目の前の山を見て一人算段。 良心的な人物ならば、人様から頂いたものとしてひとつの文句も言わず、ありがたくすべてを頂戴するのだろう。実際、ホテルの一室を埋め尽くすほどの量でも、超人オリンピック委員長権限で、嫉妬に狂った某イケメン氏にその大半は没収されたのだが。 どうせ持ってゆくなら全部、とはここでは言わないでおこう。 腕を組んで、備え付けの椅子に端座する。恰好だけを見ていれば、足を開いて座る様はどこかのいかめしいオヤジ系。能面のようなマスクをしているために窺えはしないが、気持ち的には眉間に険しい皺が刻まれていそうだ。 物体、というよりも、きらびやかな装飾が施された前代未聞の洪水を目の前に黙考したままかれこれ2時間ほど経っている。 見てくれから超人と知れる人物が、そこにうずもれたまま動き出す気配がないのは、具体策を講じかねているからだ。 すべてゴミにするには廃棄物の不法投棄とばかりに超人オリンピック関係機関から苦情が飛び出すかわからないし、かといって食すにしても一日では不可能なら、保管場所にも困る。 確かに非常食として良質な類いのものを取っておくのも手だろうが、それをこの中から選別しようにも、恐らく一晩では済まされまい。 何より、大事な寝床が”海”の底だ。 誰が一番迷惑を被っているかといって、この部屋の主以外にない。 だが、同情の余地はないと言っておこう。 無責任にも『何とかしろ』の一言を残して、この”愛情”の山から逃げ出していったのだ。外出して随分経っていることを思い出してみれば、もう時期ここに舞い戻ってくるだろう。その前に、何とか方策を講じなければならない。 無言のまま、視線をもう一度眼前の山に戻す。 そして、落ちる。両足から膝を通って、組まれた腕へと軌跡が帰った。 その繰り返しが約120分という時間の中、幾度も繰り返されていることなどはすでに自覚済み。 眺めれば眺めるだけ、あれこれと思いついた作戦が周囲を取り巻く波の前に見事に打ち砕かれることに焦りを覚えるどころか、精神が次第に何も知覚しないようになる。 臭いものには蓋を。ならぬ、もうどうでも良いと思う”投げやり”の体。 こんなものの対処を任され、義理堅くそれを果たす義務はない。 自身に命を下す権限を有すのは、あの超人ではない。 ならば思考中断。 椅子を立って、本業に戻る。 本来すべきことに立ち戻ろうとして、足場のないことを再認識する。 肩まで届く頂きの向こうの、遠い鏡台の上。仕事で使うノート型の機械が見える。無論、手に届く位置になどありはしない。 結果、またしても背もたれに体を押し付けることになったのは言うまでもない。 減らず口の一つでも叩きたい、悔恨の瞬間。 嘲笑うかのように取り巻く、赤や黒や、ピンクやブルー。色とりどりの、鬱屈させる物体たち。 出来得るならば、この状況に絶望して目を瞑ったままうなだれてしまいたいのだが、瞼は閉じない。目を見開いたまま、組んだ腕越しに自らの太腿を睨む。自身を責めるように、動きを停止する。 筋肉を硬直させ続ければ血管が収縮しなくなり、凝りが生まれる。身体に悪影響を及ぼす真似をしていることに時間と能力の無駄を感じつつ、目を細める。叫ぼうという意思がもしそこにあるのなら、まさに『この野郎』の心地に近いものがあった。 万太郎のように思ったことをすぐに口にしようものなら、今すぐ自分というキャラクターを改めねばならなかったが。 ふと静かだったはずの廊下が小さく軋み、次いでドアを軽快に叩く音がする。部屋の主が帰ってきたかと思ったが、足音が小走りだったことからそうではないことが窺えた。 オリンピック出場選手が宿泊しているホテルなのだから、一般人はここへはやって来れない。だとしたら、ファンの類いではないだろう。見当がつかないまま、次の反応を待つ。 「クロエさん〜。おらだ。ドロシーだ」 来訪者の名前を耳にして、瞳がわずかに大きく開く。 入室を許可する価値はあると自発的に答えを出すと、山に足を突っ込んで倒れ掛かる固まりも気にせず、道なき道を進んだ。 ずざざずざざ、と沈黙していた箱が所々でなだれを起こす。