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満干の毒(その潭)
 体奥におのれの形を刻む時間は、長過ぎても遅過ぎても駄目だ。
 早漏は問題外だが、遅漏であっても受け入れる側を満足させることはできないからだ。
 しかも、相手は他でもないココ本人だ。
 また何の前触れもなく、赤い毒素が体内に滲み出してくるとも限らない。
 何らかの原因があるのだろうが、心地好過ぎても身内に潜む毒が活発化してしまうようだ。
 大抵の興奮物質は、喜怒哀楽の区別なく同じように分泌されるのが、その根拠となり得るだろうか。どちらにせよ、嫌がっても善がっても、毒人間であることに変わりはないと表するのが真実なのだろう。
 やべえな、と。
 声に出すことで逸る性的な欲望を宥め賺し、張り付き蠢く自分より幾分細い四肢を抱く。
 片方の腕を背に回し、荒い呼吸のまま黒髪の波間で揺れる鎖状のピアスに向かって鋭い囁きを放った。
「…行っても、良いか?…」
 降参とも取れる台詞を告げる羽目に陥るとは予測していなかったが、どうやら限界はすぐそこまで来ているらしい。
 端から生理的な欲求を束縛する意思がなかったため、相手に対して正直におのれの内情を明かすと、開いた唇からココも承諾の意味を漏らした。
「いいよ、…。ボクも…」
 ブラックアウトしそうだと。
 聴覚をそのまま揺さぶるような低く煙った密なる声のトーンで耳元に息を吹き込まれた瞬間、ぞわりと何億という単位の虫が、広い背中を一気に這い上がった。
 ココの皮膚に噴き出す汗と体液の匂いに急かされるように、獣のような忙しない呼吸音を響かせて、広げた両脚を下から掬い上げ、重たい尻肉の奥深くに凶暴な機関を押し込む。
 激しい抜き差しを繰り返す度、顔の側で急くような息継ぎが聞こえ、くぐもった悲鳴のような音を幾度も飲み込む仕草が性急になった。
 眉間を顰め、瞑目した目の裏にばちばちと白いスパークの前兆が見えた瞬間、鋭い牙を食い縛り、眼前の肉に喰らいつきたい衝動を抑えつつ、狭い直腸の奥を掻き分けて射精をするのが精一杯だった。
 腹の内側に迸る粘液を深々と受け止めた相手は、発作のような痙攣に襲われ、青い後ろ髪に鼻先をうずめて何度も嗚咽を漏らした。
 鍛えられた腹筋が波を打ち、内股の筋肉の収縮とともに、遅れてココもシーツの上に劣情の痕を放った。
 あとに残ったのは濡れたように重くなった手足と気怠い疲労感。そして、それらを覆い尽すほど絶大な、満ち足りた気分だけだった。


 脱力した身体を片手で抱えてベッドに横たわらせると、草臥れた声が遅れて耳に届いてきた。
「………中に出せとは、…言っていない………」
 壁際を向いて呟きを漏らした黒頭の当人は、汗に濡れた腕で自身の肩をするりと抱いた。
 煙が欲しくて寝台を降りた場所で、思わず聞き返したのは慣習だ。しかし言われた中身を即座に解し、肯定の意味で首肯をする。
「聞かなかったからな。おまえは答えてないと思うぜ…?」
 持参した葉巻樹の枝を歯で咥え、素っ裸のまま、火打石を弾くような音を指で鳴らして火を点ける。
 深々と息を吸い込むと、肺臓と脳にかすかな麻酔の作用が行き渡った。
 椅子があったので適当な位置まで引き寄せ腰かけると、美食屋の中でもヘビー級と評される二三〇キロの体重を受け止めて、か細い脚がすぐさま悲鳴を上げた。
「……………………」
 不貞腐れたように黙ってしまった相手に構わず、手近なところにあった棚から若草色のタオルを引っ張り出し、体中に浮いている汗を首から順に拭って行った。
 倒れたまま身じろぎすらしないのは、疲れて寝入ってしまったためではないだろう。
「後始末はしてやるから、そのまま寝てろ」
 どうせ立つこともできないんだろうとの皮肉を言外に含ませつつ、ふう、ともう一度鼻腔から紫煙を吐いた。
 一仕事終えた時ほどの倦怠感はないが、やはり骨が折れるという感想が適当だ。しかし、満願が成就された際のように心残りは何一つ残っていないのだから、ココを相手に極普通のセックスだったと言えなくもない。
