勃ってねえ、と言葉でも態度でも李功が主張する。
肌理の細かな白い肌に浮かぶ、墨汁よりも鮮明な黒の柳眉を逆立て。
ほとんど癖のように、眉間に鋭い縦皺を刻んで。
ああ、そうだな、と、受け流してしまうには、あまりに魅力的な姿だった。
自分も随分と、破廉恥な性質に生まれ変わってしまったものだ。
それとも、これは元々持っていた性格の一部だったのかもしれない。
「けど、どう見ても普段より硬くなってるように見えるぜ?」
白華の師範としての品性を一瞬でも疑われそうだと一抹の懸念が胸をよぎったが、極力淫靡さを押し殺して、件の場所を一瞥する。
ちらりと投げかけられた頭上からの視線すら、針で刺されたような感覚を得てしまうのか、険しい表情だった李功の顔が先刻よりも明確な熱を帯びた。
真っ直ぐに伸びた黒い前髪の下、端正な容貌の頬が朱に染まる。
確かに、普段着であれば、物によっては上等な生地を用いることもある。
礼服は勿論、冬用の衣服であればそれなりに分厚い布地を使用する。
村人たちの場合は上着の下に肌着を身につけているのだが、西派の拳士は修行中という立場上、素肌の上に直に服を纏うことが多かった。
各派の道着や拳法着などが良い例えだが、李功の場合も例外に漏れず、やはり直接裸の上に身にまとっていることが多かった。
大道師である蓮苞(れんほう)との接見であれば、公式の装いをすることが常だったが、西派三十二門派最強と自他ともに認める梁(りょう)に教えを請う時は、鍛錬時のままの恰好で訪れる。
今もそうであるのだから、無論、透けるほどではないが、質としては中の下くらいの布地の上着を身につけていた。
一旦力を使えば、肌を覆う衣服が、李功の並々ならぬ気の力によって破損することが頻繁であるという理由もあるが、正確には、詰襟などの窮屈な服装が生来苦手な質なのだろうと考えている。
自由奔放な性格だと断言するつもりはないが、そうなのではないかと邪推してしまうほど、生糸にしろ人間にしろ、その手の類に縛られることが嫌いであるようだ。
常識として演習の場以外では露骨に裸になることはないが、二人きりの時に肌を隠そうとしないのが良い例えだ。
自分を空気か何かと勘違いしているのではないかと勘ぐってしまいたくなるほど、羞恥心というものが欠如している。
あるいはそれが、李功なりの、最大限に自身に対して胸襟を開いていることの証であったのかもしれないが、明るい部屋の中で露出した肌膚を見せられるこちらの身にもなってほしい。
平静を装うことは可能だが、不意に視界に入ってきた時はいくら親友とはいえ、どきりとさせられる。
日常の生活の中に、裸体の人間が突然出てきたら、誰しも我が目を疑うものだ。
最初は驚き、目を瞬かせるかもしれないが、最終的には誰もが眉をひそめるだろう。
自分とて同じ気持ちだ。
しかしその後で、若干の後ろめたさとともに、李功との情事を連想するのはおのれだけだろう。
「……っ見るんじゃねーよ……」
小さな舌打ちとともに、下から睨み上げる李功が憎らしげに口を開く。
望まずに注意を促された胸の突起のことを指していたのだろうが。
「……見てない」
おまえの顔を見下ろしているだけだ、と告げると、バツが悪そうに一瞬瞼を伏せかけたが、気を取り直して横を向く。
口を不機嫌に歪め、拗ねたような横顔を見せる。
こういう仕草を、愛らしいと思ってしまうのは、自身の頭がどうにかしているからだろう。
「……………」
なんで、と低い呟きが耳に届いた。
「………なんで、わかるんだよ……」
普段よりも、と言った、先の発言を蒸し返してくる。
はっと、両目を見張ったのは、何かに目を奪われていたかららしい。
「……………それは」
返答がわずかに遅れる。
多少であっても緊張をしていることを、相手に悟られないように言葉を継いだ。
言ってしまってよいのか、数瞬とはいえ考えたが、最終的には是と理性は判断を下した。
「いつも、見てるから」
見ているからだ、と、語尾を切る。
