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李功(りこう)という男、その休息

「おう、趙(しょう)」
 おまえらが出かけてた間に、智光(ちこう)をターちゃんの元へ派遣することにしたぜ、と言われ、
「はあ」
 としか実際に返事が返せなかった。

 智光が得意とする内養功の術が、遠いアフリカのジャングルで動物たちを守るターちゃん一家の役に立つだろうというのが建前らしいが、本当の理由は別にあったのだろう。
 おれの女房の蓮苞(れんほう)を毎日てめえのズリネタにしやがって、というのが新婚の梁(りょう)の本音だったらしい。
 自身がいない間に例の悪癖が治まるどころかさらに悪化したんじゃねえか、と怒り心頭だった姿は記憶に新しかったので、仕方のない処分だったのだろうと思わなくもない。
 現実に隣の友人も妄想の被害に遭っていたので、男の言うことに反論する気にはなれなかった。
「ターちゃんの命を狙う組織が多いのは事実ですからね」
 白華の師範である智光をその役に任ずるのはあながち間違いではないと納得する。
「ああ。ターちゃんの敵は、野生動物を密猟するハンターだけじゃねえからな」
 各国の格闘技大会に出場して超人的な活躍を見せるたびに、望まない敵を増やしたことを懸念しているようだ。
「おれみてえな武闘派より、治療に特化した奴が側にいた方が何かと都合がいいだろう」
 ターちゃん本人のみならず、その家族が万が一にも窮に瀕することがあった時の切り札になるだろう、と男は言った。
「そうすね」
 白華を救った恩人でもあるのだから、ほんの少しでも力になれれば幸いだ。
「…で、おまえらの方はどうだった?」



 馬鹿な野郎だぜ、と梁はできる限り感情を押し殺してから言葉を選び、吐きだした。
 李功の手前、その実兄である劉宝を悪く言うことは避けたかったようだが、どうにも自制が利かなかったようだ。
 それ以上何も言わなかったのは、梁の李功に対するせめてもの思いやりだったのだろう。
 そして、年若い拳士二人の顔を改めて眺めてこう言った。
「何だ、おまえら。雁首並べて、随分と眠そうな面してるじゃねえか」
 二日間寝なかったすから。
 夜通し山道を歩き続けていたと明かすと、途端に男から大きな笑い声を浴びせられたが、悪い気はしなかった。
 これまで気がかりだったことを上司に報告し終えて、ようやく肩の荷が下りたような気がしたからだ。
「鍛錬の前に腹に飯入れて、仮眠取ってこい。…李功、おまえもな」
 白華で休んでから黒龍の里に帰れと言われ、珍しく李功は素直に頷いたようだった。
 どんなに生命力に満ち溢れていても、休眠する時間はやはり必要であるらしい。
 だったら門弟たちが使う共同仮眠室を案内しようと思ったところで、噂の師範の姿が目に入った。

「趙師範」
 建物の一角から出て来た男は、ぺこり、と両手を合わせ、慇懃にこうべを垂れた。
 見た目はお世辞にも並の容姿とは言い難かったが、こうして丁寧な礼に重きを置く真面目な側面がないわけではない。
 返礼を会釈程度に留めると、それを受けてから智光は今度は傍らの李功に向き直った。
「…それから、趙師範の大事な…」
 不気味に頬を染め、きらきらとその豆粒のような目をうるませているのは気のせいだろうか。
「大切なご友人」
「…?」
 見上げられた側の李功はすかさず怪訝な目つきになった。
 眉間に縦皺を刻んだその相貌をどう捉えたのかはわからなかったが、智光の双眸がさらに潤み出したのに嫌な予感を覚える。
「何か用すか」
 あまり李功に近寄らないでほしいなと内心で心配に思いつつ、智光の間に割り込むようにして用件を問う。
 恐らく遠い彼の地へ旅立つ前の挨拶をしに来てくれたのだろうと察した理由は、その背に背負われた大きな荷物。
 大判の風呂敷に包まれた荷の中からは、何やら怪しげなグッズが見え隠れしているようだった。
 任地へ赴く前の餞別ならば、本来こちらが用意しておくべきなのだが――
「趙師範には何かと迷惑をかけたので」
 お詫びにこれを。
「……………………」
 差し出されたのは、色のついた瓶に詰った無数の丸薬。
 はなむけ代りに大道師から譲られたものであるらしいそのラベルには、『惚れ薬』、の文字があった。
「…………………………………」
 自身が閉口したのは言うまでもない。
「全部差し上げるわけではないですが、少し分けるくらいなら私には何の問題もないので…」
「いらないす」
 即座に断る。
 智光が持っていたのは、白華薬法という白華拳が継承する古代薬学から作られた秘薬だ。
 時の西派の権力者が必要だと判断したため創られた、今で言うマッドな分野かもしれなかったが、勿論それは正しい意味でも用いられていた。
 どこの世界でも、妻がほしい、子どもがほしい、健康長寿がほしいという人の欲求は尽きない。
 長い歴史があると、そうしたものに対する対応処置を取らざるを得なくなってしまうのだ。
 赴く先のアフリカで嫁を探せという、大道師の無言の親心だったのだろうかと勘繰ってしまう。
 断られたにもかかわらず、え、でも…、と言葉を濁して、ちらりと李功を一瞥する。
 天然なのか性悪なのかはわからないが、下手に勘が働くのはさすがは白華の師範といったところか。
「効き目は一ヶ月しか続きませんが、その間にしっぽりとしけ込んでしまえば…」
 晴れてハッピーエンドですよ、と目を輝かせたまま頬を紅潮させて薄ら寒く微笑む同僚の語尾を遮る。
「急いでるんで失礼します」
「趙?」
 何事かと驚いている李功の手首を掴んで足早に男の目の前から歩き去った。



