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侵凌者の理由
 男同士の性交について備わっていた知識は、ほとんど皆無と言っても過言ではない。
 その認識については、常に余裕のあるトリコとて同様だろう。
 初めてだとトリコが言っていた研究所脱出時の夜の記憶は、自分にとってはゼロに近かったが、手探りのように身体を繋げた印象は、認めたくはないがおぼろげながらある。
 一方は意識を失って脱力し、片方は初心者で。当時の状況を想像したくはなかったが、恐らく抱いている側にとっては間怠っこいことこの上なかっただろう。
 学習能力や飲み込みの速さは同僚の中でも明らかに群を抜いているが、美食屋として秀でた素質を持っていたとしても、色恋の方面では同じとまでは行かなかったようだ。
 元々、一度目の交合は疲弊した自身に生きる活力を与えるためでもあったので、快楽そのものの追求は後回しだと言えた。
 すでに神経の色んな場所が麻痺していたので苦痛を感じた覚えはないが、むしろ受け手よりもトリコの側の方が非常な忍耐を強いられた行為だったのかもしれない。
 ただ、先回の経験や苦労を踏まえ、二度三度と、確かに技術は上達したはずだ。
 あまり思い出したくもないが、痛みには慣れていた手前、射精に至る道程そのものが難儀だと感じたことはない。相手も生の食材を扱うことにかけては他者に引けを取らないだけに、生傷を与えないよう、危険を回避、若しくは軽減する術には長けていたというお蔭もあった。
 元より、単純明快な男の身体だ。どこをどう刺激すれば本能だけで興奮するかなど、お互いでなくともよく知っているのが現実だ。
 他人に自らの恥部を曝け出して、同性同士で各々の快感の追求に没頭した験しが、過去になかったとは言えない。
 気休めにもならないのは、要するに精神的な面だ。
 生来性欲は強い方ではなく、生理的機能に問題があるわけではなかったが、男でありながらそれとは真逆の努力をしなければならない境遇に追い込まれることになるとは、今の今まで考えが及ばなかったのが真実だ。
 女のように眼前で足を開き、受け入れる真似事をする羽目に陥るとは、夢にも考えたことはない。
 むしろ、その点に関しては、トリコにとっても似たような節があるだろう。
 単刀直入に性欲を処理するためだというのであれば、協力をして自慰に耽るのだと思えば、それなりに割り切ることも可能だったはずだ。
 なのに、そうだと断られたこともなく。
 気づけば、二日目の夜も前夜同様に身体を繋げていた。
 抵抗をしなかったわけではない。終始仏頂面で下から睨み上げていたのだが、それでも相手は本懐を遂げることができたようだ。
 ただの棒切れのように横たわっていただけで、セックスが成立してしまう尋常ならざる事態に、体力がわずかに回復した頭の中で、この状況を冷静に捉えることに専心していた部分もないわけではなかった。
 なぜ、こんなことになっているのか。
 そしてこいつは、何のために種族繁栄にもならない、こんな真似を続けているのか。
 米神に汗を伝わらせ、口元に薄く笑みを浮かべながら、恐ろしく真剣な眼差しをしている。
 無限と思しき食欲を感じた時分の羅刹の如き表情ではなく。
 どこか図るような、深い熟考をしながら突き上げているような、今ならば嫌味のひとつでも冷笑を浮かべながら飛ばせるような、それほど神妙な面持ちをしていた。
 その後の三日目の夜については、思い出したくもない。
 何にせよ、この正常とは言い難い馴れ合いの四度目に、今正に及ばんとしている。
 どうしてそれほどまでにあっけらかんと。
