ベッドサイドに置いたコップの水面に、ひとつふたつ。大きな波が立つ。
														
														 両腕を突っ張ってこちらの動きを制しようと試みる、ココの形相は普段より幾分幼い印象だ。
														 しかしその分、必死さは露骨だと言える。
														 正気は通常の半分以上、アルコールの海に沈没していたはずだが、言われた内容を咄嗟に解す余力は残っていたようだ。
														 酔っ払いを襲うのはマナー違反だと、至極尤もらしいことをのんびりとした口調で放言しているが、言っている意味を本人が理解しているのかどうかも怪しい。
														「いてて、」
														 痛ぇな、と。
														 ココが持つ本来の力で拒絶をしているわけではないので些かも手を焼くような抵抗ではなかったが、尖った指が動きを間違えれば眼球に食い込んできそうで危なっかしい。
														 覆い被さってくる、自分より一回りほど大きな裸体を掌で懸命に押し返そうと試みているらしいが、ふにゃふにゃと脱力をしたような、意思が伴わなっていない無気力な手つきだった。
														 自身の上半身は格式張った様式からすでに解放され、皺の付きづらい上等なズボンを履いただけの恰好でベッドに伏せている。
														 下から伸ばされる二本の腕の間を掻い潜り、押し倒した相手のシャツの中身を暴くのに集中していた。
														 漂白されたような純白のシャツを目の前で乱暴に引き裂いても良かったのだが、それだと予期せぬ事態を招きかねないと懸念している理由も少なからずある。
														 執拗な抗いは、人並みよりも割と緩やかであるはずのおのれの理性の糸を擦り切れさせかねなかった。
														 込み入った事情を抱えている場合を除いて、根負けをするのは大抵はココだったが、急を要する場面では自身の抑制の箍が外れる可能性の方が若干高い傾向にある。
														 それを認識したのは、半年以上前の庭での出来事だ。
														「……だから、俺が言っているのは、酔った時、おまえの体の毒がどう働くかを調べる良い方法がだな…」
														 通常時と、酒の酔いに紛れてする時と、ココが持つ毒の動きがどの程度異なるのか。
														 それを知るためにセックスをするぞと言っているのだが、寝込みを襲われる側にとっては、確かに堪ったものではないだろう。
														 真っ当な判断が働く時であるならばまだしも、はっきりと判別の付きかねる現状で、強引に性行為へ雪崩れ込もうとする人間の考えが承服できなかったとしても反論はできない。
														 まともな神経の持ち主であれば、怒りこそすれ、根っからの淫乱ではない限り、公の場から離れた密室で及ぶこととはいえ、眉を逆立てて憤慨をしてもおかしなことではなかった。
														 案の定、それは暴行じゃないのかと、呂律の回らぬ舌で、掠れたような低い声音が問うてくる。
														「…酒での失敗だと思えば、レイプとは言えねーだろう」
														 襲う男の側の勝手な言い分であることは、重々承知している。
														 腹立たしくため息を吐き出してしまいたい心中を何とか宥めつつ、努めて理性的な外面を装って、気のないココの説得に当たるのはつくづく骨が折れた。
														 向こうの腹の内を読みつつ、どうにかして口説き落とそうと慎重に言葉を選んでいるが、油断をすれば乱雑になる言動を押し留めるのがやっとだ。
														 なぜなら、冷静に思考をしなくても、同性相手に滑稽な光景だと心底から思っていたからだ。
														 男が性的魅力に乏しいはずの同じ男に合意を迫らなければならないという、正しく不毛な上に同情される余地のない事柄であるだけに、わずかでも自身の行動に疑問を抱けばそれだけで神経質な意欲が単純に損なわれる心地さえする。
														 しかし、だからと言って我に返れば、仮定したことが真実であるか否かの解答が得られない。
														 これから先を考える上でも、ここで躊躇している余裕はないというのが、自分が下した見解であり、選択だった。
														 それに、と、畳み掛けるように語尾を一旦切る。
														「…レイプってのは、あの時のことを言うんだろうが…!?」
														 あの晩。
														 研究所を二人で脱出した、三日目の夜。
														 体力が回復しつつあった相手を、おのれの力だけを行使して、ねじ伏せ、無理矢理おかしたのは、数回ある交わりの中でもたった一度。
														 聞くなり、ココの反抗は水を打ったように静かになった。
														 突き出していた手から伝わる圧迫が、冷えた感触を伝えるだけの入れ物に変わる。
														 感情のない、人形の部品であるかような、無機質と思しき手触りが頬と口元の二箇所にある。
														 明らかな変調ゆえに、ココの胸中が手に取るようにわかった。
														 プライドの高い相手にとって、思い出したくもない最悪の悪夢であったと記憶していても仕方がないし、間違いなくそれが現実だった。
														 夢に見るほど魘されたわけでも、向こうが心的外傷を得たという事実も認識していないが、あれは事故だったのだと忘却を強要できる立場でもない。
														 気が触れたように荒々しく猛々しい情欲を覚え、先走る本能がすべてを裏切って暴走をしたのは、生身の人間ではココが初めてだった。
														 本来は食物となる対象にのみ働いていたはずの衝動が、もっと根源的な。
														 血生臭いとも違う、淫欲の分野で開眼するとは思わなかった。
														 無論、あれからというもの、似たような感覚が体内と脳裏に芽生えることはあっても、あれほどの惨事を繰り返した経験はないし、同じ轍を二度踏むような愚行を行うつもりもない。
														 おのれが委ねるべきは、細胞の奥底から覚える食欲であり、肉欲ではないと思うからだ。
														 理性が伴わない行動と能力は、敵との戦闘で、命のやり取りをするぎりぎりの境界でだけ発揮されれば良い。
														 真実、生命が危機的状況に追い込まれたとしても、人としての最後の砦までをも擲つような状況には至らないだろうと断言できたが、その時は違った。
														 なぜかと、根拠となる手がかりを探して、もしや、と思い浮かんだ仮定があった。
														 それを、原因であると思しき張本人に問い質したとしても、正確な答を得られないとわかっているから。
														 だから、手を変え品を変え、ココという一個人の尊重すべき垣根を踏み越えてまで、今までもこれからも、試していかざるを得ない事柄だと思った。
														
