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李功(りこう)という男、その誘い(いざない)

 総帥は外出中です、と。
 剃髪の下の力強い太い双眉が印象的な男は抑揚のない調子で告げた。


 黒龍拳の門弟に愛想がないのはいつものことだが、妙だな、との一抹の感想を抱く。
 頑強な拳士が李功の所在を口にしたきり黙り込んでしまったからだ。
 まさか白華での噂がこの土地にまで届いてはいないだろうなと勘繰りたくなってしまうほどの仏頂面だ。
 確かに自分は黒龍の指導者である李功以外とはほとんど話をしたことがないが、口を利くのも憚られるような態度を取られる謂れもない。
「どこへ行ったか尋ねたいんだが」
 近くであるならこのまま待つかと思案した上での問いかけだったのだが、その言葉でさらに相手の渋い面を引き出してしまったようだ。
 外面には決して出さないが、心中でため息を吐きたくなる。
 白華拳と黒龍拳の間には四年前の事件という軋轢が存在していたが、それよりも前から黒龍の門弟たちの間には共通の認識として打倒・白華という目標が掲げられていたらしい。
 自分たちが修行中の身であることを承知した上で野心や野望を持つことは禁じられて然るべきはずであるにもかかわらず、だ。
 それを刷り込んだのは、過去に西派最強の拳法家として名を馳せていた先代の黒龍拳の指導者だったあの男。
 いまだにその呪縛から逃れられないと言うか、今もなお敵視したくなるほど、白華が西派の中で大きな存在であるのだろうとも考えられる。
 ただ、言うに及ばずだったが、そんな他門派の対抗意識というものにはかなり昔から免疫がついていた。
 これ以上相手から引き出せる情報はなさそうだと早々に諦めて、出直すことを考え始めた矢先、聞き馴染んだ声が背に届いた。


「趙(しょう)」
「李功」
 この門派を束ねる当人の登場によって、一番安堵したのは誰だったのだろう。
 白い足首を覗かせた靴の先で石畳を踏み、艶のある黒い髪を揺らし見慣れた容貌が近づいてくる。
 普段通りの涼しげな眼差しと笑みを履いた様相だったが、李功が公式の装いだったことに少々面食らった。
 近くで立ち止まるまでを待ち、声をかける。
「用はもう済んだのか?」
 出かけた先での用事は終わったのかと尋ねると、まあな、と照れたような苦笑が返った。
 次いで、これから門弟たちに稽古をつけなきゃならないと告げられる。
 予想していたことではあったが、様子からも、どうやら李功が朝から里を出ていたらしいことが窺える。
 李功にしてはかなりの遠出だったのであれば、やはりここは一旦白華の里に戻り、日を改めた方が得策だろうと思ったが、久しぶりに顔を見れたことが何よりもうれしかった。
 だからこそ。
「稽古が終わるのを待っていてもいいか?」
 その後で余力があれば手合わせを申し出る気でいたのだが、その心配はなさそうだった。
 いいぜ、と。
 弟子たちの手前、あからさまな笑顔ではなかったが、李功は清々しそうな目元を綻ばせ破顔した。


 黒龍拳の公式の稽古を始めから見学するのは今回が初めてであったかもしれない。
 李功本人との演習が毎回の目的であったので、一派のすべての拳士を細かく観察する機会は少なかった。
 先の指導者であった王き(おうき)の失脚とともに、黒龍の門弟たちは一時、数を減らしたと聞く。
 その中には若くして総帥の座に就いた李功に反目する者や、刑罰に服している王きに義理立てをした輩が大半を占めたのだろう。
 しかしそのおかげで人の数こそ少なくなったが、小規模ながらも門派そのものの結束はかなり強くなったのではないのかと感じる。
 若い李功を中心として彼より年上で大柄な拳士ばかりが肩を並べているが、一人につき必ず一つの奥義を体得させ、技を研磨させるやり方は、王きの時代から受け継がれた修練の手法だった。
 けれど、李功があの男と違うところは、自らの疲れ知らずな体力を有効活用して、稽古をつけた門弟が納得するまで付き合う点だ。
 一般的な指導者であれば当に限界に達していてもおかしくないだろう長時間の反復に何ら疲労を覚えず、常に一定の力で応えてやれるところだろう。
 他の門派の師範でさえ到底真似できないであろう所業を易々と、しかも連日やってのけるのだから、彼に従っている者たちは幸運だと言えた。
「……………」
 打ち込みやかわし、勁(けい)を扱う上でのポイントなど、端的だが的確な指摘と動作で示し、次々と数をこなしていく。
 李功と会わなかった間にも、そのやり方に明らかな進歩があることを認め、内心でわずかな嫉妬を覚えつつも、そこにかすかな喜びを感じないわけではなかった。
 数年前から西派拳法界の中で唯一のライバルとして一目、いやそれ以上を置いているからこそ、相手の目に見える成長は確実に刺激になっていた。
 自らのこれまでと現状を顧みて、及ばない部分はないかを改めて熟考する。
 自身が担当する白華の門弟たちへの技の教え方の参考にならないかどうかを吟味し、具に記憶に留めるよう努力した。



 最後に残った拳士につける稽古が終わった頃には太陽が沈みかけていた。
 夏という時節のおかげで大分日は長いが、これから李功と拳を交わすことになれば夜に差し掛かる可能性もある。
 しかし特別な計らいで公開での手合わせを李功が進めてくれたようだ。
 こちらも黒龍拳の修行の様子を側で見ていたのだから、それに見合うだけの実のある実戦の様を披露しなければならないだろうと納得し、折っていた膝を伸ばして立ち上がった。
 先に演武場に上がっていた李功が、くい、と整った白い面の上に刷かれた眉の片方を上げる。
 すでに封印の札を施した上着を脱いで、半裸の状態だ。
 数十名の弟子たちを次々と相手にし、疲弊したはずの体力を回復させたことを認め、自分も最初から全力で飛ばすつもりで頭巾を取った。
 瞬時に全身を覆った膨大な気の力を御すため、深く息を吸い込み静かに吐き出すと、李功もまた片腕を眼前にかざし、闘いの構えを取った。



 何本かの試合が終わった時には案の定夜が更けていたが、夜道であっても走って行けばまだ白華の村に帰りつくことができるだろう。
 手早く支度を整えようとした背後で、李功が彼の弟子といくつか言葉を交わしていたようだ。
 やがて李功以外の気配が消えると、足音が近づいた。
 振り返る前に声をかけられた。
「今から戻るのか?」
「ああ。急いで帰れば間に合うはずだ」
 時間が遅くなることは黒龍拳の稽古が始まった当初から予めわかっていたことだったので、問題はない旨を告げる。
 すると李功は困ったように唇を噤んだままの状態でぐにゃりと歪めた。
「……?」
 あまり見慣れない反応だったので反射的に目元をしかめると、ふいと目線を逸らされた。
 好い意味でも悪い意味でも人目を引く綺麗な容姿の親友の奇妙な動きを見咎め、自然と首を傾げる。
 まだ何かあるのかと尋ねる前に、李功が顔を横に向けたまま口を開いた。

「泊まってくか…?」

 耳にした瞬間、え?、と、聞き返すことすら忘却してしまった。




-2014/01/11
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