 普段と変わらぬ気楽な面持ちと態度で言い切ってしまえるのか。
 おのれの思考が及ぶ範疇に、その答がないかのように。歴とした真相が、暗黙のうちに語られているかのように。
 まるで無言のうちに思いを告げられたような錯覚を覚えてしまうほど、当然のように振る舞い、組み敷く。
 意識のない間。あるいは、常に。
 注がれる視線や、慎重に齎される言葉の端端に、トリコなりの細心が払われていたのか。
 その事実を正視する日が、いつか来るのだとしたら。



 支えるものがないことに気づき、空いた手を裸の背に回す。
 九〇キロを超える体の上半身を支えるために片腕で縋っても均衡を崩すことなく、隆起した筋肉が一度だけ掌の下で盛り上がった。
「……っ…」
 息を詰めて声を殺してはいるが、その動揺が今度は肉体の反応として明らかな動きを誘う事実が気に食わない。
 大きく振れた下半身に視線を落とし、ぴんと張ったような眉を撓め目を丸くする仕草が、心底腹が立つ。
 そうしてにやにやと、幾分大人しめな笑みが見返してくる。その過程も業腹だった。
「……一々、見なくて良い…」
 煮え湯を飲まされた顔つきで歯の隙間から苦みばしった声を漏らすと、だったら、顔でも見ているか?、と食い下がられる。
 言葉で勝てないというわけではないが、相手を黙らせるだけの切り札を持っているわけではない。
 納得するか、合点するか。
 前者はかなり低い確率で成功することはあっても、トリコとの会話はおのれの意に副わない選択を促されることが専らだ。
 灰汁の強い連中に流され過ぎると揶揄されることもある自らの気質に問題があると思いたくはないが、トリコの聞き分けのなさは、四天王と周囲から称される仲間内では一番だった。
 本人が決定を下した事項に対して一歩も譲らないという理念を持っているからに他ならないのだが、相手をする身となれば話は別だ。
 尊重をしてやりたくとも、豪放磊落な性格とある種の天真爛漫さは、自分の主義とは相容れない。
 どんな主張があっても、他者を巻き込むようなやり方は性格的に好かないし、友人らを放任する身勝手さも気にいらない。
 責任能力がないわけではないだろうが、放棄していると思わされる言動を感じる度に嫌な思いばかりをしてきた。
 そんな奴に許さなければならないものがあることに、心底から不満を感じていた。

 開いた下肢の間で動く指の感触にぞくりと背筋を震わせ、唇を噛み締める。
 馴らさなければ結合は疎か、挿入も難しい部位に施す前戯は丁寧で卒がない。
 優れた食材を最大限上等な状態で食さんと欲するのは、プロの美食屋ならば基本中の基本の心構えと言っても良い。
 こんな下らないことにその本領を発揮してもらっても有難いのか迷惑なのかはわからないが、言えることはひとつ。
 ただ、早くこの時間が終わってほしいという切望だけだ。
「……はあ…、…」
 少しずつ息を吐き、ゆっくりと胸部から酸素を抜いて行く。
 トリコの背に回している爪先に極力力が入らないよう、指の腹で肌を掴んだ。
 溌剌としたエネルギーが漲った筋肉の感触とその性能の良さを熱い体温からも感じ、悔し紛れに口端を歪ませた。
 捲れ上がった口唇から白い歯列が覗き、それを見咎めた青髪の男が精悍な頬に薄く笑みを浮かべる。
「おまえが協力してくれれば、一発で済むんだが?…ココ」
「…っ、ふざけるな」
 これ以上どうやっておまえに協力的になれば良いんだと胸の内を吐露しようとして、奥で触れた箇所がどこかを悟り、思わず仰け反った。
「………ッ!!」
 お、ビンゴか?、とさも愉快そうな笑い声が耳に届き、何を当てられたのかを瞬時に知覚することができなかった。
