second generations ◆ 電子音が鳴り響く-


 電子音が鳴り響く。
 腕を伸ばせば届く、バスルームの受話器。迷わずそれを実行しないのは、誰からのものか凡そ検討がつくから。
 濡れて質量が重くなった髪をかきあげ、白の大きなバスタオルを頭から被る。まだ水の滴る下半身を無視して、ここよりも湿度の低い外に踏み出す。
 電子音はまだ続いている。


 バスローブを纏った肢体。ベッドに腰掛け足を組む。ゆったりとした動作のはずなのに、心なしか急いている。そんな印象。
 持ち上げるアイボリーの受話器。”つながる”端末。
 拾い上げて言葉もなく、黙す。相手の声が耳に飛びこんできた。
「クロエか?」
 尋ねなくともそれ以外の人物がいるはずがないことを見越していながら問うてくる美声。聞き馴染んだ声。一日だとて耳にしないことはない。
 だんまりを続けているうちに相手の意を察し、短く答える。
「ああ」
 これ以上沈黙を引き伸ばしていたら、強気の口調が怒声に変わるだろう事を単純に見抜いての行動。大きく針が振れるその一歩手前だったのか、安堵したようなイントネーションが言外に伝わった。
 次に続くのは、『何をしていた?』。
 聞かなくともわかる。ここ数日。ひっきりなしの電話。地球の表と裏という、気の遠くなるような距離が目の前にある。離れているから頻繁にベルを鳴らしてくるのだということも承知の上だ。
 寂しいのか、とぽつり問えば、その通りだと答えが返る。おまえがいないからだと、心底実感を込めて。
 ムードランプだけが灯されたベッドサイド。顔を窺えずとも知れる呼吸があることを、初めて教えてくれた音の来訪者。肩と耳下で挟んだまま、集音機に唇を寄せた。
「テレビを見た。まずは一次予選通過だな」
 世界各国に衛星中継されている大会の様子。結果を知らぬ者など誰もいない。ただでさえ祖国の英雄が優勝候補として出場するのであれば、画面に釘付けにならぬ国民など誰一人としていないだろう。
 淡々と祝辞を述べる。鼻で笑う声が届く。
「あんなものは戦いのうちに入らねえ」
 そうだな、と頷く。
 序の口、の前。前座にもなりはしない大会側の、いわば趣向のような遊戯の類い。あんなもので超人の何たるかが測れるならば、宇宙を手に入れることすら容易い。
 声の主が今の状況が少なからず不本意であるのは当然。側にいて慰めてやりたいとさえ思う。もっとも、本心は告げず。
「日本へはいつ来られるんだ?」
 回答を濁し続けていた問題。行きたいのは山々だが、と言葉をつなげていつも同じ返答だけしていた。仕事の整理がつかないだとか、まだこちらで調べたいことがあるだとか。
 それは確かに事実であるし、間違いのない自分の役目だと思う。だが、それすらかなぐり捨てて。いや、すべてをしかと終えてから、同じ大地に立ちたかった。言えば苦笑されることを理解しているから、口には出さない。
「明日チケットを買う予定だ」
「明日の便か」
 即座に問われる。急かしているのは目に見えずとも明らか。
「アポイントが取れれば。今はどの便も日本行きは満席だという話だ」
 水分を含んで柔らかくなった爪が次第に硬質を取り戻す。透明感が失われて行くのを眺めつつ答える。超人オリンピック開催国である土地には、連日観光を兼ねた他国の人口が流入しているという。普通はそれらを予測して早々とチケットを予約するのだが、時間も環境もこちらに味方しなかった。否。それはただの言い訳。手段を選ばなければ、どんなことでも実行可能だ。しなかった、おのれに非がある。
「だからオレがチケットを送ってやると言っただろう」
 恩着せがましいようで、多少責めを含んだ物言い。本気で叱責しようとするなら、わざわざ持って回ったことは言わない。その点は好感が持てる。回りくどい連中と鼻を突き合わせる毎日だったから。
「そうだな。無事取れるよう祈っててくれ」
「オレは待ちぼうけはご免だぞ」
 ふとテンポが休止符を打つ。待つ、とは。
「空港まで出向くつもりなのか?」
 当たり前だろうが、と即座に返る。時間など、空港に行って予約状況を調べなければいつになるかなどわからない。それも、明日には無理かもしれないと言ったにも関わらず。
「出迎えは必要ない。大会に専念することがあんたにとって賢明な判断だ」
「だったらベルを鳴らせ」
 携帯にいつかけても出ないことを揶揄しているのか、命令口調が鼓膜を打つ。
「オレの番号は教えておいただろうが」
 しばし会話が途切れる。思ったことを言うか言うまいか、喉の裏で思考が交錯して。
「あんたは電話が嫌いだと思ったが」
 歯列の隙間から言葉を吐けば、今度は低く鼻で笑う声が届いた。
「かけてくる相手によりけり、だ」
 多くは政府関係者だらけ。支給した張本人さまだろうが、こちらに用がない限りは回線をつなぐことも面倒。であれば、どうして受け取ったのかと尋ねれば。
「おまえも同じものを持っているだろう?」
 だから、話せると。


「ケビン」
 B、の発音は唇に触れない音で。
 そっと囁く。
 淡々とした、散るだけのことの葉。
「オレもあんたに会えなくて寂しい」
 物足りない、とも違う、心の空洞。
 呼吸だけでは、もう埋まらない。


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2002.05.01up

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