Shin Jungle no Ouja Ta-chan_novels|_趙李topへ
李功(りこう)という男、その寝所で

 部屋に踏み込んだ際の第一声を言葉にするなら、想像以上に簡素な部屋だ、というその一言だ。
 椅子も机もない、あるとすれば奥行きの浅い背の高いだけの棚と、衣類棚、そして長いカーテンで仕切られた寝所だけだ。

 つまんねーだろ、と李功は言った。
 意外だと思ったのは、物がないおかげなのだろうが、室内が清潔に保たれていたことだ。
 相手の大雑把というか思い切りが好過ぎる面を多々見てきただけに、雑多なものが溢れているのではないかと思い込んでいたのだが。
 唯一違うと思ったのは、壁に飾られているいくつかの写真だ。
 色褪せているものもあれば、真新しいものも。
 古いものは、切れあがった眼光の寡黙そうな男と、十代にすらなっていないのではないかと思われる幼い親友が並んだ写真。
 かつての師であった王き(おうき)を囲み、黒龍拳の高弟たちが集まったものもある。
 一番新しいのだろう、下の方にかけられた額には見覚えがあった。
 飾っていてくれたんだな、と尋ねると、当たり前だろ、と鼻を鳴らしてこの部屋の主は答えた。
 白華拳の未来の大道師を中心に、錚々たるメンバーが顔を揃えた大祝賀会で撮られた一枚だ。
 それから、今年の旧正月に撮ったものも。
「おまえならもう気づいてるかもしれないが、ここは元々劉宝(りゅうほう)が使ってた私房なんだ」
 どこか緊張をしたような面持ちで李功が種を明かす。
 やっぱりそうか、と胸中で独白する。
 無駄の一切を排除したような完璧な室内。
 光を取り入れるための飾窓は大きく、壁に彫られた装飾は華美ではないが重厚だ。
 落ち着いているが、全体的に暗い。
 まだ十代の相手には大凡似つかわしくないとまで言うつもりはなかったが、李功が黒龍拳の最高指導者としての責務を負うに当たって読んでいると聞いた膨大な量の技術書や古文書が見当たらなかったので、それらは別の部屋に収納しているのだろう。
 予想通り、先代の総帥だった王きの私室だった場所にまとめて締まってあると説く。
 李功があの決別以来、実の兄のことを名前で呼ぶようになったことには早くから気づいていた。
 血を分けた兄弟ではあるが一方的にとはいえ縁を切られたのであれば、やはりそれは他人になったということなのだろう。
 しかし、黒龍の中では前の最高師範として活躍していた地位と名声が残っている。
 李功が兄を名前で表わすようになったのは、歴代の強者の中の一人物として挙げている旨を他者に示すためだろう。
 歳の離れた肉親に溺愛されていた弟としての複雑な思いが今もなおその胸の中に存在することを知っているので、それ以上追及する気にはなれないが。
 劉宝の数少ない私物が恐らくこの古ぼけた写真なのだろう。
 他は処分したかもしれないし、門弟の誰かに下げ渡したのかもしれない。
 傍らで黒龍拳の過去の指導者たちの姿を真摯に見つめる親友の横顔をそっと盗み見る。
 気が発する光熱によって乾かされたであろう黒髪は均等な長さの影をその頬に落としている。
 伏せられることのない強気な眼差しに添えられた長い睫毛が真っ直ぐに伸びている。
 意思の強固さを堅持するような整った眉も。
 薄くはない唇は血色の好い艶を保ち。
 李功、と名前を呼ぶと、柳眉を軽く持ち上げ、一度瞬きをしてからこちらを見た。
 前々から言いたいと思っていたんだが、と継ぐ。
 頭ごと横を向き、正面から捉えられたことを確認し、自身の感情のままに口元に微笑を浮かべる。
「………おれは、おまえと家族になりたいと思ってたんだ」
 馬鹿な話かもしれないが、と自嘲する。
「………………」
 驚いた、という風に李功はその澄んだ瞳を丸くしたが、すぐに、そうか、と返事を返した。