 体中の熱が一度上昇したような感覚に視線をさ迷わせ、相手の顔を見ようと首を傾けた瞬間、第二波が襲ってきた。
 どくんとひとつ脈が大きく振れ、続いて襲ってくる刺激に過敏な神経がすぐに悲鳴を上げた。
 あ、あ、と断続的な声を放ち、回した腕に力を込める。
「…好い恰好だ、ココ」
 無防備に喉を反らせて仰向けになった額から、緩んでいた包帯が崩れ、落ちる。
 逆立ったような短い黒髪の濡れて窄まった先端が揺れ、含んだ水滴をぱらぱらとシーツの上に降らせた。
 下から上着の裾を捲り上げられ、剥き出しになった豊かな胸筋で光る汗の粒に、機嫌よさげに笑う目が映る。
「…ト、リコぉ…っ…」
 忌々しげに睨み付けたくとも、理性が肉体の変調に追いつかない。
 まるで咽び泣いている人間が出す声だと自らを罵りつつ、振り上げようにも自由になる片方の腕は股間に伸びた男の手首を押さえることに躍起になっている有様だ。
 性急ではなく、緩慢ではないからこそ、その無駄を省いた一連の動作に嫉妬すら覚える。
 焦り、焦げ付いたような焦燥を感じているのは自分だけで、平素と変わらぬ落ち着き払った頭で見下ろされているのかと思うと、居ても立ってもいられなかった。
「トリ……っっ」
 やめてくれと恥も外聞もなく嘆願していたのは、むしろ無意識の本能だったのだろう。
 見たくないものを見せられる窮を全身で告げ、おのれが最も長じているはずの視覚の及ばないところで壁を引っかくようにして蠢く指を制止するよう頼み込む。
 こんなものを望んでいるわけではないと、勘違いをした自尊心が、場の支配者の采配に縋る。
「そいつは、聞けないお願いだな…」
 だって、そうだろう?、と至極真面目な声調が鼓膜を奮わせた。
「…このまま放置した場合、一番辛い状況になるのはおまえなんだぞ」
 それとも自分で指を入れるか?
 ここまで、と含みのある声色で告げて、敏感になった部分に綺麗に切り揃えた爪の先を当てる。
「…ッ…」
 他人には到底聞かせられないような嬌声を上げて、身を引き攣らせる。
 臍の下方では、すでに血が溜まり、凝固した熱がびくびくと脈を打って反り返っている。
 裸の腰を抱きながら後ろに忍ばせていた左腕ではなく、膝を曲げたままシーツの上を這っている足や腿を布越しに時折撫でていた右手が突然その根元を握った。
「これじゃまるで、俺がおまえを苛めてるみてーだな。…ココ?」
 弄るように緩く裏と表の両方を撫でられ、呼気が詰まった。
 台詞を聞くなり、違うのか、と涙目で睨み付けた先の相貌が、この期に及んでもまだ純粋で清潔そうな笑顔を貼り付ける。
 その口から、挿入れて良いか?、とかすかに弾んだ息とともに低い音調で尋ねられ、即座に自身の置かれた現状を伝えた。
「…む、…理だ……っ」
 尻窄みになる声音が我ながら情けないと叱咤しつつ、首を横に振って訴える。
 こんなに激しく感じている状況で、その上後ろの穴に馬鹿でかい質量を捻り込まれて、ただで済むわけがない。
 その主張は、わずかだがトリコに通じたらしい。
「これだけ立派な尻なのに、ここは普通だからなー……」
 第二関節まで収めたところで、片手で表面の丸みを握り、逆の二本の指で両脇に肉を広げられ、呼吸が喉仏の奥で尖る。
 うーんと暫く顎を押さえて思案を巡らせた末、やっぱ三本目が必要だな、と納得してもう一本分の体積を加えた。
 前置きもなく、感じていた閉塞感が本物となって下腹部に迫り、動きを抑制するために伸ばしていた腕が、居場所を探すように、見事なまでに筋骨を蓄えた相手の腹部や胸を引っかいた。
 微々たる律動しかしていないというのに、まるで大きな杭で下から突き上げられているかのような想像に促され、知らぬ間に下半身が前後に大きく揺れる。