														「…………………」
														 硝子を嵌め込んだような、情の伴わない眼が、他者に引けを取らない姿かたちに浮かんでいると思った。
														 虚空を見つめ、眼前の男の相貌など視界に入っていない。
														 女ほど過去に起こったことをずるずると引き摺るような性分ではないとわかってはいるが、繊細で敏感な性質を抱えるココにとっては、やはりまだ忘れられない事件だったのだろう。
														 その内心を汲むことはできるが、退くことはできない。
														 義務でも責任でもなく、自身がそう望んでいるからだ。
														 当時の状況を具体的に思い出せるほど、行為中の思考はそれほど役を果たしていなかったようだ。
														 あるのはすべて、肉体の満足や充足や、それを目指して突き進む素の欲望のみ。
														 完璧に失敗だったと悟ったのは、平静を取り戻した事後だ。
														 遅まきながらに復活したおのれの思考能力が、当然のことのように、やっちまったと額を押さえて自身をうなだれさせたが、即座に後悔をしたその証拠に、腹を括って頭を下げ、本格的に詫びもした。
														 正体を取り戻したあと目にした、地面に横たわったままのココは文字通り虫の息だったが、生きていたのは幸いだった。
														 激しく抵抗をしたはずの外傷も、危惧したほど大したものはなかった。
														 虚無の眼光ともども、半開きの唇からは無音の空気が出入りを繰り返しているが、狂気は微塵も感じなかった。
														 ただひとつ違ったのは、IGOの医療班によって刺された針の痕跡が所々に残った長い脚の間から、大量の白濁した液と一緒に鮮血が溢れ、黒い土の上に広がっていたことだ。
														
