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ひめたる二乗
 研究所のいずれかの棟で、顔を付き合わせた時だろうか。
 一方は偶々受けた依頼を果たした報告と。
 もう片方は、相変わらず上層部からの命令を、気分と信条一つで足蹴にした帰りの者と。


 今となっては常時接することのなくなった相手の気配を強力な嗅覚で事前に知覚していても、特に親近感などといった感想が思い浮かぶことはなかった。
 それは、相対する向こうも同じ心持だっただろう。
 現在はといえば、ばらばらに生活をして連絡すら取り合っていない元仲間に、当たり前のように用事などあろうはずがないし、噂を耳にしなかったとしても、お互い心配をするような、柔軟な体質でも玉でもない。
 特段の感慨もなく、ただ珍しい奴がおかしな所にいるなと単純に考え、近づいてきた相手とすれ違った瞬間、そういえば、と独り言のような台詞を吐いた。
「…どうしてあの時、ココを助けに入ったんだ?」
 突拍子もない質問を吹っかけられた男は、何のことだと一瞬大量の鬣を靡かせて振り返り、入念に手入れされた黒い柳眉を潜めたが、すぐに合点が行った様子で軽々と落としていた眉を持ち上げた。
 あの時、と時期については大分ぼかしていたが、自身としても明確な日付など覚えていない。
 根拠が不充分とも言うべき端的な問いであったにも拘らず、こういった場面で妙に機転と鼻が利く相手は、具体的にその出来事を思い出したらしい。
「、りがあったから、それだけ」
 あっけらかんと、感情がありそうで乏しい見てくれに軽薄で無責任そうな子どもっぽい表情を浮かべ、独特の、はっきりとしているようで輪郭を無理矢理不鮮明にしたような口調で答える。
 赤の他人であろうが既知の友人であろうが、不遜で他人を軽視したような態度や物腰はいつものことで、騒ぎ立てる必要のない、味だ。
 普通の人間と極端に毛色が違うことを掴まえて、いきなり逆上するような真似は本意ではないし、それが向こうのペースということで、昔から取り立てて気に留めることはないと思っていた。
 慣れてしまえば、というか、無関心でありさえすれば、下らない諍いに手を出さずに済むというのは、生まれながらに備わった性質であり、歳を食って身に着けた処世術などではない。
 とはいえ、ココ並みとまでは行かなかったが、十代にも満たない餓鬼の時分には、そんな相手とも殴り合いや掴み合いの喧嘩をしたというのは余談だ。
 任務遂行や共同での修行の際、認識の食い違いや自分以上に他者に協力的ではない性分のお蔭で、周囲の人間ほどではないにせよ、手を焼いた経験は少なからずある。
 ココなどの理屈的な人間から言わせれば、灰汁の強い男の相手は得手でも不得手でもないらしい。向こうが他人に興味がないだけかもしれないが、気分屋に振り回されないことが付き合う上で肝要だと考えていたようだ。
 達観したような口振りで一刀両断に評していたが、慣れてしまえば確かに問題視するほどの要素ではなかった。
 一個人として見た場合もそうだが、サニーとの通称で知られる相手は根っから悪い人間ではない。
 根本的な部分で信頼が置けるからこそ、表面上の差異など気にする必要のない事柄だった。
 餓鬼のように下らない仔細に拘って融通が利かない部分も多いが、卑屈な精神とは程遠く、むしろマイペースである分、見知らぬ人間に対しても垣根のない接し方をする。
 要は図太くて図々しいだけなのだろうが、決して男気のない人物というわけではなかった。

 サニーから返された発言の真意がわからず、は?、と思わず聞き返す。
 長身の影が立ち止まり、一面硝子張りの廊下で靴音がぴたりと止んだ。
「、れ、覚えてねえの…?」
 おまえにしては存外抜けているんじゃないかと、褒めているのかけなしているのかわからない声が、横顔だけを見せる色白の相貌から帰る。
 太陽という名に恥じない仰々しい色味の染料で染めた豪奢な金髪に、斑のメッシュを入れた長い髪の持ち主は、面白いものを見たとばかりに長すぎる睫毛を従えた双眸を見開いたようだ。
 南国の土地の生き物を髣髴とさせるような色彩鮮やかな外見は、好もしいか否かの独自の判断基準では自然と後者に属する。
 自然界に存在しない人工の匂いがするというのが最たる理由だが、それを相手は意図して行っている節がないわけではない。
 仮粧、と言うべき擬態と酷似する装飾を施し、人の眼を欺いて生きる者はいる。
 無論、サニーは身を潜めなければならないほど、攻撃されることに怯えなければならないような柔な人格ではないし、むしろ目立つ装いをすることでそれを囮にしている部分もある。
 黒を基調とする佇まいで隠密行動を得意とするのがココであると仮定するならば、その真逆に位置するのがサニーだと言うべきか。
 確かに性格的に難があり、仕事を共同で作業する時もやりづらい側面が少なからず存在するし、サニー自身も他人が足手纏いだという自らの主張を崩すことがない。
 手を組んで物事に当たる時は、最初から向こうの頭を納得させていなければ、完遂するのは難しい。
 恐らく、単独で自由に行動する方がよほど性に合っているのだろう。
 それは、四天王と呼ばれる自分たち全員に当て嵌まることだが、サニーとゼブラは殊更顕著であると言えた。