 見たこともない故郷も、会ったこともない親兄弟にも興味はない。

 薄情かもしれないと思うが、血縁者であってもそれらが白華の大道師や自身の成長に関わった者たち以上の重みを感じないことも事実だった。
 昔から考えていたのは、おそらく自分はこれからもひとりなのだろうということ。
 西派が誇る勁(けい)の良き使い手として、師範として、自らが属する門派やその村人たちから必要とされていることはわかっているのに、それが真実であるのかどうかの実感は、本当の意味での実感は、限りなくゼロに近かった。
 今はわずかでも感じることができるようになったが、それでもまだ、これが現実なのかがわからなくなる時がある。
 本当に必要だったのは、おのれが欲する愛情というものであって、他人がどれだけ同じものを注いでも、満たされるという心の動きがない。
 人が生まれながらに持っている心底に秘めた温かだったはずのものが、疲弊しているのか、凍結しているのか。
 何も求めていない、何も期待しないと自覚しているはずなのに、理性が持つ強制力とは別の孤独感をいつもどこかで抱えていた。
 その理由を知ったのは、自分と同じように一人で生きて行かなくてはならなくなった相手を見つけた時。
 だが、李功自身は自分は一人ではないと言うのだろう。
 育った土地には同じ黒龍拳で生活をした仲間がいる。
 生まれついての異能であっても、実力や力量を競い合うのとは別のところで彼らの輪の中に受け入れられていたことを知っているからこそ。
 あるいは自身ほど頑迷ではなかったからこそ、孤独との認識はないのだろう。
 しかし、師も兄も、隆盛を誇ろうとしていた門派の威信さえも奪われ、衰退した黒龍拳と残った門弟たちの行く末という未知で不確定な重責を背負わされた稚い李功を見て、ああ、と感嘆する部分があった。
 自分と同じなのだと。
 情況は全く異なっているというのに、ただ単純な一念が確かにあった。
 他人ほど遠くはなく、身内と呼べるほど近くはない距離で見守り、助言をしようと思い、努めてきたが、いつか思うようになったのはそんな些末なことだった。

 李功と家族になりたかったんだ。

 李功は拒むこともなく、再び眼前に飾られた数枚の額を見上げた。
 その横顔がぽつりと漏らす。

 そうだな、と。
 昔から誰とも結婚する気はなかったけど。
 叶うならば。
「おれもおまえとだったら、家族になっても構わねえよ」






 本当は、その肢体を抱え上げて運びたかったのだが。
 絶対に地面から足を離さないいつもりの険しい剣幕の李功に根負けをし、仕方なく手を引いて寝所に辿り着いた。
 なんでこの場面で意固地になる必要があるのかわけがわからなかったが、相手にも男としてのプライドがあるのだろう。
 まさか鍛え上げた筋肉の量に倣って体重が常人よりも重いことを気にしているのではないだろうが、抱き上げて閨に運ぶくらいは大目に見てくれてもよかったのにと、うらみがましく思わないこともない。
 けれどそんなところも李功らしい。
 男で、拳士で、柔らかな部分などひとつも持ち合わせていない。
 門弟たちと比べればたとえ体格的に見劣りしていようとも、若くして大丈夫としての才覚も素質も備えている。
 堂々として譲らない気の強い性格も。
 こちらが本気で命令をすればその気性すら折ってしまえる唯一の弱点も。
 邪気のない心からの笑みも。
 全部が真実いとしいと思える。