														「だから、あの後」
														 おまえをやっちまったあと、と、語りかけるように静かな調子で続ける。
														「…俺を煮るなり焼くなり、毒殺するなり好きにしろって言っただろ…?」
														 癖のように片方の眼を瞑り、自らの体裁が悪いことを暗に示しつつ、嘆息を漏らす。
														 誇りも自制も根こそぎ奪い取ってしまうかのような、嵐のような暴力ののち、加害者側から決着の方法を提示されても、ココは首を縦には振らなかった。
														 抱き起こされた腕の中で、投げ遣りのような態度で深々と詰めていた息を吐いたのは、莫大な心身の疲労のためもあったのだろう。
														 あちこちに泥がついて汚れてしまった裸身を隠すことなく、こちらの顔と眸を真っ直ぐに凝視し、無言で睨みつけると、自力で立ち上がり、獲物の革で作った簡易な褥の上に寝転んだ。
														 ぎこちない動きの都度、鍛えられた腿を伝って地上に滴る他人と自身の体液を気にしてはいただろうが、頓着できなかったほど草臥れていたのは確認する必要もないことだった。
														 それから夜が明けて、一人で体を水で清めてからは、何事もなかったかのように復調をしていたことを思い起こす。
														「……………………」
														 束の間閉口したままどこかを見つめていた双眸がふいに元の位置へ戻り、汚らわしいものを見るかのように、特徴的な柔らかい眦の線がかすかに歪んだ。
														 本当にころしてやればよかったと、本心にもないことを唇の動きだけで表すと、投げ出すようにしてココは持ち上げていた腕を身体の脇に下ろした。
														 シーツに落ちた体積は、一回だけ跳ね、すぐに静まった。
														 休憩用としては酷く豪華な寝台の大きな枕に後頭部と肩を埋め、何もかも諦めたように脱力した側は、うつろな目線を天井に流した。
														 しなやかで弾力のある胸筋が盛り上がったココの白い胸が、青白い光沢を放つシャツの割れ目から覗き、乱れたタイをそっと引き抜くと、ばらりと解けて腹から上の輪郭が明らかになった。
														「………」
														 暫時様子を探るようにその姿を見守っていたが、どうやら完全に逃げることを放棄してしまったようだ。
														 諦めが肝要だとの座右の銘をココが持っていたはずはないが、こうも自暴自棄になられては却って居心地が悪い。
														 だが、それくらいの自責の念で、矛を治められるような単純な興味や欲望からの発案でないことも事実だった。
														「…酔ってりゃ、やったことも忘れてるかもしれねーだろ?」
														 宥めるような声調で語りかけると、眉間を顰めながら、醒めたような眼差しがつとこちらを見返してきた。
														「…………忘れられるような飯事程度になら、付き合うつもりなんか、…最初から、ない…」
														「…………」
														 やるからには徹底しろというのは、どんな誘い文句なんだと呆れながら苦笑を零すと、吊り上った短い眉根が急に撓んだ。
														「………どうせなら、…ボクも…」
														 酒気が空気に溶け、良質の香が見えない水蒸気となって立ち昇るような呼気とともに、他者に触れられぬよう、幾重にも着込んでいたはずの鎧を脱ぎ捨てた本音を、観念したような含みとともに告げる。
														「…………………」
														 要約すれば、最初から最後まで男として存分に愉しみたいという相手の素の言葉に、喜悦がくつくつと湧き上がってくるのがわかる。
