この季節が巡って来ると必ずと言って良いほど、要らない来訪者がやって来る。 家を訪れるならば客として持て成し、追い返せば済む。が、殊にそれが私室だと、追い返す以外選択肢がなかった。一度でも入室を許そうものなら、一晩中。最悪朝まで居座られる始末だからだ。 それが、数日間を置いての所業ならばまだ許容範囲ではある。率直な希望としては、一ヶ月に一度。もっと言えば半年に一回が良い。そんなことをつらりと返せば、ふざけるなと怒号が飛んだ。そんなに非効率的なことを言った覚えはないのだが、怒髪天に付くほどの強烈な怒りを買ったのはつい最近のことだ。 しかし、当然怒鳴られてばかりいるわけには行かない。何しろ無体を言っているのは向こうなのだから、叱咤を受けるのはお門違いと言うものだ。大体、双方の歩み寄りがあって初めて成される事柄であるのなら、一方的な意見は殆どお仕着せに近かった。 もはや何度目かの溜め息かもわからぬ落胆を吐き、ひとまず部屋の敷居を跨がせた。正確には、強引に跨れたのだが。 椅子の背もたれを足の間に挟み、部屋の主は持参した枕を抱えたままベッドに腰を下ろした大男と向かい合った。 「……ケビン」 自分としては常になく声のトーンを落とし、話しかけた。もしここに第三者がいたら、お母さんに説教をされんとする幼い馬鹿息子と映ったことだろう。それに賛同する気はないが、そう勘違いされても不思議はないだけの情けなさがあった。無論、相手の側に。 「今日で幾つになる」 言うに事欠いてそれかよ!!!とツッコミが飛びそうだったが、会話の切り出し方としては本心を吐露するのが一番直接的だった。遠回しに説得したところで通じるとは端から考えていない。ただでさえ駄々っ子をあやそうと言うのだから、少しくらい手厳しくとも恨みに思われる筋合いなどなかった。 二十と幾つだと返され、平坦な声音を返す。 「事情はわからないが、いい加減程度と言うものを理解しても良い頃だろう」 わかりやすく語りかけているはずだが、羽枕の角に顎を埋めたままこちらを見据える側に変化はない。気を荒げるわけでもなく、じっと凝視を続けている。その目の焦点が合っていないことに気づくまで、約数分を要した。 「おい…?」 思わず腕を伸ばし、肩を掴む。がっしりと厚みのある筋肉が蓄えられた強肩は、一掴みで握りきれる代物ではない。それがしきりと震えていることにクロエは紅い目を丸くした。 まさか、目前の超人が怯えているとは夢にも思わなかった。 しかし、この男が。ロビン王朝などと仰々しい看板を背負い、名実ともに超人の頂点を極めていると言っても過言ではないこの若者が、何に対して恐怖を感じているのだろう。人間が怖いのは、地震と雷と火事と親父だと聞く。まさか超人にもそれが当てはまるのだろうか。某キン肉族の王子は代々、そんな些細なことにも敏感に反応を示していたが、果たしてロビン一族も同様なのだろうか。 疑問符がマスクからぽんぽんと飛び出し、クロエはあからさまに腕を組んで考え込んだ。そんなことを思考したところで明確な答が得られぬことは考えるまでもない。しかし真剣にセコンド兼保護者を自負する者として、親身にその身を案じた。もしケビンの脳味噌にカビが生えていたとしたら、それを除去しなければならない責任もないとは言い切れないからだ。 所詮超人も生ものだと結論を下す辺りが、何ともロボ超人だと言わずばなるまい。 「細胞にカビが生えないようにするには湿度を一定に保ち、適度に乾燥剤を撒くことが重要だ」 何とか搾り出した打開策に、は?と苛立ちすら込めた言葉が返った。 「…つまり、何かあったのか?」 ごほん、と咳払いをし、じ、と相手を見据えた。先ほどより幾分正気を取り戻したらしい顔色を察し、わずかに安堵が胸裏を掠める。こんなところでトチ狂われては迷惑だと思ったからではなく、常にない状態に対処する方法が思い浮かばなかったからだ。大体、先刻の尋常ではない様子は何だったのか。