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うたげのさけ
 がははと、よく言えば男らしく。
 悪く言えば冬眠から醒めたばかりの大きな熊が最初にありついたのは酒だったという、最悪に悪酔いをしたような、真っ赤に茹で上がった蛸のような酒面で、大声で何事かを喚きながら、アルコールを多量に含んだ食事を次々に口元へ運んでは、大笑いを繰り返している。
 その傍らで、椅子に座らされたまま、珍しく勧められた杯を受け取っている艶のある黒い人影。
 マンサムに限らずだが、組織の上層部でのココの評判は決して悪くはない。
 他の四天王の連中が折り紙つきの癖のある難物が多いだけに、一等扱いやすい性格だと考えられているのかもしれないが、頭のつくりが単純ではないだけに、何を考えているのかわからないと二の足を踏む奴もいる。
 だがそれは、残りの三名も同じような。いや、それ以上に常識を飛び越えたものの発想をしているのだから、やはり安全に物事を行いたい場合は、無難な人選と称して、ココを呼びつけることが多かった。
 曰くありの体だが、人見知りをする体質であるとはいえ、面と向かって話をしやすく、道理を説けば納得するという意味で好もしいと思っている程度で、実際の評価と腹の内はわからない。
 IGOに所属する人間で、一定以上の権力を持った奴はどいつも信用する価値がないと解釈するのが、この大きな組織の中では妥当な見方であり、正論だった。

 捕獲レベルの飛び抜けて高い食材が調理された大皿が無数に並べられた宴会用の大テーブルには、すでにマンサムと四天王の他は、皆席を立って各々の目的の人物らと交流を深めている。
 目の前の料理の元となった生き物は、すべて自分たちが捕ってきた獲物であるがゆえに、生来旺盛な食欲に遠慮は必要ない。
 直径十数メートルに及ぶ卓の斜め向かいに座っている、地面に付くほど鬱陶しいくらい長い鬣の持ち主は、最初から最後まで飯を運んでくるウェイターに指図をしっ放しだ。
 あれを持って来い、これは要らね、とわがままをし放題であるのは目に見えているため、端から無視していたが、その手がふと止まり、切れ長の眼がこちらに向けられていることに気がついた。
 運び込まれた皿の上の一品を口一杯に頬張ったまま、何とはなしに目線を傾けると、ついと顎で促すような簡単な仕草で横を示された。
 組織内部でサニーとの呼び名で通る男は、いつもどおりの毳毳しい見てくれの割に飄々とした態度を崩していなかったが、相手が何を指しているかを明確に悟ったところで、シャツの襟首に押し込んでいたナプキンを抜き取るなり無造作に汚れた口元を拭い、縁取りのない浅い皿の脇に手にしていたフォークとナイフを置いた。
 どうせ、他の奴らにその気はないのだと踏み、仕方なく無言で注意を促された、ココ救出の役を引き受ける。
 肉眼では見ることの難い繊細にして強力な触覚で症状の程度を感知しながら、助け舟を出すよう他者へ要求をしたサニー本人が介入をすれば済むことであろうに、美容と健康の増進という非常に偏ったおのれの嗜好を満足させる目的のためには、友人の一人くらい犠牲になったところで些かも良心が痛まないのだろう。
 それとも、赤ら顔で発言の度に大量の唾を飛ばして笑い出す酒臭い上司の側には極力近寄りたくないという寸法か。
 いずれにしても、自身の空腹にも決着が着きそうであった手前、自らの食事を切り上げてマンサムの席の隣へ向かうことにした。
「おお、トリコ…!!」
 片手を腰に当てたまま、白いスーツのジャケットを着込んで現れた大柄な元生徒の姿を目にするなり、日に焼けた禿頭は溶けたような相好をさらに崩して喜色満面になった。
 心底から、未熟だったはずの自分たちがめでたく組織の下を旅立てるほどの力量を得たことに対する喜びと慈愛に溢れ、酔眼を細めながら、年寄り特有の成長話が酒息とともに語られ始める。