惨状となっただろう背後は振り返らなかった。 人が立てる空間をわずかに保有していたバスルームへのドアが横にしつらえられた場所に辿りつき、扉を開けて訪問者を迎え入れる。正確には開けただけ、と評すのだろうが、今はこれが精一杯。踏み入れることを許せるほど”空き”がないのなら、心だけで招待したと思うしかなかった。 「わ、すごかあ〜」 開口一番、至極平凡なコメント。 包装紙のバリケードでもできているかの、クロエの背後にそびえたつ諸々を目にして、丸い目がさらに黒い点になる。ぱちぱちと何度もしばたたかせると、短いながらもちゃんと瞳にくっついている睫毛も動きに倣った。 挨拶もないまま、ドアを開けた人物は何事かと視線を送る。 それに気づいて、あわてて外股だった太い足を内股に変えた。もじもじ、と急にしおらしくなり、毛深い体毛で覆われた頬もかなり赤らんでいるらしかった。 「今日はバレンタインデーだあ。心を込めてチョコを作っただよ」 ケビンマスクと一緒に食べてけれ、といびつな形をした重い物体を胸に押し付けられる。 自分以外の人間が来てくれたのは、一向に解決の目処が立たない問題から気分転換を図るには絶好の機会だったのだが、渡されたものがまたしても問題を増やす種だということに、一瞬固まる。 しかし、きらきらと小粒の双眸を輝かせているらしい少女を前に、本心を面に出すのは憚られた。それ以前に感情が外には出ないというより、最低限の礼儀を踏んでの行動。 言葉もなくわずかに顎を引いて頷けば、やった、とずんぐりした体を廊下で跳ねさせる。思いを受け取ってもらったことを素直に喜び、天にも上る心地、というわけだろう。だが赤い靴が床につくたび、ずん、ずん、と音がするのも、恐らく気のせいではないだろう。 しかし、そんなことは露ほども気にせず、クロエの視界にはわが世の春を謳歌している少女がいた。 「クロエさんたちのチョコは、あんちゃんよりも奮発して大きいのをあげただよ。だから大事に食べてけれ」 ふふ〜と頬をピンク色に染めて、セイウチンの妹は嬉し恥ずかしとばかりにどすどすと走り去っていった。 残されたクロエは、ドロシーが去った廊下と胸に押し付けられた土産を交互に眺めるだけ。 礼も言っていないのに小躍りして帰っていった後姿には憎めないものがあった。無邪気な少女を見て悪意を覚えるのは、同じ性の人間だけだろう。 不意に、みしり、と音がして何も知覚していなかった思考が急に冴えた。 見れば、壁に片手を半分めり込ませている長身の超人。 マスクで表情を知ることはできなかったが、青筋が立っていそうなほど逼迫した空気に包まれている。 獅子のたてがみのごとき豪奢な金髪を携えた超人は、相手がこちらを凝視したまま一言も口を開かないことに業を煮やしたのか、一歩一歩近付いてきた。 ぎしりぎしり、と床が軋む。 建設されて久しいわけではない立派な建築物だというのに、廊下が根を上げたように鳴いているのは、その超人がみなぎらせた殺気によって洩れた悲鳴かもしれない。 難題を解決しないまま、とうとう部屋の住人が帰ってきた。 すでに課題を放棄した手前、弁解しなければならないという後ろめたさはない。罪悪感どころか、むしろなるようになる、と高をくくっているきらいすらある。 超人にだとて、打ち砕けない試練はあるのだと。 それが女性からもらった好意だというのも皮肉だが、受け取った当人ではないのだからクロエに責任はない。 かといって、部屋を占めている荷物はオリンピック協議委員会からケビンマスク宛てに送られてきた代物であって、直接受け取ったわけではないケビン自身にも非があるわけではない。 だとしたら、やはり委員会に送り返すのが正しい方法か。 頭の中で思考錯誤しながら、迫り来る気迫に押されるようにドアから部屋の内側に押し込まれる。 重い鉄の扉が閉まり、狭い空間で体が密着した。 見上げれば、怒りすら宿したまま終始無言の男の顎が映る。 叱責されれば反論はしないが、怠慢だったおのれの心を入れ替えて従順にもなりはしない。主人ぶってはいるが、『ケビンマスク』は自分の自由を束縛できる権限を有している人物ではない。