勿論、自身とて怯えや恐怖と無縁ではない。絶対的な力の差の前には、本能的な戦慄を感じる。元来戦うことを目的にプログラムを組まれた過程がある以上、実力の差というものに対する感受性は恐らく弱くはないのだろう。喜悦を感じるのも、恐れにしても、そこに感情の原点があると言っても間違いではない。 「おまえは何も感じないのか…?」 今度はあちらから問われ、何のことかと数回瞬いた。 「夜が怖いと感じることはないのかと聞いている」 「ない」 強い調子の即答に、蒼いマスクの超人は閉口した。あまりに馬鹿げたことを聞いてくると言わんばかりの態度に辟易することすらできなかったのだろう。 「俺の方こそおまえに聞きたい」 鋭い視線を投げかけ、クロエは畳み掛けた。 「何をそんなにビクついている?」 「ビクついてなどいないぜーっ!!」 図星を指されたような一言に、消沈していた眼光が一気に爆発する。それくらいの挑発で勢いが戻るのならば、あまり深刻に考える必要はないようだ。切々と説いてゆけば、もしかしたら今日は大人しく自室に戻ってくれるかもしれない。説得力には自信がある。殊に相手が我侭なお坊ちゃんなら尚更だ。 しかし向こうは、抱きしめた枕を放そうとはしない。 豪腕にぎゅうと抱きかかえられた枕は、無論ケビンの物だ。殊勝にもこちらの寝具を占領しに来たわけではないのは見上げた心遣いだが、ベアーハングをされたように真っ二つになったような羽枕を一向に手放そうとしないのは、どういった心情の表れなのか。本人は否定したが、そのうちマスクの口元からガチガチと歯の根の合わない音が聞こえてきそうな様相をしている。 『怯えきった子うさぎちゃん』とは間違っても例えたくない、厳つい覆面の超人は、やはりどう見ても平常心ではなかった。 しかし、言葉で語りかけたとしても本心を語ろうとしないのなら、早々に無視する方が賢い選択であったのかもしれない。まだ眠るのには早い時間であるし、片付けていないデータの整理をしようかとクロエは背後を振り返ろうとした。その腕を、強張ったような五指が留める。 「情けない野郎だと思っているんだろう?」 ああ、と正直な感想を漏らしそうになり、寸でのところで口を噤んだ。神経質になっているらしい男には、些細な真実すら鋭い棘となるだろうことを予測し、無言で見つめ返すだけに留めた。どうやらようやく内心を語る気になったのだろうと思い改め、崩しかけた体勢を整えた。 椅子の背もたれの天辺に両腕を預け、その上に顎を置く。聞いてやるから話せと態度で促し、ぽつりぽつりと語り出した言葉に耳を傾けた。 ケビン曰く。この時期にはアレがやって来るらしい。 アレとは何だと問う声に、ガタガタと青い超人は震え出した。 ケビンマスクの故郷は、いわずと知れた大英帝国だ。名誉ある一門として、国内だけでなく諸外国の間でもその存在は有名だ。青年自身が勝ち得た名声だけでなく、代々彼の一族は英国代表として地球や人々を守る大役を担う名家だった。当然、長い歴史の中には耳を覆いたくなるような陰惨な出来事もある。何分故国自体に、それと思しき名所が数多く残されている。育った屋敷やジムの周辺に、それらの曰くありげな建造物が建っていたとしても不思議はない。クロエ自身、仕事の都合で諸国を旅した経験はある。近づかない方が良いと進められた場所も少なからずあった。しかし、その理由というものに本当の意味で対面した験しは殆どない。 だが、ケビンはあると言う。 震える両肩を視界に納めながら、ここは嘆息を吐くべきか黙って慰めるべきかを逡巡した。 幽霊やお化けの類いなど、超常現象とさして変わりはないと諭したところで怯えきった男に通じるだろうか。実際、自分の原型であるプログラムの持ち主がこの世ならぬ世界に身を置いていたという経緯がある。そのため亡霊などとは一種の近親感を持っているなどと言ったら、本当に昏倒し兼ねない。