Toriko_tc_novels|_top
再会、
 繁栄を極める各国の主要都市に、安定した価格と潤沢な食材、調味料、嗜好品。
 あらゆる美味を有償で庶民の食卓に届けるだけでなく、商品となる生物の確保や繁殖、生態調査や遺伝子操作や研究開発に至るまで。
 各地に支部を置き、高級ホテルからコンビニエンスな食料品店までをその傘下に加え、人々に安全で豊かな食事を提供している、一大組織。

 過去に身柄を収容されていた、IGOという、全世界で最も有名な組織とは、完全に縁が切れたわけではない。
 専属とは別枠の美食屋として籍を置いていることは確かだが、必ずしも組織から依頼される仕事を引き受けなければならない立場ではないし、個人情報も何もかも。詳細なデータを、あちらが牛耳っていると言うのが真実だった。
 グルメ時代のカリスマと呼ばれる四名の有力者すべてが、IGOから輩出されていることは、民間の間ではさほど有名というほどではないが、広告や宣伝効果を考え、何度か組織の名を世間に広めるために使われた験しがある。
 しかし、四天王のメンバーそれぞれが、上層部の言うことを聞かずに勝手をしているというのが一般的な解釈だ。
 よほどIGOに魅力がないのか、はたまた自分たちが常識以上に身勝手な人間なのか。
 どちらも正解だな、と思いつつ、市場に食材を卸して取引を成立させた帰路、そういえば以前ココと会ったのはいつだったかと、突拍子もない発想が思い浮かんだ。
 放任という前提ではなかったが、発見されることなく世界に眠る未知の味覚を探求するため、庭の外へ居住することを許され、その門出を祝う祝賀会で顔を合わせて以来だろうか。
 相変わらず、服の内側で首や腕にテーピングを施したまま、黒のタキシードで正装をした姿で壁の花になっていたココの側へ、飯を食いながら声を掛けに行った記憶がある。
 研究所の統括責任者である所長の酒責めを危惧し、記者や関係者の人ごみから離れて息を潜めていたらしいが、案の定、剥げ頭の大男に後で捕まっていたようだ。
 急にアルコール度数の高い高価な酒を浴びるように飲ませられて前後不覚になり、足元が覚束なくなったために、仕方なく腕に抱えてゲストルームへ連れて行ったのだが、実際は手が空いていなければ、他の四天王の連中や所員に処置を任せていたところだ。
 パーティの開始直後から、お偉方の祝辞も聞かずに喰らい続けていた約百人分の料理を苦もなく胃袋に収め、小休止を挟もうかと思っていた手前、次いでということもあって、真っ青になって震えているココに偶然肩を貸すことになったのだ。
 そこからは、まあ。
 大人の事情というか、IGOの研究所の中では最後だろうという記念の意味も兼ねて、要するに二人だけで情事にしけこむ羽目に陥ったわけだが。
 当時、ココにその気があったか否かについては正しく記憶してはいない。
 行為の半ばまで非難がましいような、胡乱そうな目つきでこちらを睨んでいたので、八割方は不本意であったらしいことは間違いないだろう。
 本心はそこに追随していたかと問えば、ココに限っては、意思と肉体はそれほど同調する必要性がなかったと答えるのが筋だろう。

 月日を指折り数えているうちに、そろそろ潮時かと合点し、手ぶらで相手の元を訪れるのも体裁が悪いかと人並みなことを考慮し、数種類の食材を見繕うために、再度家の外へ足を伸ばした。
 万能と呼べるサイズのノッキングガンなど、数種類の仕事道具を収めたリュックに片腕を通し、相手の好みそうな種類をすぐに脳裏に思い浮かべる。
 香辛料の原料にもなる木の実や枝や、嗜好品でありながら漢方薬としての役目も果たせる茶の葉や実などは、むしろココの方が採取する技術に長けている。
 優れた視覚を持つという独自の能力も去ることながら、どうにも本能的な勘が冴えるらしい。
 好物ゆえに発揮される、食材との相性のようなものだろうと思いつつ、珍しい果物についての噂を、今朝出向いたグルメ市場で耳にしたことを思い出し、その他にも二三点、手土産として持参することに決めた。
 公式の祝宴以後、連絡を取り合っていたわけではないので相手の具体的な潜伏場所や居場所はわからないが、匂いを探っていけばそのうち当人のいる場所へと行き当たるだろう。
 ココ自身が惹かれる光景。
 静かな空間。
 澄んだ空気と、人里から距離を置いた立地。
 生活臭のない自然に近い環境が、最も安らげると本人が感じていることを知っている。
 ココの心に密かに描かれていた風景が、思い出される朝露と夜露の匂いからも不思議なほど鮮明に、おのれの懐の深い部分に思い描かれる気がした。