ならば、馬の耳に念仏。何を言われたとしても、譲歩する余地はない。 下から睨み上げるように送っていた視線を浴びたまま、先ほど壁を砕いた左手が予期せぬ動きを見せた。 脇から、背後に回る。 上体を支えるように、腰骨の位置で止まった。 相手の行動について思考する頭からは妥当な回答を得られず、ただ動きを見守り続ける。 真正面にある、真摯な顔立ち。凹凸の明確な、蒼い仮面を。 引き寄せられ、また一段と距離が詰まった。 相手の顔を捉えるために胸の間に腕をつかえる。 上目遣いに窺っていた相手の瞳に、かすかな笑みが宿った。 怪訝に思いながら、まだ現れていない右手の先を無意識に目が追った。 やがて、後ろ手に隠していた大きな束がゆっくりと視界に映し出される。驚愕の色が浮かんだのは一瞬で、すぐにそれが何であるかを理解し、平素に戻る。永久に感情が表に出続けることはない。常に自分を支配するのは、冷静な判断力と洞察力だ。 数十本をひとまとめにした、巨大な花束。 全部が真紅の花であることを瞬時に見破る。 であれば、行為が意図することも自ずと知れた。 体と体の間に割って入った芳香に目を奪われるように見つめ続け、先ほどから動向の一部始終を確かめるように自身に注がれていた視線を合わせた。 それを確かめ、鼻を鳴らす。 「先を越されはしたが、まあいい」 クロエが自分より先に来客を受けていたことに憤りはしたが、奪い返したのならそれもなかったことにする。不敵な笑みすら含んだ口調に、特別浮かぶ感慨はない。寡黙な相手の反応に興を削ぐことなく、ケビンは遠慮せず腕にした体躯を抱きこんだ。今度こそみしり、と花が泣く。 「礼をする気はあるが、それよりも後ろの問題が先決だ」 横目で一瞥し背後の惨状を示唆する。 瞬間、ケビンの動きが止まった。 身体を横たえる隙間すら、香る諸々の贈物で埋め尽くされている。 二人を押し包む現実を呆然と見やり、そして。 「だったらイケメンの野郎の部屋に殴り込みだ」 どうせ一人で豪華なスイートでも占領してるんだろう、と言い放ち、最愛の者を花束ごと抱きかかえたままドアを蹴破る。 クロエも同意見だとばかりに頷いた。 それを目にして、いよいよ暴君の性根が騒いできたようだ。金色の双眼が不敵に光る。 「今夜は眠らせねえ」 応えず、クロエは胸に抱いていた塊が落ちないよう手で支えた。 真っ赤な包装紙に包まれて、リボンをぐるぐる巻きにされた無骨な愛の贈り物。 中身は得体の知れないものかもしれなくても、何でも構わない。 手ずから受け取ったのだから、処理は自分でしなければならない。そして、ケビンと食べろと言われたのなら。 試合を控えている以上、腹を壊されては困るから毒見は自分がすることになるだろう。けれど、これがあの娘からのものであれば、少し様相は他と異なるかもしれない。 自分以外の回想に気を取られていたことを見透かされ、身体に強い力が加わった。 握りつぶす衝撃にも似た、抱擁。 無感動のまま受ける。 充実感、というのは滅多に手に入れられない代物だが、今だけは。 必要とされていると知れば、必要としたくなる。 求められているとわかれば、求めたいと思う。 作用し、反作用が起こるのと同様。 今この瞬間だけは欲しいと思った。 たとえ、気を紛らわすだけの遊戯だとしても。 それでも、束の間とはいえ満たされるものはある。 独りという名の、寂れた時間は。 当然、余談(笑)。 ひたむきな恋をする少女は、猛烈@太郎。 ドロシーの本命の人とは、言わずと知れたキン肉マン2世こと、キン肉万太郎。 バレンタインデーにあげるものといえば、やはり愛する人には自分自身だべ。ということで、夜半いきなり名も告げず飛びかかってきたランジェリー姿の海獣少女から、万太郎が泣いて逃げ出した、というのは結構誰も知らない出来事だったとか。 唯一の生き証人であるミートは、うるさくて眠れませんでした、と大きな隈を眼の下のこさえてつぶやいた。 思う側がハッピーであればいい。 それこそ、戦闘・ばれんたいんで〜。 愛する者は日々戦う、という教訓の一日。 |