														 酔いに任せて大胆なことを言っているだけなのだろうが、欲求に従順なのは、お互いに悪い気質とは言えない。
														 無理に装ってみせた方が、無用な誤解を生むことを熟知しながら。
														 過去の過失も、すでに両者の間で決着が着いていることであれば、遠慮をしなければならない謂れはない。
														「…お互い後腐れなしで、結構なことだな?…ココ」
														 特に肉体だけの関係だと自負しているわけではなかったが、今の状況を当人が望むなら些細なことには目を瞑った。
														 何よりも現時点では、そこまで沈着に道理を見極められる情況にはなかったからだ。
														 腕を回して彫りの深い鼻の先を近づけると、納得をしているはずなのに、反射なのか、整った白い面が険しくなる。
														 身体だけで馴れ合うつもりはないという主張と、本質的な要求との間で葛藤があるのだろう。
														 相変わらず一枚岩ではない、常識に固執した難儀な自尊心を持っているな、と、からかい混じりに笑いかけると、膝を立てて腹筋に突きを入れられた。
														「…っ…」
														 思わず正面から受けてしまったが、鍛錬によって磨き上げられた身体が悲鳴を上げることはない。
														 飛んだじゃじゃ馬だと、片側の頬を吊り上げ、牙を剥き出して威嚇を込めた眼差しで凝視すると、酔態ながら不遜な顔つきで見返された。
														「………おまえの、自慢のもので、……さっさと……ボクに……」
														 止めを刺せば、良いだろう、と。
														 信条にもない、自虐的な宣言をする。
														 思わず笑い出しそうになり、敢えて凄むことで、想像できる面倒事を招かぬようやり過ごした。
														 前方へ体重をかけて圧し掛かるように、枕の脇に両腕を付いて、薔薇の蕾ほど滑らかな手触りのココの額から下を覗き込む。
														「…本気で、やりころしてやろうか?」
														 情事の最中に昇天させられるのは、もしかしたらこちらかもしれないがとの語尾を飲み込み。
														 腹上死は本望でも本懐でもないが、現在が情交の入口であるなら、その選択肢にも寛容にならざるを得ない。
														 それだけの心の隙を生んでしまうことも、男として生まれた因果であるのかもしれなかったが。
														 やめろ、とすぐさま返事が帰る。
														 なぜだと問い返す前に、ぽつりと小さな唇から呟きが漏れた。
														「………化けて、出たくなる……」
														 後悔が多すぎる死に様だと言いたいのだろう。
														 出られるのも御免だと、真顔でそう告げられて、ああ、やはりココなのだ、と思う。
														 冗談では生きられない人間。
														 すべてに本気でぶつかろうとして、無防備に本性を曝け出したまま、危ない橋すら知らずに渡ってしまうのだろう。
														 立ち回りが巧いと言われる自分などからすれば、不器用なことこの上ない、慈しむべき毒人間。
														 いつもならば馬鹿馬鹿しいと一蹴してしまえることも、思わぬほど感傷的になってしまうのは、この雰囲気の所為だ。
														「おしゃべりは、それくらいにしてだな…」
														 自分らしさを失わぬよう、そろそろ本題に入らないかと問いかけて、遅らせているのはどっちだ、と酔っ払いに言い負かされる。
														 耳に届くなり失笑してしまったものの、肉体の欲求だけは抑えることができなかった。
														