意識を失ってくれるのは部屋が静かになるので構わないが、運び出す手間と労力を考えたら大人しく帰ってもらう方が無難だった。 しかし、一人では寝られないほど夜を恐れているのなら、寝かしつける方が簡単であるかもしれない。形は立派な成人男子でも、ケビンの心には思わぬほどナイーブな側面がある。無情な発言をしてとことんまで落ち込んでしまう前に、何とか克服させる必要があった。 けれど、どうやって。 親しみを覚えると言っても、そういえばいたかもしれない程度にしか自身とてそういうものたちを知覚してはいない。自らが死の世界というものに飛び込んだわけでもないのなら、それらの感覚も又聞きに近いものがあった。だが、いつまでも恐れているわけにも行くまい。 そもそも、なぜここまでケビンマスクなる超人が怯えなければならないのかについて疑念は尽きない。刷り込み、だろうか。かなり根深い部分に根本的な原因があるのだろうと解釈した。 思い切って、クロエは『アレ』について尋ねてみることにした。正体を探らねば、良い手立ても思いつかないだろうと考え、肩を落として丸くなったようなケビンの後頭部に声をかけた。 「アレとはどんな形をしているんだ?」 問われた事柄に対して、ケビンはもぞもぞと口を動かした。 アレに出会ったのは、まだ家を出る数ヶ月前。屋敷の中にあるトレーニング・ルームで一人腹筋を鍛える鍛錬をしていたところだった。外は雨がやたらと降り、昼だというのに辺り一面が真っ暗な日だった。反復運動に没頭していたので明かりをつけることすら失念していた矢先、それがいきなりやって来たと言葉を切る。 片言であるがゆえに全く想像できない光景に、クロエはただ無言で話を聞くしかなかった。 べたり、と雨音ではないものがガラスに張り付いたような音が窓際で聞こえ、ストレッチの回数が丁度一巡した時、その窓を覗き見た瞬間、そこにあったものに断末魔のような悲鳴を上げて少年ケビンは卒倒したと言う。 自身の情けない過去を語るのは非常に屈辱だろうと思ったが、当人は当時の恐怖を押さえ込むのに懸命で、そんなことには気を割いていられなかったようだ。無論、クロエが気の毒だと思ったのは昔のケビンに対してであり、立派な若者となった現在の男に対しては同情すら沸かなかったのは言うまでもない。 トラウマなるものが、どんなに時代を隔てても同じような逼迫感を経験者に与え続けるのだという話はよく聞く。しかし、とクロエは黙考した。 探偵などとおこがましい役柄を気取ったわけではないが、何かその手の経験を自分もいつかしたのではないかと思うところがあったからだ。実際には同じものではなかったかもしれないが、似たような記憶が回路のどこかで眠っているように感じ、顎を押さえる。 見たかもしれないという発言に、ぎょっとしたように蒼の面が上がった。 どこでだと問われる声音を思考の隅に置きながら、クロエはしばらくの間じっと固まっていた。 そして結論が出たとばかりに、やおら白いマスクを持ち上げた。組んでいた腕を開き、ぽんと、拳の下と掌を合わせる。 「安心しろ、ケビン」 何を安心だと心中ツッコミつつ、不可解な色を宿した双眸で男はその顔を見上げた。 「それは、おまえの父親だ」 変装を得意とするロビン王朝の現当主は、時々相手に悟られぬよう窓の外からトレーニングの様子を窺う習慣がある。愛妻にも止められたが、あらゆる格闘技をマスターした才能の持ち主が、隠密行動を得意だと思い込んでいたことはあまり知られていない。ばっちり弟子と息子に目撃されているとは、さすがの覆面の貴公子も思わなかったのだろう。それが運悪く、悪天候の中だったのでこの世ならざる者のように映ったのだ。 呆然と、蒼いマスクから覗く金色の眼光が点になった。次いで、ぶるぶると恐怖ではない震動が全身を伝り、噛み締めた歯の隙間から搾り出したような怒号が響いた。 「変態親父が…!!!!!!!」 息子も大差ないとは、物言わぬクロエの本心。 |