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李功(りこう)という男、その情理

「最近、来ねえな」
 何気なく発した言葉を、側に控えていた屈強な高弟の一人が拾う。
「どうかしましたか、李功様」
 あー、とぶっきらぼうに答え、気にするなと手を動かして放免した。
 黒龍のまとめ役になったとはいえ、四六時中他人に纏わりつかれるのは得意ではない。
 わずか四歳の頃、先代の指導者・王きによって見出されてからは、師であったその男か兄、もしくは単独での修練の方が好ましかったからだ。
 強い奴らとそれこそ倒れるまで技を競い合いたいというのが本当のところだが、自分以上、あるいは同等の能力者というのは残念ながら同門の中にはいなかった。
 他派であれば自身をひよっこ扱いする実力者は確かにいるのだが、同じ西派であっても他流との交流は禁じられている。
 だからこそ、頻繁に手合わせのために訪れる親友の存在は有難く感じていたのだが。
「…忙しいなら仕方ねえか」
 拳法着からむき出しにした裸の腕を胸の前で組み、独りごちる。
 佳人と並べられても見劣りしないだろう形の良い額の上部には、黒龍拳の高弟のみが刻むことを許された『竜』の文字が鎮座している。
 荒くれ者が目立つ世界でひと際目を引く眉目秀麗の拳士。
 だが目つきは鋭く、口元には皮肉な笑みを履き、湯気のように立ち上るおのれの精気と気性の荒さを隠そうともしない。
 前回のトーナメントに出場した十四の頃から身長はそれほど伸びていないが、反面、内面的な成長が著しいと白華拳の最高師範に評されたこともある。
 しかし、白華の後継者殺害に協力したことへの罪滅ぼしと、敗退した黒龍の立て直しのために尽力するため総帥となった今、自らが一人で白華の門を叩くことはまずない。
 西派三十二門派の頂点に立つ大道師の召集があれば話は別だが、親しくしている趙(しょう)と連れ立つことがなければおいそれと挨拶に行けるような間柄でもなかったからだ。
 部外者と交わらないのが、古来から続く仕来りでもある。
 何となく覚える不機嫌を隠そうともしないまま、李功は指導者としての執務に戻った。


 西派の三十二ある流派は、それぞれに小さな村を持っている。
 大地に聳え立つ険しい五里山(ごりさん)に点在する里は、機械を使って辿り着くことは不可能だと言われている。
 各々の村は自給自足で、滅多に人が行き交うことはなかった。
 白華の里から少し離れた森の中、小さな滝に打たれながら行(ぎょう)を行っていた意識に、不意に言葉が飛び込んで来た。
 今どこにいる、と、真正面から投げつけてくるような、ひとつの、そしてはっきりした強い念。
 他心通(テレパシー)という名の勁の技は、西派の師範級の拳士であれば誰もが使い手となれる。
 遠方であればあるほど特有の能力を要するが、元々強い勁の力を持っている者であれば容易く体得することができた。
 ――李功か。――
 相手を認めると同時に湧き起こるのは、無心の喜び。
 純粋な感情はどうやら距離を置いた相手にも伝わったようだ。
 ――趙(しょう)、おまえ今どこにいるんだ?――
 思った心がそのまま向こうにも通じるので、嘘や偽りで誤魔化せないのが難点だったが、淀みなく会話が成立するのが長所でもあった。
 念話では事実を隠すことはできないことはわかっていたので、正直に場所を告げると、そこへ行くと返答が帰った。
 わざわざ来ることはないと慌て、脱いでいた服を着込むために岸辺へと足を踏み出す。
 言うが早いか、大きな見知った気配が近づいてきた。
 ――李功――
 久しぶりに見た白顔の眉間には、大きな縦皺が刻まれていた。


「何やってんだ、おまえ」
「…………………」
 下半身を露出したままの全裸の親友を下から睨みつけた李功は、怒りを露(あらわ)にしているようだった。
 胸の位置にあるその表情には近年目にしていた邪気のない笑顔は見られない。
「…見ての通りだけど」
 肩を竦めて修練を続けているだけだと事実を伝えようとして、そうじゃねえ、と一蹴される。
 李功は指導者を意味する色彩の生地ではない、一般の拳士の普段着に身を包んでいた。
 外気に一片の素肌も晒さず、きっちりと襟を詰めた姿は久しぶりに見る。
 服の色から判断するに、公務のために白華を訪れたのではないことは一目瞭然。
「梁師範に聞いたら、毎日実践から離れた修行ばっかしてるって話じゃねえか」
「………………」
「なめてんのか?おれを」
 うーん、と素直に首を捻りたい気分になったが、他心通から解放されたために心中を悟られずに済んだのは幸いだった。
 それほどまでに李功が鍛錬の相手を必要としているとは思わなかったが、相手の虫の居所が悪いのは、どうやらそれが理由らしい。
 しかし考えてみれば同等以上の勁の使い手がいないことで、力をセーブした訓練を強いられることによる多大な疲労感と苦痛は、自分こそがよく知っているものだった。
 会いに行かなかった数週間、指導者の責務とはいえ、連日自分よりも劣る高弟を相手に手加減することを自身に課さなければならなかった李功の身体と精神的な疲労は、どうやらピークに達していたようだ。
 さすがにこれには罪悪感を覚え、李功に頭を下げた。
「すまん。そこまで考えなかった」
 こうべを上げると、少しだけ李功の様子が柔らかくなったようだ。
 こうしたわかりやすい反応があるから、好い奴だと公言することができる。
「まあ、いいか。おまえがいつもと変わらないなら」
 薄い唇の端を持ち上げ、笑みを作る。
「もしかして心配したのか?」
 問えば、あー、と答えが返る。
 李功は踵を返していた。
 靴のまま水辺に踏み込んでいたので、動きに伴ってばしゃりと音が立った。
「何か面倒事に巻き込まれてたんなら、力になってやろうと思ってたんだが」
 そうじゃないなら、また顔を出せよ、と続ける。
 会いに来なかったことは許したようだが、直感的な判断力に長けた李功は、本能的に違和感を覚えたようだ。
「…『そこまで考えなかった』、ってことは、その前に他の考えがあったのか?」
 黒龍を訪ねて来なかったのは、自己鍛錬が理由だけではないと悟ったようだ。
 振り返り、整った眦を吊り上げて睨みつけてくる。
 常に正直におのれの心を体現してくる相手には、隠すことのない気迫が籠り、眼光には責めるような、探るような疑惑の光が宿っていた。
 李功の烈しく、他者を偽らない反応を見て、覚悟を決めた。
 やはり、断つことはできないと。
 そう自覚したら、すとんと勇気が落ちてきた。
 深いところに宿り、みるみる体中に力を与える、形になる。
 一歩前へ足を踏み出し、詰まった距離から見上げてくる友人の手を掴む。
 上から全体を包み込み、相手の五指を壊さない程度に力を込めた。




-2013/10/09
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