 耳が痛いわけではなかったが、取るに足らない餓鬼の時分の思い出話が次から次へと大きな口蓋から零れる様を適当にいなしつつ、立ち止まった場所で蒼白な顔をしたまま固まっている標的を確認するよう、背を屈めて相貌を覗き込んだ。
「自力で歩けそうには、ねえな…?」
 常に我が身の信条しか考えにない気まぐれな男だと自他共に認識されているサニーが、態々こちらへ救援を催促したほどである。
 相当深刻なことになっているとは想像してはいたが、ココの顔面にはまったくといって良いほど表情がなかった。
 ただでさえ色白で滑らかな肌が、透明を通り越して色素そのものを失いつつある。
 まるで場の雰囲気にすら呑まれてしまったと言わんばかりに、極度の緊張のため、出る汗も引いてしまったのか、グラスを持ったまま身動きすらしない。
 長い睫毛を蓄えた双眸は、わずかに瞼を伏せたまま、焦点が合わないかのように白い眼球の海に浮いているだけの代物だ。
 透明度の高い、高級なクリスタルの容器を持つ指先は額同様、色を失い、小刻みに震えている。
 当たり前のように、こちらに向けて帰ってくる返事はなく、これは本当に緊急に避難が必要だと察した。
「…悪いが、こいつを借りて行くぜ」
 返す当ては生憎となさそうだが、と口中に含み、マンサムとココの間に割って入る。
「…おい、トリコ…!?」
 恩師でもある所長からの待ったを聞かず、脇の下に腕を回して、ココの身体を椅子から引き起こすと、そのまま片腕で横抱きにして、分厚い絨毯の上を大股で前進した。
 悪目立ちのする長身二人の進路とあって、人波が道を開けるように左右へ分かれたので大層都合が良かった。
 成人する前から度々嗜んでいた葉巻樹の枝を懐から取り出すなり、指で火を点け、前方へ向けて堂々と紫煙を吐く。
 デザートには早い気がするが、休憩を挟むくらいは良いだろう。
 おのれの席で食した分は第一戦目であったので、これから胃袋に収める余裕はまだある。
 そんなことを考えながら、ココが手にしていた世界最上級に分類される蒸留酒の水割りが入ったタンブラーを、煙草と一緒に指で挟み、一口で飲み干すと、空いた杯を後方へ放り投げた。
 何者かが無難に長いセンサーを駆使してキャッチをしてくれたらしいが、すでに意識は会場の中にはなかった。



 大宴会場の周辺にいくつか存在する来賓用の休憩室へ移動する途中、廊下ですれ違ったボーイの持っていた盆の上から料理を五品ほど摘まみ、無人の個室を見つけてドアを足で開けた。
 口に骨付き肉と煙草代わりの枝を咥え、ココを抱いていない片手に大皿を重ね、重厚にして豪奢なドアを乱暴に開けて入室する。
 室内の中央に、仮眠用のベッドが一つある。
 壁際の長椅子の前の低いテーブルの上に持ち込んだ惣菜や主食を置くと、地面から少し浮いただけの黒いズボンを履いた長い脚を掬うように拾い上げ、清潔なシーツの上へ寝かせてやった。
「……………」
 仰向けのまま、ぐったりと弛緩した肢体から一言声が漏れたようだが、少しも形にならない。
 暫くしてからようやく、淡い吐息のような、震える呼気が薄く開かれた唇から零れた。
 きっちりと着込まれた礼服の首が苦しいかと思い、指を伸ばして漆黒色の短いタイを緩め、シャツのボタンを外して襟元に余裕を与えると、うっすらとだが、安堵したような感情が、色味の乏しい、青白く変化した表面に浮かんだ。
 小腹が空いたわけではなかったが、持参した料理と酒に手をつけるべく、自身の襟も緩める。
 賓客用の休憩所の名に恥じず、四方の壁はしっかりと防音が施されており、祝宴の中心から聞こえてくる雑音や騒音の類いは届かない。
 淡い青色の壁紙には、細かな白と黄色の花のデザインがぽつぽつと浮かんでいる程度で、額縁の絵もそれほど華美ではないが、豪華な額の中でも存在感がある。
 頭上を低速度で巡る大きな木製の羽根がついた空調機も、クラシックな形をしており、時代を選ばない。