 あとは、明日の朝に遅効性の毒がどの程度の影響を心身に与えるか、だ。
 脱いだまま放置していた下着を探し、身に着けようとしたところで、今更のような台詞が返った。
「………冗談は、……おまえの、飽食を知らない…食い気だけにしろ…」
 本来の力が戻ったわけではないだろうに、言っていることは普段と変わらず辛辣だ。それほど余力があるのだと思えば可愛いと表せる部類の反骨精神だが、ここはココの望むとおりにしてやるべきなのだろう。
 臍を曲げられても一向に構わないが、好きな煙草を吸えたことなので穏便に済ませてやることにする。
「…ほらよ」
 肩にかけたままだったタオルをベッドの中心へ放ると、自身を抱いていたココの腕が高度を下げて落ちる前に柔らかい布を空中で受け止めた。
 そのまま白い手が身体の下へと下がり、見えない場所で独特の淫猥な動きを見せる。
 尻は丸見えなんだがな…。
 掛け布団は当の昔に跳ね除けて落としてしまっているし、近くで見るよりも離れた距離から眺めている方が、事後処理の光景はよほど卑猥だ。
 好い見世物なのでそのまま放っておいたが、用が済んだのか、やがて熊が冬眠から目覚める時のような緩慢な動作で、むくりと起き上がってきた。
 顔つきは依然として仏頂面であるのに、水分を含んで米神や頬に張り付いた黒い頭髪が艶かしい。
「…珍しいな。こんな時間まで意識があるなんて」
 いつもならそのまま朝まで眠っているはずだが、今夜はなぜか酒気が抜けるのが早かったらしい。
 いや、舌足らずな物言いであるということは、まだ成分が分解されずに残っていると推測をするのが正解なのか。
「…………慣れて…来たんじゃないか…?…………おまえの、…その…」
 うつらうつらと寝言のような本音を漏らしかけ、わずかに正気が顔を擡げたのだろう。
 これ以上は失言だと遅まきながらに勘付いたのか、ふるふるとココは小さな頭部を横に振った。
 ぱらぱらと透明な光の粒が剥き出しの肩や胸に落ちる。
 ボクは、何を…、と呟きながら、外気に晒された額を長い指で押さえてそのまま固まってしまった。
 一人芝居が面白くて腹を抱えて笑い出しそうになったが、咥えた枝を落とさないよう指で挟み、裂けたような口元を歪めて笑いの形を作った。
「…結構なことじゃないのか、ココ?」
 不器用なおまえにしては上出来だと、上機嫌な調子でからかうと、今度こそ本当に癇に障ったのだろう。汚れたタオルをぶつけるようにしてこちらへ返すと、床に落ちた布団を頭から被ってそのまま寝てしまった。
 立腹したのか、単なる照れ隠しなのか。
 わけがわからないのは、ココもなのかもしれないな。
 くすりと一つ笑うと、煙をくゆらせたまま、開け放った窓辺に近づいた。
 孤高のように佇む住処から見える傾いた月は、すでにその姿を隠そうとしていた。




「ネオトマトの…」
 果汁絞りをくれと、茫然と寝台の上で起き上がった白い肢体が言葉を紡ぐ。
 眩しい朝日の中で生の肉体を拝むのは、実に数か月振りだ。
 忙しい仕事の合間に顔を合わせたとしても、裸の付き合いをしたとしても、ココ自身にわずかでも理性が残っていれば、絶対に他人の前で肌を見せる失敗を見過ごすことはしないからだ。
 誰が見てもわかるくらい、しっかりと隆起を示した筋肉は、大量ではない分力はないが、しなやかで素早い働きをすることを自分は知っている。
「昨夜全部、俺が食っちまったぜ?」
 内容の濃い情交の一夜で空いた腹を満たすために、蓄えてあった食糧は果物も野菜も残らず平らげたと答える。
 環境的に毎日狩りをするわけにはいかないだろうココの家には、常備食が豊富に揃っていた。普通に市場で出回っている調理済みの製品もあったが、当人が料理し加工した品も数え切れないほど蓄えられていた。
 自分などは生の肉を焼いて食べたり、食べ合わせを独自に考えるくらいで、貯蔵しておくためのその手の手間を獲った獲物にかけることは滅多にない。
