second generations ◆ 駄話-


 覚醒直後に行うことといえば、共寝した人物が隣に寝ているかどうかを確認すること。別段、幼い頃からの習慣ではない。子どもならば、抱いて寝たはずのぬいぐるみを朝探すこともあるのかもしれないが、そういう子どもらしい記憶とはあまり縁がなかった。
 甘えたいのに甘えたがらない。呪われているかのように、自分には許されないことだと勘違いをしたせいだった。
 物心ついてからというもの、厳しく教え指導する姿しか思い浮かばない親父という存在が、呪縛のようにいつも目の前にあった。何をしても選んでも激しい叱咤が飛び、間違った選択をしていなくとも褒めることよりも注釈が先に立つ。うんざりだ、を通り越してそれに憎しみを覚えるようになったとしても、誰も自分を責められないだろう。長い間抱え込んでいた内心を先日再会した母に告白できたのは、本当に奇跡とさえ言っても良いほどだった。
 少年らしいところを時時垣間見せることはあっても、父ロビンマスクの前では意地を通す息子であったと、複雑な表情で彼女は回想した。我が子を精神的に追い詰めていたということをすでに認識しながら、我の強い実父を諌めるためとはいえ彼らと敵対する悪行超人の仲間入りをしたことを責める気はなかったようだ。同時に、夫であるロビンを弁護することも言わない。心根が本来優しい息子が、父親の持つ大儀というものを率直に理解していると信じているようだった。伝説超人の筆頭であるキン肉スグル父子のように、彼らの間で確執はないに越したことはないのかもしれない。しかし、家族というものが必ずしも深い信頼を寄せ合える対象でないこともある。だとすれば、喧嘩をしながら何かを掴んで行ければ良いと。どこか悟ったように、眼を細める彼女が眩しかった。
 と、帰国した当時の状況を振り返っている場合ではない。
 つまりは、一緒に眠ったものを確認する行為は、この年になってから身につけた習性だった。その理由が紛れもなく、最愛の恋人を手に入れてからだということももはや説明する必要もない。
 いつ、どのような手段で、いなくなっているかわからない。信じて眠ることはできないと断言できるほど、身一つで簡単に遠い外国へ旅立ってしまえる相手は、いかなる時でも自分に安息というものを与えない。
 正体がわかってしまえば、要するに自身よりはるかにど大人だということ。長い年月を生きてきた者にとって、何かに執着することはまったく意味をなさないことなのだろう。いや、クロエなる人物が単に物事を合理的に考え過ぎるせいだろうか。
 愛情の有無よりも、必要か必要でないかですべてを判断する。無駄だと思うことが大半であるらしく、周りには目もくれない。彼が持つ『性能』を知らぬ者は高飛車だと腹を立てることだろうが、クロエが興味を持つのは自らの使命と関わりがあるか否かだ。決して、見目が良いとか性格が良いだとか、人間的な側面に留意することはない。そんな、あらゆる物事をゼロか一かの区別だけで斬り捨ててしまえるような輩を、自分という個に縛り付けておくことが可能なのか。
 気の遠くなるような難題と向き合い続けねばならないのではないかという杞憂とは、幸い縁がなかった。無論、そう落胆した験しがなかったわけではない。けれど、難問であるそれこそが自身を奮い立たせる最大の根拠になっていることも事実だった。
 容易く手に入るものが多かった幼少期、自分から欲しいと望んだものはなかった。ある程度手を伸ばすことが可能で、望みを叶えられなかったことは一度としてない。だとしたら、おのれの常識が当てはまらないような怪物を相手にしたとして何の不服があろうか。
 難攻不落の城壁と要塞を持つ人間が、さらにその上を行く高みを征服することに執心する。そのことが身のほど知らずだとは思わない。むしろ、現状でぬくぬくとすることに満足した時点で堕落していると思う。ゆえにクロエを求めることをやめないのは、これ以上はないというほど好みに合致しているとしか言い様がなかった。
 で、その人生最後にして最愛の恋人の所在はといえば。
 珍しくコンピュータを開かず、何やら机上でペンを走らせている。古風なことに、それが羽根のついた筆であることに現実か夢かの判別がつかず、瞬きを繰り返す。
 目覚めたベッドは、自分ひとりが占領しているような有り様だった。部屋の持ち主である当人がどこで寝たかといえば、畳まれた毛布を見るに、恐らく居間のソファ。記憶が定かであれば、確か朝まで同じ寝台の上に横たわっていたと思ったのだが。
「馬鹿を言うな」
 問い質せば、予想を裏切らない答が返った。
「いつまでも自分を離さないような奴の隣で眠れるほどの体力はない」
 大男二人が安心して共に眠れるようにと、わざわざ故郷から届けさせた寝台が、今まで役に立ったことはない。いっそ注文してくれなければ楽に寝られただろうにと本気でそう考えているらしい同居人が眉を顰める様を、遠くから眺めているだけでは物足りず、床に降りる。
 取り合わず、上半身裸のまま机に近付くと、何か用かと見返された。
「手紙か」
 ああ、とクロエが手元に目線を戻す。筆立てにペンを刺し、書く行為を完全に中断したようだ。邪魔が入ったのではなく、朝の挨拶のためだろう。
 許しもなく一枚きりの便箋を持ち上げ、しげしげと字面を眺める。知らず、初めてだ、と声を漏らしていた。
「おまえの書く生の字を見るのは、初めてだぜ」
 常にキーを打つ以外、データを取り出すにしても違う動作を見たことがなかったので、走らせたペンの軌跡をこうして拝む機会を得たのは初めてのことだった。
 もちろん、字を書くという行為は、習慣として身に付けていない限りは誰も必要とせず、廃れてゆく機能だとも言える。欧州の上流階級の人間は、秀でた教養の一つと認識している手前、文字を書くという行為を親しい者に宛てた手紙で慣習付けている。昨今はメールが当たり前の情報伝達の手段であるにも関わらず、字を書くことで自らの教養を示すことが当たり前だった。
