second generations ◆ 再会<二>-


 玄関と居間が一体となった室内に入り、コートを肩から滑り落とす。吐き出される息も、立ち昇る体温の熱も、外気に触れていたときと変わらない。
 手にした厚手の衣服を椅子にでも放ろうかとした瞬間、ごつごつと戸を叩く音がした。まるで見計らったかのように、分厚い拳骨でドアを鳴かせる。
 今の時分に手袋も履かずに扉の外にいるということは、普通の人間というわけではないのだろう。それとも、他人の家を訪れる際には被っていた帽子を脱ぐように、手に履いていたものも取り払ったのだろうか。よく躾られた、いや、染み込んだ習性だと思う。本人がどれほどそれに憎しみを抱いたとしても、手放せないものというのは確実にあるということだ。深い思慮もなく、本能的に選び取っただけかもしれないが。
 物言わぬサインに、無言で木戸を開くことで応じると、吹き込んで来た冷気に双眸をわずかに見開いた。家の内部と、屋外の気温はさほど変わらないと思っていたのはどうやら誤りであったらしい。風があるかないかの違いだろうと思いつつも、屋根と壁のある空間が有難いと感じた。
「……驚かないな」
 本心でなのか、わざと避けているのかの区別がつかず、大きな変化のない対応に冷淡な感想が呟かれる。挨拶すら交わさぬままだというのに、一年振りに再会した相手は皮肉な表情に顔を歪めるだけだった。
 とはいえ、鋼鉄のマスクの下であるなら、その微細を嗅ぎ取ることは不可能に近い。
「予測できない範疇ではなかったからな」
 こんな寂れた場所に何者かのおとないがあるとは思っていなかったが、もしあるとすれば訪れる人物など数えるほどしかいない。
 可能性として、どれも一割を切るほど低いものだったが、ゼロというわけではなかった。だとすれば、予期していたと放言しても過言ということにはならない。
「おまえに去られた俺の胸中を考えたことがあったというわけか?」
 まさかそれはないだろうと言外に揶揄を滲ませつつ、大柄な男は試すように肩を竦めた。上部から零れる金色の髪が、氷を含んでざらりと硬い音を立てる。
 数秒置いて問われたことに否定を返すと、わかりきったことだと目線を傾けた。
「ここに辿り着くまでの道のりに、大型の単車が乗り捨てられていれば、誰かが来そうなことは予測できた」
 来訪があるだろうと目測を立てていたのは決して当てずっぽうではないことを告げ、中に入るよう促した。
 たとえ簡素な造りの家であったとしても、寒さを多少なりと凌げる建物であるなら、こうして立ち話をするのは効率が悪い。極めて合理的に判断を下して室内に招き入れたのを、男は気遣いだと察したようだ。人間というのは、どうも根拠のないことに感じ入ってしまうらしい。自分に都合良く、と評せば、心がない奴だと怒りを買うだろうか。
「さすがに寒さが比じゃないな」
 自身の故郷と比べ、本当に厳しい土地だと感想を述べる。そうは言いつつも、腕を引き抜き脱いだ上着は何重にも重ねられていたが、前を開け広げていたのだからそれほど堪える寒さではなかったのだろう。見栄を張りたがる年頃であっただけなのかもしれないが、特段違和感を覚えることもなく、脱ぎ去ったコートを受け取った。
「何か用か」
 懐古に耽るために、わざわざ昔組んだことのある者を訪ねて来たわけではないだろう。気分転換のネタにされるのも迷惑であるし、今更道標を乞いに来たのではないだろう。
 関わり合いになるのはあの時点で終わったと、感情のない紅い視線で告げる。契約を果たし終えたのなら、継続も新規も何もありはしない。元より、そんなものを当てにして手を組んだわけではない。
 あの場限りだったのだという事実は、無論相手とて承知しているはずだった。少なくとも、一生をともにしようと誓い合ったわけではない。任務と認識していた上は、そこに情感は加味されない。役目にいちいち私情を挟んでいたら、真の目的を全うすることなど適わないからだ。
 反応を見越していたのか、長身の男はずいと距離を詰め、近距離で向かい合った者を見下ろした。
「口説きに来た」
 おまえを、と名指しする。互い以外に第三者がここにいないとなれば、わざわざ名前で示されずとも誰を目的にしているかは明白だ。許可も異論も必要ないとばかりの口振りは、成熟した大人の、というよりは、王者の風格を漂わせたものだった。確かに、頂点を目指すまでもないような時分から、相手は相応の器量を備えていたが。
 宣言されたことに対して、相応の返答が思い浮かばず無感動の目線を返せば、さらに間を詰められた。外皮よりも幾分温度の高い呼気が、頭部の鉄の隙間から煙のように立ち昇る。
「拒絶は、しないか」
 確認を促すというより、自身に言い聞かせているような感覚がある。大胆にして繊細という気風は、相変わらずであるようだ。
「可否を下しても、おまえの思考する方向が変えられるとは思わないからな」
 こちらの一存で退けられるとは思っていないと答えると、賢明な見解だと笑いが漏れた。
「やはりおまえはおまえでしかないようだな」
 クロエ、ともう一度名を呟く。端的な発想に落胆しているのでも、反発を感じているのでもない。それこそ、返される答を懐かしんでいるような印象がある。長年封じてきたとでも言いたげな、奇妙な感慨を乗せて。