「、つだったか、俺たち三人、揃ってココに助けられたこと、っただろ…?」
 こちらの心中を推し量るでもなく、平然と相手にそう指摘されはしたが、生憎と思い当たる節はない。
 尚も首を傾げていると、ついには小ばかにしたように、サニーは片側の口端を無言の嘲笑の形に歪めた。
 しかし、声音は軽い調子を崩さない。
「…腐れ沼の毒にあたった時のこと、ぼえてね?」
 庭の中で最も過酷な条件が揃っている、組織が有する領域の中の最大の難関。
 第一ビオトープの、プロの美食屋数人で形成した部隊すら軽率に踏み込むことのできない密林の奥地を幾度か探索した当時のことを言っているらしい。
 細かな資料が手元にあるわけではないが、最古の化石魚にして生きた宝石と名高いメテオライトと呼ばれる巨大魚を探していた頃の話だという。
 水ではなく、誰も底を見たことがないと言われる沼の、さらに深い泥の中に生息している上に、用心深く滅多に姿を現すことのない幻の魚類。
 ほとんど動くことのない生活ゆえに、体格に似合わず、土中の微々たる養分だけで事が足りるという、解明されていない生体についての調査が、研究所から依頼された内容だった。
 俺は最悪に気持ちが悪かったから覚えているね、と、勝ち誇ったように告げられて、ようやく口中に曖昧ながらも味覚が戻ってくるような感覚で記憶が蘇ってきた。
 哺乳類の皮膚を腐らせる毒素を含んだ泥水によって、四人が四人とも生死の境をさ迷いかけたという件のアレだ。
 超人的な免疫機能によって、いち早く抗体と呼べる薬を作り出し、最初に正気を取り戻したのは勿論ココだ。
 自然物質にせよ化学物質にせよ、人体に有毒な成分への対抗策を持つ特異体質であったお蔭だが、他の三名は悉くそれらの毒に侵され、身動きが取れない状態であったという。
 しかも、未知の毒質によって体表から急速に腐食が進み、骨や内臓を腐らせ、命を落とすのは時間の問題だった。
 安全な場所に仲間たちを連れ出し、意識のない面々を的確な処置で介抱をしたのがココであったという。
 自分は優秀な触覚によって見えない危険を肌で察知していたから、それほど重症ではなかったと、苦々しく目元だけを歪ませてサニーが答える。
 それに比べて、おまえらは最悪に危険な状態だった、と嘲笑とともに漂白された歯を見せる。
 ココが最も得意とし、同時に嫌悪しているのは、自らが作り出した抗体を他者に与える行為だ。
 体液の中でも薬としての効果が即効で現れるのはココの血液で、その事実は研究所の連中にも明かしていなかった。
 本人が毒人間とあだ名される以前に起こった事故であり、猛毒への対抗手段を持った美食屋が、抗体そのものをわが身から取り出し、他の人間に与えて有効であったという事実は、それまで確認されていないこともある。
 仮説として可能であるというよもやま話が酒席で語られていたわけでもなく、一人真っ当な意識と五体を持っていたココ自身が、最後の手段として試みた苦肉の策にして一番やりたくなかった打開策だったと推測するのは難くない。
 その甲斐あって、医療チームに引き渡されることなくビオトープ内で一命を取り留めたのだが、運悪く報告書によって、ココのやったことは上層部の知るところとなってしまった。
 もし事前に相手と相談をする余地があれば、隠し通すこともできたかもしれない。
 どうせいつかは明るみになるのだとしても、少なくとも科学者たちの奇異の眼を暫くの間遠ざけることはできただろう。
 それから、ココの知らぬ間に影で実験は続けられ、名実ともに有害な生き物であるという残酷な真実を突きつけられるに至った経緯へと、雪崩れ込んでしまったわけだが。

「…それから、ったんじゃねえの?おまえが、ココに入れ込むようになったのは」
 まるで事も無げに、サニーは要点を突いてきた。
 回想からいきなり現実に引き戻され、だが動揺など湧いてくるはずもなく、言われた意味に対しての回答を平坦な声調で口に上らせた。
「…入れ込んじゃいねえが…?」
 表現の方法が独特で、言葉に裏があるようで、よく聞けば何でもストレートに評価を下しているところが、この男の持ち味だ。
 サニーに信頼が置けると言えるのは正にそこであり、常に意思が表裏一体であることは、見てくれの装いとはまったく逆であるということができる。
 自分以外の存在に対して感心が長続きしないという点も、然り。
「…そーゆうことにしとくけど」
 肩を竦め、話は終わりだと自ら終止符を打つように、くるりと踵を返して去って行く。
 相変わらず無味乾燥とも言うべき問答の数々だが、良い情報を得られなかったわけではない。
 なるほどそういうからくりもあったのかと思えるくらいには、サニーとのふとした再会は、無駄というわけではなかった。
 しかし、それですべてが煙に巻けるという確証は、当然の如くないことも、また。




-2009/01/16
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