 クロエは出身が露国であるため、スペルがその形に近いものが多かった。同じ大陸である以上、祖国の文字にはアルファベットと同様の形はあるものの、やはり生まれが異なれば筆跡の癖というものにも若干の違和感があった。しかし想像を裏切らず、丁寧な綴りだ。写植のように整っている書体が並ぶだけかと思われたが、その字体は手紙であるからこその柔らかい印象を与えるものだった。硬質過ぎず、しかし崩されて読みづらいわけでもない。
 奪われた紙面に見入るのを止めないということは、内容を知られても本人には差し障りがないのだろう。格式張った挨拶から始まる文面をつらつらと読んでゆくと、それが自分の母に宛てた感謝状であることがわかった。
 身に余る好意を感謝します。
 一言で済まされそうな中身を、細心を払うように様様な言葉を引用して形容する。物事に通じていなければ、これほど見事な代物にはならなかっただろう。しかし、だからこそ血が通ってないように受け取られるのは、書いた張本人が彼らと異なる存在であるからだった。
 違うこと。
 生身の超人ではないという事実が、思いを寄せる障害になると考えたことはない。
 もともと超人という種族自体、神が人間たちの平和を守るため、類い稀なる能力を授けたという経緯もある。ただでさえ異色である者が、それ以外に色の違う者を受け入れられない道理はない。むしろ、その不思議を実感するだけだ。
「俺からも礼を言っていたと付け加えておけ」
 もののついでだと、便箋を返しながら要望を述べる。ふ、とその口元に微笑が浮かんだのは目の錯覚ではなかった。
「電話で直接伝えたらどうだ」
 母親には、よく国際電話をかけていたことを覚えているのだろう。通話料金は向こう持ちで、連絡を取り合っていただろうと指摘する。それは多分に、悪くない光景だったとも。
 一番知られたくなかったことを持ち出され、ぐ、と言葉が詰まる。けれど相手は嫌味を言うつもりはないようだ。息子なのだから、女親に甘いのも無理はないと考えているのだろう。自身の弁解としては、あの家でまともな思考回路を持っている人間は、アリサだけだったというただそれだけであるのに。
 一時は父親と一緒に憎んだこともあったというのに、和解をしてからは良き相談者であるとの認識を持つのが不思議なほど早かった。同じ超人を恋人にしているとの告白はまだしていなかったものの、打ち明けるなら母親からの方が良いだろう。何しろクロエとは、自分が生まれる前から面識のある仲だ。
「いいぜ。俺は幸せの絶頂にいると、マミーに報告してやる」
 胸を張って放言すると、じ、と目を見開いたまま見つめ返された。自分たちの間柄を告げられると懸念している様子はなく、台詞の中身に驚いているような顔だった。
 真紅の桜桃よりも深い赤色の双眸に見張られていることに、どきりとする。相手のどこが気に入っているかと言って肉体も性格も含めたすべてだが、今は瞳が好いと感じた。その紅の雫が、ゆるく細められる。
「ようやく年相応に戻ったな、ケビン」
 子どもらしいと暗に言っているような気がして、む、と苛立ちを覚える。
 自身の正体を知ってからというもの、クロエは何かと保護者の立場を取ろうとしているようだった。曖昧だった記憶が鮮明になり、果たすべき役目を明確に悟った後ではそうせざるを得ない現実があるのだろう。パートナーであった相手の倍以上を生きているのだから、道を指し示す良き理解者になろうとするのは当然の理屈だ。だが、自分はそんなものを必要とはしていない。
 体が違い、時の流れが違い、意識が異なるからといって場違いだとは思わない。無理だと諭す条件を挙げ連ねられたところで、失望して背を向けることなどすでに不可能だ。一途であることが子ども特有の無謀な嗜好であるならば、それを貫いてやるのが自分の意地だった。モットーと言うには邪念があり過ぎる、強かな情欲。
 綺麗汚いはどうでも良い。重要なのは、側にいるべきかいないべきかだ。自らの傍らに、思念ではない物体として存在させること。それを最上と考えたならば、侭ならぬ現実を引っ張り出して問答を繰り返すなど茶番にも等しい。
 だからいつまでも、求めることをやめはしない。(終着もないだろう。)

「俺がロビン家と仲良くするようになるのは、おまえの目的の一つだったな」
 正確には、『確執を超えて和解すること』だが。
 実父とは反りが合わないのでいまだ親しみを覚えるほどではないが、実母とは確実に絆を深めている。それを祝福しない相手ではない。そこが、狙い目だった。
「できればおまえの父親が生きている間に、決着をつけてもらいたいものだ」
 そうすれば安心できるのだが、と告ぐ。それは本心なのだろう。そして、そうなってしまえば自分はもう用済みなのだ。
 気の長い話だぜ。
 永久に変わらぬ容姿で存続することのできる生命を憐れむ。
 だからこそ、時を経て出会うこともできたのだと思いもするが。
 手放さないための、一番卑怯な方法を見つけてしまったのなら。
「期待しないで待っているんだな?」
 そうだな、と相槌が返る。どこにも疑問を抱いていない、素のままの本心なのだろう。その時が来るまで、自分に関わらずには居れないと宣言しているも同然だというのに。
 上体を屈ませ、冷たい頬に口付ける。かすかな体温をその接触から感じ取り、昨夜共寝したのは夢ではなかったのだと実感した。


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2004.07.04up

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