 トリコ、トリコ、と馬鹿の一つ覚えのように名前を繰り返し呼んでいるうちに、いつのまにか額に大きな汗を浮かべていた鋭い眉根の男の双眸とぶつかった。
「行って良いぞ、ココ」
 過度の反応が勝り、バランスをうまく取れない上体を支えるように、外気に晒された額ごと頭部を肩に挟んで、か弱げな生き物に対する時のような優しげな声で囁かれた途端、閉じた瞼の裏で何かが弾けて落ちた。
 絞った声で際を訴え、半端にずらされただけの下衣を履いたまま広く温かい掌の中に精を放った。
 濃く、どろどろとしたものが独特の青臭い匂いとともに吐き出され、屈辱よりも白光の熱に眼球ごと脳味噌を焼かれる。
 長く続いた責め苦がやっと終わったという安堵とともに、何もかもを忘却できるかのような、一瞬の錯覚。
 だが、呪われた肉体は忘我を耽溺することを許さなかった。
「…………」
 浮かび上がった水の膜で霞んだ視界に滲んでいたのは、肌の上に花弁を開いた紅の華。
 案の定、どこかで理性を総動員して防ぎながらも、結局は制御が利かなかったのだという最悪の現実に視神経が硬直し、先刻の絶頂すら冷たいものへと変貌する。
 これ以上接触し続ければ相手に危害が及ぶ確率が格段に増すと判断し、精一杯の力を込めて覆い被さる体を押し退けようと腕を突っ張った。
「……!?…」
 体内から数本の指を退かせながらも、頑として動かない重量に驚いて顔を傾けると、ふう、とひとつ深呼吸をした戦友と再び目が合った。
「こりゃ、のんびりしてられねーな」
 ココの反応が好過ぎて思わず時間を食ったと、わけのわからないことで自身に言い訳をしたかと思うや否や、断りもなく常人の数倍はあろう重い体重が圧し掛かってきた。
 スプリングが文字通り鈍い音を立てて軋み、宙に浮いていた背中がシーツと密着するなり、開脚した足の間に普段はあまり感じることのない他人の熱を感じた。
「…トリコ…っ、待て…!」
 まさかこんな、半分服が脱げかけた半拘束のような状態で及ぶつもりかと質そうとして、返答代わりに太腿の付け根に太った亀頭を押し付けられる。
 思わず怯み、突き出した顎の辺りを見上げると、男は自然と溢れてくる唾液を数回に分けて嚥下した。
 こういう場面には、幾度か遭遇したことがある。
 日常的に四食五食は通常メニューである相手が、常食以外に食欲を覚えた時。
 二人でチームを組んで、難敵に当たったこともある経験上、極上の品にありついた時のトリコ独自の昂揚感を表していたのだろう。
 長時間お預けを喰らっていた子どもが、ようやく食事を胃袋に収められると思った瞬間の安心などではなく、それよりも頭二つ分以上抜きん出た欲望。
 日頃から飢えを感じている人間が、体力や精神力を磨耗させ、魂が磨り減ってもなお求めんとする、貪欲な業。
 なんでそんなものを、自身と性行為に及ぶ場で目撃しなければならないのか。
 今現在の境遇を客観的に噛み砕くこともできないまま、膨らんだ双つの丘の割れ目に爬虫獣類を思わせる腸物の先端が移動して行く。
 すでに先走りでぬめっているのか、皮膚の手触りや弾力を確かめるようにして触れてくる形容し難い感触と形に、思うように舌を動かせなくなった。
 そうしている間にも、気に入りのパンツを器用に片腕を使って脱ぐと、擦りつけた性器の持ち主が、急に狭くなった視野を覆った。
 自らの唇の端を口中から伸ばした舌先でちろりと舐め、やがてトリコははっきりと宣言をした。
「…こっからは、きっちり、協力してもらうぜ」
「……!?」
 聞き返す暇すら与えず忍び込んできた圧倒的質量の塊を拒むように、体を揺らし、反射的に口を窄める。
