手にした温もりを伝えていた。
「無駄な抵抗はしない」
 真正面から正視したまま照れも躊躇いもない返答が返り、なおのこと蒼い超人の機嫌を向上させた。ご機嫌取りでもおべっかでもないのに、言うことはしおらしいことこの上ない。
「わかった。おまえのために浮気はしない」
 額を押し付けて、表情を測る。変化はないと思われがちだが、目の色が、見知った者に感情の仔細を伝えるアンテナの役割を果たす。
 クロエは自分の本心を見抜かれていることをすでに自覚しているのか、困ったように相手を見返したまま、腕をかすかに持ち上げた。
 温かさを求めるように伸ばされた腕を確かめ、すっぽりと胸に納まった頭ごと体躯を抱きしめた。
 身じろぎし、安定を求め、落ち着く。
「ようやく温かくなったな」
 耳元に囁けば、小さな応答が返った。
 それにくっくっと忍び笑いをこぼしつつ、黒い帳の中に二つの影は溶けていった。
 超人オリンピック・ザ・レザレクション。
 準決勝開催地での光景。


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2002.02.10up

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