 調味料や、嗜好品である茶の葉や実に至るまで、家の棚や保管庫はココ自身の知識と技術を凝縮した美食屋の資料室と言っても過言ではなかった。
「………………」
 閉口しているのは怒りのためではなく、ほとほと呆れているからに他ならない。
 ココが口にしたかったのは、一般の作物とは別に報酬金がかかるほど、一般の市場では入手不可能の野菜であり、当人が称する美食屋のフルコースメニューにも加えられるほど気に入っている食材だ。
 肉類を好む自身とは異なり、相手は青物などの草食系が好みであるらしい。
 しかも、知恵を絞り手段を考えなければおいそれと手に入れることすら困難な難物が好きであるらしいので、得意な分野がまったく重ならない稀有な同業者でもあった。
 ここで嘘を吐いても詮がないので、ないものはないと断言すると、ココは無言のうちに大きなため息を吐き出した。
「……おまえが来ると、ボクが苦労して手に入れた食材が、あっという間に底を突く」
 代わりに増えるのは、アルコール臭い酒瓶の山だけ。
 稼業を占い師に変えてからというもの、町に構えた店を休まないでほしいという顧客からの要望があり、頻繁に外へは出かけられなくなっているのに、と目覚めの時特有の茫洋とした声音で呟いた。
「俺だって、勉強はしてるつもりだぜ?…ココ」
 稀にしか訪れることはないが、こうして一緒に朝を迎える都度、学習はしていると説く。
 そうは思えないと言わんばかりの胡乱そうな視線に晒され、やれやれと朝の一服を口にしながら、肩を竦めた。
「毎回、おまえんとこの食糧を食い尽しちまうのは、悪いと思ってるからな」
 半分は冗談だが、と心中で嘲笑いながら、咥えた煙草の横から言葉を継ぐ。
「だからこれから、ちょっと狩りにでも出かけようと思ってるんだが…?」
 だったらさっさと行け、という、汚いものでも見るような目つきで睨まれ、くっと口端を持ち上げる。
 にやにやと脂下がったような笑みを浮かべ、ぐるりと頭を肩の上で一周させるように大木のような首を回した。
「そのための褒美があれば、最高だと思うんだが。……ココ」
「…、おまえ…………」
 自分の立場がわかっているのか?、と非難がましい声音が返ってきたが、本来であれば客分はこちらだ。
 持て成す相手が違うだろうと揶揄すると、道理は通っていると考えたのか、ココは発言を聞くなり口を噤んでしまった。
 理論的な側面から攻めた場合、十中八九、こちらの術中に落ちるのが長所であり、短所だというのは、内心での相手に対する冷静な評価であるというのは余談だが。
「…………まあ、」
 全身を預けていた壁から身を起こし、ベッドの上の白い半身に近づく。
「良い物を見られたから、この場はチャラにしてやるけどな?」
 すいと伸ばした太い指で、引き締まったココの腰を覆っていたシーツを摘まみ、その中身を覗き込む。
「…………!」
 こういう時だけ反応に若干の誤差が見られるのは、果たして偶然なのか必然なのか。
 飛んできた拳を難なく避けて後方へ一歩下がると、こんなところでまで食いしん坊にならなくて良い、と気色立った怒声が張り上げられた。
 わかったわかったと、両手を上空へ持ち上げて了解の意を示し、景気良く大きな音を立てて寝室のドアを開け放った。
「朝食のリクエストは…?」
 ココ、と再度名を呼び、促すと、脂ぎった食べ物はいらない、と吐き捨てるような台詞が届いた。
 夜とは雲泥の差であるココの態度に小気味良い手応えを感じつつ、声を上げて大らかに笑いながら部屋を出た。
 おまえに限って、と小さな独白のような音を背後から耳が拾い、その尾を空気の微動が伝える。
 大丈夫だとは思うが、気をつけろよ、と。
 顔を背けながら漏らしたのだろうささやかな本心に苦笑を誘われ、反面わずかな抵抗を抱く。
 温か過ぎる世界では、恐らく、自分もココも長くは生きられない。
 だからこそ、

 この滾り凍て付く血流そのままのような毒の潭を、手放すわけにはいかない。




-2008/12/06
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