 前触れもなく、不意打ちのような真似をされれば、訓練によって磨かれた防衛本能が作用するのが常套だ。
 故意ではないことをお互いに自覚していたのだが、ち、と小さな舌打ちが聞こえたと思った途端、口唇を割られて無造作に節榑立った長い指を入れられた。
 そちらに意識を奪われ、瞬きを数回繰り返している間に、強い反動とともに同じ男としてよく知った生身の肉塊が、狭い入口を掻い潜り、尻から体内に入り込んできた。
 とんでもない大きさだと思ったのは、自身の下の。要するに、出口であったはずの直腸のサイズが人並みであった所為もあるのだろう。
 一般の人間をはるかに凌駕した有能な性器を常態で拡張されることのない窮屈な器官に捻り込まれて、喜んで受け入れられるほどの度量や異常性は当然の如くない。
 しかも、異物としか認めることのできない汚い箇所を本来であれば排泄する場所へ宛がわれて、それが快楽に繋がるなどと誰が連想できるというのか。
 どくどくと脈打つ強烈な存在感を正しく秒刻みで肉体に刻んでくる一見無慈悲な対象を、拒もうにも拒絶できるはずもないまま、押し伏せられた体位での強行に、正常な息継ぎすら危ういものになってくる。
 生存する個としての命に対する憎悪などではなく、恐らくこれはもっと単純な理由からだろう。
 常識では考えられないはずの出来事に直面した、パニック寸前の心と体が、ちぐはぐな指令を脳神経に伝えている。
 相手のことを少なからず嫌悪してはいるが、感心していないところがないわけではない。
 ないわけではないが、今この場ではその弁解など、毛ほどの役にも立たなかった。
「…………ッ!」
 忍び込ませた二本の指で柔らかい舌の肉を挟まれ、声も漏らせず、眉間を顰め喉で鳴いた。
 忙しないはずの空間の中で、その様を酷く静かな双眸が見つめ、閉口したまま内側で歯茎を舐めるような仕草を、逼迫し狭まった思考の脳裏が捉える。
 じんわりと滲むように伝わってくる相手の熱と自身の粘膜の温度が同調したように感じ、折り曲げられた下肢の下でいつのまにか握り締めていたシーツから、我知らず手を離した。
 持ち上げた臀部に添えられた手の甲に掌を重ね、ゆっくりと、しかし確実に。リズムを刻むように、徐々に気管と肺の筋肉運動を復調させて行く。
 その過程を見守り、頃合を見計らって、トリコは口腔から指を引き抜くと、板よりも分厚い腰を動かし始めた。
 一糸纏わぬ尻臀に大男を乗せ、不恰好を晒したまま動いてくれるなと罵声を浴びせたかったが、何よりも下半身に食い込んでくる熱量を伴う血管の浮き出した生殖器に全神経が集中し、微動や摩擦を受ける度に言葉を発する自由さえ奪われてしまう。
 後頭部を深々と寝台に埋め、根元から細部まで真っ黒に染まった毛髪と肌膚に浮かび上がる汗を白い褥に散らしながら、はあはあとけだもののような息遣いを二人だけの密室に響かせた。
 呻きのような、色気とは程遠い声が聞こえてくるだけの異様な場面で、繋がった局所と、張り詰めた自らの性器の存在だけが感覚器官と心理の大半を占めた。
 熱く、滾るだけの時間ではなく、永遠に続くかのような、一対一の交わりの時。
 どう演出を凝らしたとしても、紛うことなき性の饗宴に、次第に理性が麻痺して行く。
 おのれの性別など端からなかったかのように思考が混濁と溶解を繰り返し、正負も正否も真偽すら。夢想と現のすべてが混ざり合う。
 これは夢だという良心の救済すらないまま、性交という名の、猛々しく狂おしいほど強烈な実感を伴った行為が続く。
 滲み出した自らの毒が体表に満ち、留めようもないほど暴れ狂う。
 肌色を鮮やかに変色させた危険な物質に怖じることなく、階段を一つひとつ上って行くようにやがて限界を見出したトリコが上体を屈め、肩口に野性味を湛えた横顔を埋めた。