 こういった社交的な見栄や格式や贅沢といったものを必要とする場は、開拓者に近い自分たちには縁のない世界だが、美食界の長として君臨する組織の名に恥じることのない設えだと言えた。
 部屋に備え付けられていた水瓶から飲料水をコップに移し、今だ正体不明のままの病人の元へと運ぶ。
 忘れず、肉の付いた骨を歯で咥え、空いた手に火の点いた葉巻樹を持って、ベッドへ近寄った。
 ココは片腕で目元を覆ったまま、嘆息したようだ。
 所長には悪いが、二度と御免だと言いたげな雰囲気に、自然と自身の頬に冷笑が浮かぶのがわかる。
 嫌だというならはっきりと言葉でも態度でも拒絶すれば良いものを、仏心など出すからそこへ付け込まれるのだ。
 主義主張を押し通すことも、人間関係では必要だということをわかった上で拒否できないのであれば、仕方がないものと思って受け入れるしかない。
 その覚悟がないのであれば、ああいう手合いには近づかないのが利口だ。
 それをくどくどと説明をしたところで、恐らくココは実行に移せないだろう。
 わずかでも心を許せば、重要な駆け引きの部分で強引には出られない。そういう気質なのだと理解しているから、今更諌めることも慰めることもしないが。
「…おまえには、良い薬だぜ」
 金輪際、誰が相手であっても隙を見せないことだと揶揄すると、考えが的中したのか、両手で瞼を覆ってしまった。
 よほど、重症であるようだ。
「…食って、少しは回復するんだな」
 片目を瞑って口に咥えた肉を眼前に突き出すと、ココは黙って受け取った。
 靄がかかったような茫然とした目つきで、薄い唇から白い歯を覗かせ、肉の端に齧り付く。
 咀嚼し、口中で何度も噛み砕いているうちに、具合が悪いだけでなく、胡乱そうな眼差しが、寝台に腰掛けたまま広げた両方の膝に体重を預けたこちらを見つめ返してきた。
「…?」
 わけがわからんといった風情で鼻腔から煙を吐いていると、トリコ、と低い声音で名を呼ばれた。
 仕方ないといった様子で口の中のものを嫌々ながら嚥下してから、やがて掠れた息とともに告げた。
「………酒樽を背負った鴨、だ………」
 返答を待たず、力の入らない腕で骨ごと餌を投げて返す。
「……あ?」
 難なく牙で挟んで受け止め、丸ごと噛み砕き、飲み込むと、最悪だ…、と呟きが聞こえてきた。
 ココが口にしたのは通称で、正確な名前を葱色ワイルドダックと言う。
 生のままではとろみのある柔らかい肉質なのだが、一定の温度以上で加熱することによって、濃厚なアルコール成分が生まれてくる。フォークで刺しただけで肉汁となってそれが溢れ出てくるため、骨がついていたとしても素手で食べればテーブルの周りが汚れてしまうほど多量の液が滲み出る。
 食材としては極上の一品だが、ただでさえ、優れた免疫機能を持つがゆえに、酒の持つ成分に過敏に反応をする因果を背負ってしまった相手にとっては、追い討ちにも等しかったのだろう。
 ぐったりと仰臥し、立てていた片方の膝すら、広いシーツの上に崩れてしまう有様だ。
「…もう、…この部屋から、出て行ってくれ……」
 ココにとって不快であっただろう環境から救い、連れ出してやった恩も忘れ、早々に退室しろと命じながら、覚束ぬ手つきでシャツの隙間に指を滑り込ませ、胸の前をさらに寛げる。
 包帯を巻いた首の下は素肌で、いつものように黒い肌着を身に着けているわけではなかった。
 衣擦れの音を零した衣服の間から覗く、均整の取れた筋肉の隆起に、思わず言葉を失った。
「帰りたいのは山々なんだがな……、ココ」
「……ん……?」
 険のない、茫洋とした声調が、暢気に事情を尋ねてくる。
「……ひとつ、試してみても良いか?」
 働かない思考ではあるが、元々警戒心の強いココが、齎された提案に素直に頷くはずはなかった。




-2009/01/08
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