 低い位置にある双眸を金色の視界にしばらく収めていたが、ふとその眼光が残像を残して横に逸れた。辺りを見回すためではなく、順序良く物事を進めるためだろう。取るに足らない動きを分析してしまう辺り、一度身に付いた癖というものはすべてのデータを取り去ってしまわない限り、なかなか払拭できないものであるらしい。
「おまえの居場所を調べるのは、大した労力ではなかったが」
 自分の下を去って、行く先など限られていたと高言する。事実、名を馳せた英国の超人の下へ派遣されたにも等しい存在であるなら、帰る所もまた来た場所と等しい。
 国家間で異例の取り決めが交わされたために実現したことであるとはいえ、国境を越えてやって来たとなれば、相応の大儀を必要とする部署に行き当たる。市民と見分けのつかないたかが一超人であれば調べ上げることも、この国に入国を果たすこともできなかっただろうが、独力で目的を達すことができる者は極限られている。優遇されているのか、大目に見られているのかは別として、名実をしかと手にしているからこそ実現できることも事実だった。
 そういう、選ばれた能力があるからこそ、過度の待遇に預かっているのだという現実は、得た者が知ることはあまりない。その意味で言えば、相手は自分とは対極にあると思った。私を殺して仕えることを当然と教え込まれた者の悲哀であったかもしれないが、実際に誉れを受けることなく魂まで削いで行った者を知っている。表で日を浴びるか、影で別の次元の脚光を浴びるかという、その違いだけだということもまた。
「戻れと言うなら、断る」
 元の鞘に収まることを望むのだとしたら、今という現実がそれだと主張する。元々関わることのなかった以前が、自分にとっての本来の姿だ。役目を果たした後は、無関係に戻ることが正規の在り方だと断言する。
 まるで向きになっていると思えなくもないほど強調された口調に、複雑な感情を浮かべ、青いマスクの下から偽らざる本心が漏れた。
「それは、ないな」
 自分の側にあった頃に戻れとは、断じて言い出すことはないだろうと言い切る。どういう反応を取られるかはわかっていると、語尾を切る。
 何より、昔を蒸し返すことに意義を見出さない性質であることは熟知しているのだろう。体験という資料として口に上らせることはあっても、感傷を引きつけたいがために表面上だけだとしても過去の回想を引用することはないと踏んでいるのだろう。正しい考えだった。
「だから、俺はおまえに提案しに来た」
 辺境から誘い出すためにわざわざ訪れたのではなく、ここに居ながら思い通りにしたいとでも言いたげな物言いに、我知らず眉が持ち上がる。不可解に歪められていながら、その先を促す意思が働いているようだった。
 言葉は、その希望を満たすように先を言い継いだ。
「野良猫を飼い慣らす気はないか」
 もしもその気があればだと遠回しな言い方はせず、疑念も反論も受け付けないと言わんばかりの独断だった。言った側を冷静に見つめ返しながら、らしくもあり、本気で頭がいかれてしまったのではないかと、物騒なことまで思い浮かぶ。
「どいつのことだ」
 その野生の猫とかいう代物は。
 憮然と返された問いに、にやりと口端を歪める様を呆然と見詰め返す。つまり解答は、自身の前に掲げられたままということだ。
 お世辞にも眼前の大男が、あの小さくやわらかい生き物とイコールでは繋がらないが、人の手に慣れていないという点は難解ながらも納得できる。しかし、その珍妙な発案に、何の抵抗もなく頷けるはずがない。
「生憎、他人を養う余裕はない」
 客観的に判じた内心を吐露すると、何を勘違いしていると男は笑った。
「飼う飼わないは、おまえの意思で決められる筋合じゃないな」
 生き死にに奔放であり、同時に過酷である生を生業とするなら、余人の考えなど取り合わない主義だと言い張る。選択権は、家屋に住む人間にはないのが道理だろうと。自主的に餌を与えることも、寝床を提供することもなかったとしても、扉の前で身を横たえることはこちらの自由だと言い放つ。
「生存権に関して配慮する必要はないということか」
 野に生きるものは権利など端から放棄した者だと嘯くように、男は広い肩を竦めた。誘い文句ではなく、飽くまで案であるとはいえ、確かにそれも口説いていることには違いない。
 残念ながら思いつけるだけの明確な反論は、この場にはなかった。慈善家ならば気の毒だと冷たい外から遠ざけるために内側に招き入れることもあるかもしれないが、冷徹な人非人であったとしても気に留めないと宣言されれば、明らかな拒絶など不必要なものだった。
 考えたものだと感心するよりも先に、なぜかその図太さに心惹かれた。
 感動の出所は、自身の頭を解体してみない限り知ることはできないだろう。
「了解した」
 正確に理解した旨を告げると、答えを受ける前に、どかりとソファに腰を下ろした。
 どんな思惑があろうと関心はないとばかりに、思うまま弛緩する自分より体積の大きい者に、ささやかな苦笑をただ浮かべるしかなかった。
 他人の存在を頭の隅に留めたまま、普段と同じ動きをしようとしたそのとき。ぼつりとマスクを被った野生から呟きが漏れた。
「…腹が減った」

 無関係な他者のために食事を作るか否かも、家主の自由。


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2003.12.20up

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