「…来ると思ってたよ」
 顔を合わせるなり、淡々と告げられた言葉は想像通りのものだった。
 元々先見の明に長けている本人にとっては、数日先の未来など、つい最近知ったことでしかない。
 ゆえに、純粋さや純真さの欠片もない、非常に扱い難い人間だと誰もが評するが、その実、心根が酷く繊細であることは、他者に対して細心を払えるある種の特別な人種にしか気づかれることがなかった。
 数ヶ月前よりもわずかに伸びた真っ黒な頭髪を、半分以上巻き布で覆っている。
 かすかに尖った耳殻の登頂を除き、そこから覗いた生身には見慣れぬ金属をはめ込んでいる。
 ココの装いは、ビオトープと呼ばれる自然環境に近い領域と研究所を往復していた頃とは違い、自身同様、世俗的な雰囲気に包まれていると表するのが相応しかったようだ。
 どうやら、室内で何かの支度をしている真っ最中であったらしい。
「旅にでも出るのか…?」
 街から離れた僻地に建てられた一軒家は、借家なのだろう。
 町長から是非にとせがまれて滞在を続けていたらしいが、長居をするつもりは最初からなかったのだろう。
「……この土地の発展のために少し手助けをしたら、多くの町民から定住を望まれて、仕方なく」
 稼業が美食屋である以上、自らの求める味覚の発見と探索のために生きるのが筋だとココは語った。
 食の最先端を走る自分たちにとっては当然の自覚であり、また心得だ。
 大方、見えてしまった兆候について、忠告をした程度の係わりを持っただけに過ぎないのだろう。
 大都市を除いて、猛獣に頻繁に襲われ、破壊と再生を繰り返す集落は、今だ珍しくはない。
 その上、用心棒としても有能な手腕を持った人材と知られれば、善意であれ作為があれ。是が非でも確保したいと願ったとしても無理のない話だ。
 その気がないと常に断り続けてきた自身とは異なり、ココには多少、相手の良心や厚意に曇りのないことがわかるからこそ、その一心に報いたいと感じる優しさがある。
 だからこそ、小さな義理を果たすために暫くの間ここに留まっていたのだろう仔細が、綺麗に片付けられ、生活感がわずかに顔を覗かせているだけの背後の景色と嗅覚から察せられた。
「…本当は、昨日のうちに立つつもりだったんだが……」
 外面だけの気の強さを表すように吊り上っていた眉尻が撓み、中央に寄せられる。
 初々しいほどではなかったが、表情に乏しい外見ゆえに、それらの変化は内心に訴えるものがあった。
「俺が来ることがわかったから、日にちを延ばしてくれたってわけか」
 そいつは有難いな、と、葉巻樹を咥えたまま屈託なく笑いかけると、渋々ながらの頷きが返った。
 地肌はそれほど白いというわけではないが、あまり日に焼けることのない皮膚が、昼間の日差しの中でも対象を鮮やかに浮かび上がらせる。
 好もしいと思う見目の色艶や体臭が、懐かしさよりももっと別のものを運んできた。
 ふう、と紫煙を鼻孔から吐き、そして一気に息を吸い込み、指で挟んだまま薬理作用のある大振りの枝を根元すら残さずすべてを灰にした。
「…立ち話はこれくらいにして、いい加減、中に入らせてくれ」
 真下に落ちた灰白色の塵を足で踏み鳴らし、顎を刳って促す。
 しかし、返ってきたのは快諾には程遠い声音だった。
「………入れたら…」
 ぼつり、と相手の色素の薄い唇から零れた言葉の端に、逞しい眉を持ち上げる。
「…家に入れたら、話をして帰るだけじゃ済まなくなるだろう……?」
「………」
 思わず返すべき返答を見失ったのは、ココの言動があまりにあからさまだったからだ。
 それでは、まるで目的までもが向こうに筒抜けであったということではないか。
 確かに、顔を見さえすれば満足するというだけの腹積もりで、ココの元を訪れたわけではなかったが。
 同じ組織に属していた人間が、懐かしい思い出話をしに来たわけではないと怪しんでいるのも道理と言えないこともない。
 いや、この場合は、それとは大分異なるか。
「警戒すんなよ、ココ?」
 両目を細め、白い歯を剥き出しにして笑いかけても、完全に不審者に接する時のような態度を改めさせることはできなかった。
 義理人情の欠片もないと時折評される大雑把な性格は、相手のような生真面目な性質の人間にとっては、正に水と油だ。
「……警戒じゃなくて、確信の間違いだ」
 益々不機嫌な面になった黒い瞳の持ち主は、徐々に扉の隙間を狭めつつある。