														
														
														 抱えるように両脚を身体と身体の間で支え、折り曲げた逞しい下肢を下から突き上げるように何度も揺する。
														 ベッドと上になった男の、汗が流れ落ちる強靭な筋肉との狭間で、胸を肌蹴たまま短い黒髪の持ち主は、長く垂れ下がった前髪を額に張り付けながら、幾度も全身で喘いだ。
														 奥を穿つように腰を使い、意図的にココの欲しがる箇所を掠めるだけに留める度、体を揺らして催促をされる。
														 思ったとおり、適度な酔い心地によって常識という名の鎖から解放されている分、感度が格段に好い。
														 しかも、律動の強弱によって、危険な毒素が浮かび上がったり退いたりしているのが大層趣深かった。
														 緊急を告げるような深い色みではなく、高潮した肌膚とは異なる花弁の波紋を、人体の表という限られた海図に浮かび上がらせているような、何とも言えない反応。
														 上着を剥いで全身を見ることも可能であったかもしれないが、繋がってしまった後では、そこまで細心が行き届かなかったのは、若さゆえもあったのだろう。
														「……っ、」
														 早まらぬよう定期的に息を切り、奥歯で漏れる呼吸を噛み殺しながら、できるだけ性急にならないよう自制を総動員し、行為に励む。
														 ある種の肉体労働ではあるが、自身を飲み込んだココの内側が、絡むように粘膜の熱と見えない蜜を滲ませてくるのが堪らなかった。
														 食っているのはこちらだが、今は手心を加えている以上、後手に回っていると表するのが一般的だ。
														 同じ運動の淡々とした反復だけのように見えて、目的があって探りを入れているのは間違いない。
														 隅々まで具合を確かめたり、蠢くように体内で湧いては鎮まる、ココの中の毒性の及ぶ範囲とレベルを測るように、誘っては挑み、責めながら引き出してみたり。
														 いくら交わっても、このまま飽食するまで攻め続けていたいと願う、貪欲な性欲は変わることはないが、一つ言えることは。
														 どうやら、ココ本人の心と体の動揺が少ないだけ、たゆたうようにして流れ、生まれる猛毒が急にこちらを襲うような危険性が低いらしいということだ。
														 一度きりの試みではやはり仮説の域を脱しないが、日常生活でも、当人の意識が肉体に広く及んでいる時は、毒腺から生み出された有毒な成分が体液を通して外へ流出するなどの可能性が低いことと、若干反する結果だ。
														 こうして、酒に溺れているにも拘らず、むしろ制御とは異なる野放しの状態でも、無作為に触れている者を攻撃するような気配がない点には驚いたが、喜べない成果ではなかった。
														 警戒だけでなく、快楽に対しても相応の現象を見せてしまうのは、ココにとって好いことなのか悪いことなのか。
														 こちらとしては、願ってもないほど上等な性能だと、笑みを零さずにはいられないが。
														「!!!」
														 だしぬけに。
														 紙一重で信号を受信したと言わんばかりの唐突さで、突き放すよりも先に、抱えていた両足を鷲掴み、ぬめって震える肉の筒から猛りきった自身を引く。
														 狭く湿った内壁の襞から、普段以上の体積を得た男根を引き抜くのは距離があり、容易ではなかったが、瞬く間に身を離した途端、解き放たれた矢のように精巣から尿道を通って濃い精液が出口から放出された。
														「ッ…」
														 辛酸を舐めた時のように精悍な貌を歪め、衝動的な快感の後に、我知らず鋭い舌打ちをする。
														 本当に一抹の。砂粒ほどにも満たぬ僅差で、どうやら開けてはならない扉を叩いてしまったようだ。
														 兆候がココの動きや、漏れる声のわずかな響きや匂いに含まれていれば幸いだったのだが、どこにもそれらしき兆しがあったようには見受けられなかった。
														 正に、籤を引くような曖昧さで襲ってくるのだとしたら、相当神経を張り巡らさねば最後まで目的を達することは不可能だろう。
														 以前、調理したはずのカキアナゴに当たった時の経験が脳裏を過ぎったが、それよりもはるかに致死性の高い未知の成分によって、生死の境をさ迷う羽目に陥るところだったと、突如として激しくなった鼓動とともに自らの細胞が告げている。
														 いつの間にか、ほんの数秒前には一つであった相手の表皮が、有毒な成分によって発色、変色し、自然界に於いてもバーチャルに於いても、これほど鮮やかな色彩はないだろう外見に覆われる。
														 二つに割れたシャツの合わせ目から広がり、唇から頬から。頭部までもが見事な真紅に染められた。
														 運悪く、ココの体表目掛けて散った男の劣情の痕が、殊更卑猥に映えるその光景に面食らう。
														 唾液や汗のように薄い口唇や短い眉に滴り、喉や胸に至るまで、陰影のある皮膚を濡らしているのは、明らかに自分が放った粘液の一部だ。
														 相手の許可を得ずに顔や体を汚してしまったという背徳的な興奮や実感よりも、湧き上がってくるのは射精後の爽快感であったことは、いつしか夢境に落ちていた被害者には言いにくい事実ではあったが。
														
														「やっぱ、一筋縄…ってわけには……」
														 行かねえか、と肩で息を吐きつつ、下腹の汚れをズボンの後ろのポケットに入れてあった布で拭い、立派な絨毯が敷かれた床へ放った。
														 それでこそココだ、と決して負け惜しみではない苦笑いを満面に浮かべ、ベッドに跨ったまま、意識を手放した相手の寝顔を高い場所から見下ろす。
														 普段の就寝時と同じく、苦も楽もない無垢な顔立ちを覗かせながら、閉ざされた瞼の上に残った汁を指で掬うと、水滴を含んだ黒い睫毛が、達した瞬間のようにふると震えた。
														
														
														
														
															-2009/01/11
														
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