「白華の師範には変わった奴もいるんだな」
「……………………」
 『あれ』は例外中の例外だ、と言いたかった言葉を飲み込んで、ひとまず私房の前に辿りついた。
 拳士たちの宿舎はここから先にある。
 そのことを告げ、ようやく李功の手を離した。
 もしかしたら結構な時間、握ったままだったのかもしれない。
「この中が、おまえの部屋かー」
 施錠していたので扉を開けることはできなかったが、濁ったガラスがはめられた飾窓から中を窺うように李功が身を乗り出した。
「寄ってくか?」
 何やら楽しげだったその様子に釣られ、つい声をかけてしまった。
「あー。綺麗かどうか確かめてやるよ」
「言っとくけど、何もないぞ」
 苦笑し、鍵を開ける。
 新しい空気を取り込むために、窓も開いた。
「本当に何もないなー」
 整頓され、掃除が行き届いた室内を見渡し、李功が感嘆する。
 本棚と衣類棚と小さなテーブルと椅子、そして布で仕切られた奥に設えられた寝台くらいしかない。
 簡素なものだが、不要なものを持たないのが拳士の嗜みだ。
 すたすたと歩み、何を思ったのか李功はカーテンを剥ぎ、靴を脱ぐなり断りもなくベッドに横になった。
「おい…!?」
 驚いてドアを閉める。
「仮眠室じゃないぞ、ここは…!」
 うるせえなー、と投げやりな答えが返る。
 寝台は高さがあったので、腕を付いて覗きこむと横たわった李功の顔が近距離に迫った。
 うろたえた様を見られるのは心外だったが、形振り構っていられなかった。
「寝るなよ、李功!」
 黒い頭がもぞりと動いた。
「もう歩くのが億劫なんだよ」
 このままここで休ませろよ、と眉をしかめる。
 確かに、疲れているのは自分も一緒だが。
「それに、この長椅子。おまえ用にできてるから大きいんだろ」
 李功の指摘通り、背丈が伸びていた時に家具を作る村人に誂えてもらった特注品だ。
「おまえもいい加減体力が限界なんだろ?…隣空けてやるから、横になれよ」
「………………」
 欠伸混じりに片手で毛布を持ち上げ、李功は入れと催促した。
「……………………おれのベッドだぞ」
「白華の趙が、細かいことをいちいち気にすんな」
 これ以上文句があるなら部屋から出て行けばいいだろ、と凄まれては、あべこべにもほどがある。
 大きなため息を吐き、仕方なく李功の言う通りにした。
 裸足になり、隣に体を忍びこませる。
 狭いかと思ったが、李功はちゃんとこちらの居場所を確保してくれたようだ。
 両腕で胴を抱くようにして背を向けると、一つ息を吐いてからあっという間に寝入ったようだ。
 枕は残されていたので、不便を感じなかったと言えばそうだが。
 服の下の体の線が無数に生じた皺によってさらに鮮明になったような気がする。
 鍛えられた背の筋が良く見える。
 腰巻から下の、臀部の曲線も明らかだ。
 そういえば、腰が細い割にここの形がいいんだよな、と思ったのも束の間。
 何かもやもやとしたものが興りそうになったが、連日の山歩きを強行したおかげで敢え無く意識は撃沈した。



 おまえら、本当の兄弟より仲良いな。

 小一時間ほど経った後に揃って部屋から出て行くと、それを目撃した梁が呆れたような感想を漏らした。




-2013/10/20
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