 前髪の生え際から額の竜の文字、米神を伝って耳の輪郭、そのゆるい曲線を。
 瞼には一切触れることなく唇で辿る。
 瞑目している相手はその動きだけでも敏感に気配を察し、息をかすかに詰めていた。
 回りくどい前置きは飛ばして、長椅子の上に押し倒した上体を両腕で挟み込むように囲み、流れる横髪を指で梳きながら淡い愛撫を繰り返す。
 普段は外気に剥き出しになった肩は薄手の生地で隠れている。
 そこへ布越しに口を押し当て、一度だけぎゅうと体を抱きしめる。
 徐々に性急になる欲望の暴走を抑えるためと、李功に心の内を伝えるためだ。
 この緩慢で億劫な時間でさえ相手にとっては心身ともに居た堪れない状況なのだろうことをわかっているからこそ、辛抱を強いるために肩口に鼻先を埋めて深呼吸をする。
 性交を重ね、互いに次の段取りをわかっているから、焦りたくなる心中も理解できる。
 自分は随分と性格が悪いな、と嘲りたくなるのも無理はない。
 昔からどうしても李功にだけは、すんなりと目的のものを掴ませる気にはなれないのだ。
 結局最後には、いじめるなよ、と。
 途切れ途切れの呼吸の合間に、同じ台詞を引き出してしまう。
 いじめているつもりはないのだが。
 自覚がないからこそ意地が悪いのだという向こうの見解はこの際寝間の外へ置いておく。

 灯りのない室内であるにもかかわらず暗闇の中でもその姿を知覚することができる。
 できない分は手探りで肌の上に掌を滑らせれば、返る反応と触覚から知らされる形ひとつでそこがどこであったのかを認識できる。
 肌蹴させた胸元にいくつかキスを落とし、五指を開いてふくらみを端から支えるようにして人差し指でゆるく持ちあがった突起を撫でる。
 一瞬触れただけでびくりと肩が竦み、自身の額の位置にかかる相手の呼吸が深くなった。
 最初は舌の先端で。
 湿らせる回数が増えて行くにつれて口腔全体で。
 皮膚ごとそこを吸い上げると、歯列の隙間からようやく声が聞こえてきた。
 何度か短い声音が発されても、離すことなく唾液が李功の上を伝うのも構わず胸への愛撫を続けた。
 さすがに限度を超えたのか、肘から下を動かした李功に太い上腕を掴まれ制される。
 胸、吸うの、好きだよな。
 片言の言語しか操れなくなってしまったかのように、幾分上気した頬で親友は評した。
 しかし応答など端から期待していなかっただろうことを見越して、もう片方の手で無防備なままの先端の縁をなぞると、喉を鳴らして身をのけぞらせた。