 そういえば、呼び鈴を鳴らして出迎えられた時も、ドアを全開にしてまで歓迎をしてくれたわけではなかったのは、そのためか、と納得する。
 単なる狼であるならばまだしも、手に負えない何十体もの猛獣が一塊になって来訪するとあれば、無理もないことであったのかもしれないが。
 やれやれと心中で盛大なため息を吐きつつ、帰れと意思表示をされぬよう、いつでも踏み込めるように厚底のブーツの先端を玄関に踏み込ませていることも、恐らく向こうに気づかれているだろう。
 ひょっとしたらその余裕がココにはなかったかもしれないが、逃げ場のないよう獲物を追い詰める時のように、先手先手を考える。
 どうすれば、意のままに従わせることが可能であるか。
 久方振りの再会であるというのに、男として、むざむざと手ぶらで帰るつもりはない。
 束の間瞑目し、両手を腰に当てたまま深々と肺の中の空気を吐き出す。
 やがて、ぽり、と人差し指で頬骨を掻いて、頭一つ分下の位置にある相手の顔面を凝視した。
「…だったら、何で俺が来るまで、出立の時間を遅らせてくれたんだ?」
 さっさと出かけてしまえば、こうして無用な問答をせずに済んだだろうと、知ったような、当たり前のような口振りで畳み掛ける。
「………………」
 ココが、二の句を告げられずに閉口したのは、図星であったからだろう。
 今だ青臭さが抜けない若造だと、親代わり気分であったらしい研究所長のマンサムなどはそう評するだろう年齢だ。
 純真無垢ではないが、根本はまったくのお坊っちゃんであるかのように人の好い相手は、やはり場の駆け引きというものが得手ではないらしい。
 あるいは、身内だと理解しているがゆえに、手綱をつい緩めてしまうのかもしれない。
 敵ではないと認識しているからこそ、責めの手にまでは一歩及ばない。
 気質の強さや一本気とも言うべき高潔で孤独な心情はともかくとして、基本は平和主義者であるからこその、自身にとって至極好もしい気風は、一度味わってしまうと一向に飽きる気がしない。
 完全に落ちたと思った時には、相手も自分も退くに退かれぬ状況に陥っている。
 その滑稽さが、堪らなくおのれの嗜好に合致するのだ。
 わかった、と、飲み込むような言葉を吐き、苛立ちからか、震えるような嘆息を全身から絞り出す。
 少しも承知してはいないだろうに、態々大人振った姿勢を取り繕おうとするから厄介なのだ。
 摩れた娼婦の類いであれば、こんな欠点は早々に見つけ、直しているだろうと断言できる。
「……どうせ、これから三年はお前の顔を見ずに済むんだから…」
 これくらいの失敗は、どうということはないと憎まれ口を叩く。
 ほお、と、感心したようにわざとらしく感嘆を漏らすと、さっさと扉を閉めろと命じられた。
 腹を括ったココは、早速客に茶を振舞う準備をしてくれているらしい。
 食器棚には、相手の趣味がそれとなく反映したような、伝統的な装飾を施した容器が並んでいた。
 具体的な数字を提示され、問わずともそれが、ココが見出したこれから先の現実ということになる。
 しかし、その信頼性は一概に一〇〇パーセントとまでは言えない。聞いた本人がその気になれば覆せるというのが、予見に関する暗黙の了解でもあるからだ。
 そりゃ、苦行になりそうだ、と胸中で独白してはみるものの、反面、自らの食の探求に時間を費やしていれば、耐えられない長さというほどでもない。
 大して重要ではないことを頭に入れていると、小さなテーブルの前で薄いブロンズ色の茶器に香り高い良質の葉を入れる整った横顔から、呟きが漏れた。
「……その間か後に、もしかしたらおまえのフルコースのメニューが、一つ決まるかもしれない」
 その兆しが出ているようだと、じっとこちらの顔を注視し、心地好い声調に余韻を持たせながら告げる。
 目線は何かを探るように鋭く、同時に思慮深い光が満ちていた。
 ここではない、人体を透してどこか遠くを見ているような特殊な眼差しと告げられた予知は、美食屋ではなく占いの腕も一流だと仲間内であだ名されていた者としての言なのだろう。

「…そいつは、寝物語にでも聞かせてくれ」
 言いながら、ドアノブを引き寄せるようにして木製の扉を閉めると、まんまと罠に嵌められたといった風情で、ココは不満そうに短い眉を顰めた。




-2009/01/05
→NEXT
Copyright(C) HARIKONOTORA (PAPER TIGER) midoh All Rights Reserved.