 幾ら柔軟な体質に生まれついているとはいえ、過度の屈伸の体勢に苦痛の音を漏らすと、初めて気づいたかのように、トリコは顔の側面に両腕を突き、肘を曲げて動きの緩急に幅を持たせた。
 わずかでも角度が逸れ、深度が変わる度、もどかしいようなほっとしたような、理解不能の感覚が湧き上がってくる。
 余力が少しでも残っているのなら、間違いなく三本傷を持った顔面に正拳突きを食らわせていただろう。
 しかしそれを望み、命令する意思すら根こそぎ奪われているのが現況だ。
 腰だけで繋がった状態のまま、けれど決して離れることもなく奥を穿ってくる勃起した熱源が、単調だが明らかな意図を持って動きを加速させた。
 それに呼応するかのように、明確な判断のできなくなった暴走する思考回路の一点で、淡く明滅していたものが今度は明瞭な輝きを放ち始める。
 密に繋がったまま硬く厚みのある腰骨を直接叩きつけられ、飽和の臨界点すら当に超えたような疼きと痛みに、脳を素手で掴まれ、揺さ振られるほどの眩暈を覚えた。
 野生の獣の唸り声がトリコの逞しい喉奥から響き、やがて耐え切れなかったかのように包帯越しの首筋に鋭い犬歯を食い込ませた。
「ッッ…!!」
 一噛みで息の根を止めるつもりであったかのような鋭い刺激に、抑えていたものが堰を切って溢れ、開閉するだけしか役に立たなくなった口元から音のない空気を何度も吐き出す。
 傷ひとつない大きな体躯に四肢を押さえつけられたまま、腹の中で張り詰め膨張した筋の塊の先端から、太い迸りが放射される衝撃を生々しく受け止めた。
 理由も考えず、馬鹿野郎と一言罵ってやりたかったが、それよりも数秒早く、自身の射精本能が肉体の深部を大きなうねりとなって突き上げた。
 抗わず瞬間的な衝動に身を委ね、鍛えた腹筋を引き攣らせていると、掠れた視線の間近に、ふうとあからさまに一息吐いた男の安心しきったような顔つきがあった。
「…………っ」
 内部に今だ相手を感じ、ぶるる、と全身を震わせて、他人の手を借りず精巣に残った精液を放つと、その一部始終を窺っていたらしき日に焼けた相貌が、青い前髪の下でにやついたような、えも言われぬ笑みを浮かべた。
 タイミングを外したお蔭で嫌なものを見たと若干後悔を感じつつも、欲望の解放感といつしか感じていた充足感に安堵の吐息を吐き、ぐったりと脱力して緊張しきっていた筋細胞から力を抜く。
 投げ遣りの体で弛緩した身体をベッドに横たえ、束の間の満足感にうっとりと長い睫毛をはためかせ、流れ落ちてくる水滴で目元を煙らせていると、今まで見落としていた現実にはたと気がついた。
「…ットリ、…っ!」
 幾分体積は小さくなっているが、繋がったままの恰好で、ぎしりと軋むような負担を覚えながらも必死の形相で身を起こし、肩で息継ぎをする相手の体調を確かめる。
 すでに全身を巡っていた、自身が作り出した毒性に、今更ながらに危機感を覚え、害が及んでいないか確認を促した。
「…退き際を、完全に逸したぜ…」
 呟くような独白が聞こえてきたと思うと同時に、ぐらりと大きな姿態が均衡を崩す。
 真理に聡いトリコであるならば、どこで身を離すべきかの決断を細胞の単位で読み解くことができたはずだ。対処も、対応の選択も、コンマ何秒の世界で選ぶことが可能であったろう。
 最後まで突っ走ってしまったのは自分の過失だということも、すでに自覚があったようだ。
「………若いな、トリコ……」
 わずかに引いた汗の粒を浮かべながら、ふん、と鼻で笑い、心身が今だ未熟である旨を揶揄すると、お互いにな、と片目を瞑った側から減らず口が返る。
