second generations ◆ 再会<一>-


 一年という時の流れを考えたことはない。それはすべて時間の繰り返しというだけで、知覚すべきことは周囲の変化ではなかったからだ。いや、この場合理解するのは、と言った方が正しいのだろうか。
 目まぐるしいと言ったほどではないにしても、確かに何かに追われるように日々を過ごしているような観はある。あるいは、故意にそう思おうとしているだけかもしれない。
 ただ、慣習を常と変わらずそう勤め上げるだけ。そこに異変などあるはずがないし、それ以外を夢見ることもない。単調な、そして平穏な月日だった。
 些細なことにあらゆる希望を見出したいと願う者は、自身に開かれた選択肢はゼロではないと主張し続ける。満了してしまったことをまだだと、さもこれからも何かあるのではないかと思わせ振りに、どこまでも未練を引き摺り、他者にそれを強要する。
 しかし、一度無に戻ってしまったのなら、そこから再び派生するものはない。もしあるとしても、残ったものは瑣末な、糸屑のようなものだ。独創性も、奇抜な発見もない。二番煎じでしかないのだとしたら、固執する意味は無に等しかった。
 振り返ることも然り。
 過去に執着するいとまも思考も、趣向すらない。無意味だと断定された時点で、嗜好とすら認識されなくなっていた。
 だから、今も刻一刻と秒を刻む時間の流れなど、そこにあってないものだった。一体現時点がいつの時代で、これからどこへ向かうかも考えない。概念として脳裏にあるのは、一定の歯車だ。余談なく、無から造り出された当初に覚えた使命のようなもの。誰に教え諭されたかもすでに忘れてしまった、精神の根底に流れる理念だった。
 それが、枷として認知されるわけもなく。
 一人で過ごす何億という針の目盛りを数えることも、久しく忘れていた。

 機材を置いた仕事場から、部屋を借りている一軒家に辿り着く。中心部から車を走らせて数時間を要する、電灯の乏しい閑静な一帯に移ったのは、孤独に再び慣れるためではない。なぜなら馴染まなければならないほど、自身は複数の呼気の中で自由に羽ばたいていたわけではないからだ。
 むしろ、何の制約もなしに行動することは不可能なのだから、今のように権力や権威の下で働いている方が幾分楽であるような気がする。必要とされるのは意思ではなく、明晰な頭脳と判断力、そして洞察力だ。私情を持たないことを当然と思われている方が自らの硬質な身心には負担が少ない。人により近い柔軟性を求められることこそが、難解であり、不得要領だった。
 都心から何十キロも離れている土地で、身を休めるためだけに家を借りた。とても便が良いとは言えない環境で、せねばならない仕事があったわけではない。何も考えずに、ただ横になれれば良いと考えた。そして、それは間違いではなかった。
 殊に最近、部品が古びてしまったのか、うまく思考できないことがある。欠陥と呼べるほど致命的なミスはまだなかったが、ふとしたことにこれまでできたことが、回路が途切れたように中断されることがある。
 生まれた当時のまま、全身が何処も取り換えられることなく過ごせるとは思っていない。当時は思いも寄らなかった不具合が、時を経て表面や内側に出てくることは多い。都度修正し、内部を修復・補正することで現状を維持してゆかなければならない。
 進化を求められているわけではなかったが、思考する機械というものはいつでも一定の生産を上から期待されていた。期する効果が得られないと知れば、彼らは容赦なく切り捨てる。そして別の投資に目を向けるだろう。あるいは、すでに方向が変わっているかもしれない。では、これから廃棄されるのか。しかし、無知な物思いに耽ることも、自身には必要ない。見限られれば、それで終わるだけだ。棄てられることに諸々の感傷はない。終われば止まる。その瞬間に対する憧憬も恐怖も、あらゆる感情は生まれる以前の問題だった。
 心がない、と言えばそれまでかもしれない。だが、誰が血の通わぬ頭脳に温かい巡りを期待するというのだろう。
 戸口には申し訳程度の簡易な鍵がかけられている。木戸であるから、その気になればドアを蹴破って中に侵入することもできる。極寒の地の建物とはいえ、あまり環境的には住む人間に親切ではない。持ち主も定かではないような、古い建築物だ。掘っ立て小屋と思われても異論を唱える者はいないだろう。
 内部は当然、荒らされた形跡はない。物色できるほど家財に溢れているわけではないのだから、治安がそれほど良いとは言えないこの地方でも安心して暮らすことができる。もし全財産に等しい価値を持つような小さなチップを固めた四角い箱を所持しているとしたら、自身がそれだった。ゆえに、隠す必要も護ることもない。そして、目的もなかった。自分を扱うことの必要性も、見出すことはない。これからも。これから先も(永遠に)。
 こつこつと窓ガラスを打つ硬質な音に、外で小さな雹が降っていることを知覚した。そういえば、散々夜道を歩いてきたというのに、景色に目を向ける余裕すらなかったようだ。肌寒いと人々が噂する言葉もまるで空言のように聞き流していたが、そういう時季に来ていたのだということを今更のように悟った。
 感覚は、意思が働かなければそうと捉えることはない。合理的な判断を下すのに邪魔になると判別すれば、排除されることが当然だった。愚にも付かないことで思考を鈍らせてはならないと。
 しかし、そうか、と口中で呟く。
 季節が巡ることは不思議なことではない。そこに日々の繰り返しがあるというだけで、時節も数限りない反復でしかない。驚きがあるのだとすれば、記憶にまだ拭い去れない造形が宿っているからだ。
 記録用のデータから消去されることなく、また抹消するよう命じられることのなかった光景が眼前に映し出される。懐かしいという形容よりも、それはただの記憶した事実を整然と並べただけに過ぎず。ふとしたことで思い出す、錯綜した情報の断片が目の前を横切るようなものだった。
 やがて多量の数列に埋没する、あるいは埋め尽くされた、時の流れに前後しないものの一部だった。


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2003.12.19up

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