 一度前に触れて李功の望むままに溜まった熱量を解放してやると、ベッドに横臥し、隣で息をつく相手の脇から腕を伸ばしてその肩を抱く。
 携えてきた潤滑油の瓶の蓋を片手で難なく開けると、見咎めるように李功の双眸がしかめられた。
 用意周到だと思ったらしいが、それがなければ困るのは双方同じだ。
 無理矢理繋がっても李功の力があれば行為の最中であろうと傷を癒すこともできただろうが、そこまで獰猛な欲求でもない。
 こう言っては心証を害するかもしれないが、面倒な手間というのも目的が明確になっている以上、男にとっての楽しみのひとつになり得る。
 器用に片手で指を濡らし掌に適量をこぼすと、冷たい液体を体温で温めてから李功の後ろに押し当てた。
 ふくりとした隆起のある腿の間を撫でるようにして軽い力でひっかくと、さらに李功の背が撓る。
 執拗に何度も入口の周りを指の腹で撫でつけてから、一番太い指を曲げ、窄まった箇所に潜り込ませた。
 本能的な動作で押し返されるところを知った手管で封じ込め、内側の湿った粘膜を慣らすように前後の動きを付け加える。
 李功が拒んでいないのは、自然と後ろへ突き出された下肢の動きだけでも充分に知れる。
 余談なく鍛えられた上半身と幾分細身の下半身をつなぐ腰骨は同性だから持つ妖しい色気を放っている。
 動きに合わせて胸を上下させ、息を継ぐ姿をすぐ横で注視されていることも忘れ、受け入れる指の数と質量を全身を使って確かめていた。
 直接的な刺激を与えられるようになってから、確実に李功自身が前戯を楽しんでいることが知れた。
 その様子を捉えるとともに密かに口元に笑みを浮かべ、表面に汗を滲ませた李功の体のさらに奥深くを探る。
 一旦引き抜いた指を今度は二本揃えて潜らせると、包み込むように腸壁が収縮した。
 感想を脳が弾き出す前に自身の肉体がその淫靡さを痛感し、思わず瞼をきつく閉じる。
 ここで理性を手放すわけにはいかないのだから、言葉では形容しづらい忍耐を強いられる作業だ。
 李功は早々に抑制から解放されているのかもしれないが、自分は、まだ。
 足元から火で焙られているかのような焦燥感と大量の血流の凝固を中心に感じながら、膨大な量の勁(けい)の力を操る時と同じように口を開け牙を見せ始めた自身の欲望を制御する。
 冷静さを保つことに自信があったわけではないが、李功の後孔をゆっくりと攻めながら、タイミングをずらして水音を断続的に早く立てると、堪らず動かしている腕を掴まれた。
 はあ、はあ、と荒い呼吸を繰り返し、透明な液を浮かばせた李功の長い睫毛の下から見つめられる。
 互いに限界が近いことを察し、三本目の指を追加すると、腕を回した李功の腰を引き上げ、背後から攻めた。
 逃げ場を与えないように下肢を捕えられて、李功が額をシーツに押しつけて嗚咽を堪える。
 繋がるよりもあからさまな欲求を体現したような恰好に、多少の羞恥心に火が点いたのだろう。
 くびれた腰の下の臀部の丸みの間を攻め続けながら、その光景を真上から見降ろしている自分もそろそろ覚悟を捨てる時機が来ていることを悟る。
 温かな箇所から濡れそぼった三指を引き抜き、李功の足を跨いだまま下衣を取り去る。
 腰布を引き抜いた時点で相手も気づいていたのだろう。
 のろりとした動作で片腕を立て、自力で正面を向いた。
 太股の下から脚を抜き、ゆるゆると膝を立てる。
 普段であれば、ここで下るのは李功からの来いよ、という、なけなしの余裕を滲ませたような熱の籠った一言だ。
 けれど今は口には出さず、一度擦っただけで頭をもたげ始めたこちらの下腹部を見ている。
 次いで、見事な起伏の腹筋と分厚い胸筋を辿り、肉付きの良い肩から太い首、顎の上。
 真っ黒な瞳を見上げてくる。
 趙(しょう)、と。
 音にはならない懇願を舌の先に乗せ、鼻から抜けるようなため息をこぼした。
 二つの膝頭を掴み、間を開かせる。
 西派の拳士は毎日反復する鍛錬によって関節が柔らかい。
 女のように開かれ、それよりも奥まったところに先端を押し当てられ、名を呼ぶ声が一旦止んだ。
「………欲しがっていいぞ………?」
 同じように深呼吸を繰り返しながら、その合間に問いかける。
 いつもみたいに、横柄な口調で誘えばいい。
 親切に促したのだが、それが李功の気に入らない意地の悪い行動だったらしい。
 低く、交尾狂いの情婦じゃねえんだぞ、と悪態をつかれる。
 だが、この雰囲気では少しも挑発しているようには聞こえない。
 李功の下の口に宛てたまま、鼓動に合わせて脈打つそれを肌に直接伝えていると、堪りかねたように膝に乗せた手の甲に温もりを重ねられた。
 なあ、と。
 猫なで声とは言い難いが、寄せられた眉間が切なげで、影になった眸が黒い縁の奥で揺れる。

 ―――――なよ。

 そんなつもりはないんだが。

 それを証明するために、李功の視線を捉えてにこりと目だけで微笑んだ。




-2014/01/13
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