 力が入らないので仕方なく両腕で相手の五体を抱え支えていたが、二〇〇キロ超の重量は、悔しいが負傷した人間の手に負えるものではない。
 あまり長い間肌に触れていてはさらに状況が悪化するとも限らないと懸念し、嫌々ながらも自分の手で相手の性器を抜き取ると、ベッドからシーツを剥いでその中に包った。
 自身より恵まれ過ぎている邪魔な巨体を鈍くなった肢体を動かして懸命に押し退け、ようやく寝台の脇へ逃れると、向こうはやれやれと嘆息をしたようだ。
 濡れた髪をかき上げ、気怠げに残ったシーツの上に体ごと突っ伏す。
 どうやらトリコが吸収した成分は、麻痺系の毒であったようだ。
 猛毒と呼べるほど威力を持つ類いではなく、完全に身動きが取れないわけではないが、神経系の伝達回路を混乱させる有害物質が肉体の一部か、あるいはすべてに及んでいるらしい。
 いつものように随意に筋力を扱えないため、今は休息を摂って、毒性が沈静化するまで待つしかない。
 遅効性であれ即効性であれ、有毒であることには変わりはない。
 最中もそうだが、情事の後に困難が待ち受けていることも、当初から認識していたのだから、自業自得と言わざるを得ないだろう。
 しかし、常にというか、二度目の夜もそうであったようだが、自らが生成する毒に必然的に当たったとはいえ、相手の強運には正直舌を巻く思いがする。
 一歩間違えれば致死の毒質が含まれ、遅かれ早かれ失命することもあり得るのに、今までにその経験がないというのは奇跡だと言えた。
 同性を腹の上で死なせたところで風評に傷がつくだけだが、トリコが事後に医療班の世話になったことがない記憶からも、どうやら相手は相当に恵まれた運の持ち主であるらしい。
 認めたくはないが、と、実力者に対する嫉妬を些か覚えながら、どうしても白い布からはみ出してしまう赤く染まった長い手足を丸めて懐に収めた。
「……どうせなら、男としての、…機能が使えなくなる毒でも、盛れば良かったよ……」
 弾む息に抗わず、都度言葉を区切りながら、さらりと流し目を送るように、隣で見っともない姿を晒している美食屋のナンバーワンに対して皮肉を漏らすと、ああ、そうだろうよ、と首だけをこちらに向けて、光を蓄えた眸が不敵に笑った。
「けど、無理じゃないのか。特に、おまえの場合は…、ココ」
 鋭利に尖った眦が、にんまりと更に細められる。
 なんだ、と短い眉をわずかに顰めて問うと、品が好いとは言い難い表情が答えた。
「そうならない、逆の毒も、おまえは持っているからな…?」
 どういう意味なんだ、それは。
 言いがかりをつけるなと反論したかったが、段々と良くない雰囲気が見えない光線となって、斜陽が差した室内に浮かび上がってくる。
 見過ごすことはできない先見の兆候だと察し、慌てて青い頭から目線を逸らした。
 聞くな、と第六感が叫んでいる事実を、トリコは口に出して告げはしなかったが。

「…これで、何ヶ月持つかな……?」
 他人事のように、明後日の方向を見ながらぼそりと呟かれた台詞に耳を塞ぎ、疲弊した体力の再生産に努めた。
 良質の食事を摂れば一発で取り戻せる数値だとしても、侮っていてはまた付け入られるとも限らない。
 油断をすれば、天敵に寝首を掻かれるのが自然界の常識だ。
 それきり意識を失い、人知れず襲われた睡魔に揃って白旗を揚げたようだ。
 夕飯はどうすると、同じ美食屋を目指すサニーが、上司の命令で仕方なく部屋の扉をノックするまで。
 四天王が二人、雁首を揃えてひとつのベッドで懇々と眠り続けていたという事実を知ったのは、覚醒した後だ。




-2008/12/28
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