「………?」
あからさまに、再び眉をひそめた鋭い目つきで睨まれる。
こちらの真意を尋ねているのだろう。
間違っても李功は、ふざけるなと憤っているわけではないという事実を知っているのは、長年の付き合いの長さと向こうに対する、自身の持つ知識の豊富さゆえだ。
胸を見ているからだ、と言われたわけではないことを、李功もわかっているのだろう。
ずっとおまえを見ているから。
おまえの顔を。
姿を。
髪も。
横顔も。
腰も。
太股も。
鼻筋、耳介。
しっかりと細部まで鍛え上げた肩。
そこから続く筋のひとつひとつ。
おとがい。
くちびる。
「……おまえがいつもと違えば、気づけるさ」
気づくことができる。
どんなに些細な変化でも。
今のように。
「…………………」
口説かれてでもいるとでも思ったのか、今度は李功が黙り込んだ。
先ほどよりも、さらに膨らんだ両頬の赤みが増したように見えるのは錯覚などではない。
「……あー。……わかったよ」
おまえの言う通りかもな、と続ける。
何に対しても偽ることのない李功らしく、幾分声音は籠っていたようだが、こちらの指摘を仕方なく受け入れたようだ。
「少しは……感じてた」
「…………………………………」
そうか、と辛うじて返した声は、かすかに掠れていたかもしれない。
その後、暫くの間沈黙が続いた。
「…………………………………」
「なん……」
先に口を開いたのは、だんまりに堪りかねた李功だった。
「何だよ…」
どうして黙っているのか、と問うてくる。
咄嗟に返事が出て来なかったのは、常態では決してあり得ない思考が脳裏を占めようとしていたからだ。
「……………………」
黙り込んでいる自身の外見が見る間に変化していく様を捉えたのだろう。
李功の容貌に、呆れたような、訝るような色が映し出される。
「…………おい、趙……」
なんで、と李功は言った。
どうして、茹で上がった蛸のように赤面しているのか。
「……………」
こういう場面では、相手に読心の術の心得がないことを恨めしく思う。
いや、ない方が得策なのか。
「…わからないか…?」
意を決して、こちらから問いを投げかけた。
「……?」
束の間、李功は顔に疑問符を浮かべたが、悟ったように口を開いた。
「わからねーよ。……はっきり言ってくれねえと」
おまえのように人の心の機微に敏いわけじゃないと付け加える。
確かに。
相手も梁と同じく、策略と本音を使い分けてはいるが、仔細な違いから人の心情の変化を読み取れるような素質は持ち合わせていない。
だからこそ、自らの長所を活かした交渉術に長けていることは自明だが。
「おまえに、欲情………してるんだぜ……?」
躊躇いながら、できるだけ言葉を濁そうとしつつ。
けれど、誤魔化すことなく本心を明かす。
「……!!!!!」
李功の眼球の白い部分が増える。
大きく見開いた両眼は、しかしすぐさま顰められた。
「おかしいだろ!?」
声色は大分慌てているようだったが、至極尤もな感想を訴える。
「わざわざ大声で言うことじゃないだろ」
たしなめるような口調で見下ろすと、李功は途端に言い淀んだ。
「それは、そうだが…………」
それに、と言い継ぐ。
「想いが通じた相手に触れたいと思うことは、やましいことじゃない」
理屈で李功を屈服させる意図などなかったが、向こうはどんな受け取り方をしたのだろうか。
反論が帰って来なかったのは、こちらの意見を認めた証拠なのだろう。
「………………」
どこに、だよ、と苦み走った声音が届いた。
触れたい、と思ったのは、どこのことを言っているのか。
「………………………………………」
さすがに答えられなかったが、返答の代わりに素早く李功の額に接吻して離れると、笑い顔を無理矢理押し殺したような表情で、相手は切れ長の目を極限まで細めた。
(仲良し)
-2014/07/13
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