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李功(りこう)という男、その女難

「李功、とりあえずおまえは体洗って着替えて来い」
 白華の師範・梁(りょう)に促され、李功は渋々頷いたようだった。


 白華の里を襲った未来からの刺客が去った後、親友やその家族と久しぶりの再会を改めて喜んだが、白華拳の敷地内に着くと、梁はすぐに状況の整理を始めた。
 小さな救世主となった息子・空総(くうそう)を妻であり母である蓮苞(れんほう)の腕の中に返すと、時々ふざけ合いながらも、白華の最高師範らしくてきぱきと仲間たちに必要な指示を下した。
 李功は敵が去った後も怪我を負った自身を気遣っていたようだったが、梁に命じられ仕方なくその場から立ち去った。
 門弟が案内役としてその先頭に立つ。
 何事にも気が強く、真っ直ぐな李功の気が咎めていたのは、肩の先からきれいさっぱりなくなってしまったこの左腕のことだったのだろう。
 外魔瑠派(ゲマルハ)教団の教祖・タオによって造り出された昆虫人間の異能力によって失った腕は、残った勁(けい)の力によって傷口の痛みこそ少なかったが、それが自分を庇った末にもたらされたものだと思っていたのだろう。
 確かにそうかもしれなかったが、白華を守るために李功に梁を呼びに行かせたことは間違った判断ではなかったと思う。
 実際に機動力と持久力を併せ持った李功の方が長距離の伝令役としては格段に優れており、事実その行動は迅速なものだった。
 自分を逃がす盾となったことに少なからず罪悪感を覚えているらしいことは理解できる。
 けれど、腕をなくした自分自身が李功ほどのショックを受けていないこともまた真実だった。


「……………」
 自らの返り血を浴びた服の代わりを余所から借り、汚れを拭ってきたらしい李功の足がぴたりと止まる。
 寸法が大きかったのか、道着の両手両足の袖と裾を捲り上げ、そこからは鍛えられた肘から下が覗いていた。
 鳩が豆鉄砲を食ったような容貌を目にしたのは、初めてだったかもしれない。
「李功」
 名を呼ぶと、どんな顔をしていいのか悩んだ挙句、何かを堪えるような表情になったようだ。
「趙(しょう)の腕見ろよ。空総に治してもらったんだぜ」
「……………」
 かわいい息子の起こした奇跡を大笑いしながら胸を張って自慢したそうな梁のにやけた視線を受けて、ようやく止めていた息を吐き出したようだ。
 李功はゆっくりと足を踏み出した。
「…なんだ。勝負はおれの勝ち逃げかと思ったぜ」
「片腕だけでも、おまえに勝つ自信はあったさ」
 上半身に負った重度の火傷も諸共に、まるで時を戻したかのように完璧に治癒してもらったので、外見だけなら敵の襲来を受けた数時間前と変わらない。
 信じられない力だと思ったが、父親の惜しみない愛情と勁(けい)の力を受け取った空総はその無垢な心のままに、仲間たちを元のあるべき姿に戻してくれたのだ。
 実父の梁や李功の命を救ったのも、みんなを護りたいという一心だったのだろう。
 李功の眼が笑っている。
 ほんの一瞬だけ、わずかに泣きそうに見えたのは、きっとここに至って心の底から安堵した所為だろう。



 服を借りて黒龍の村に帰るつもりだった李功は、案の定というか、師範の梁の親友・ターちゃんの妻のヂェーンの鶴の一声によって引き留められた。
 見た目も質量もヘビー級の、ジャングルの王者の唯一の細君だが、豊富な知識に裏打ちされているためかはわからないがその言葉には奇妙な説得力がある。
 誰も逆らえなくなるというか、とにかく李功は彼女の命令に反発する気にはなれなかったらしい。
 過去に戦ったターちゃんの超人的な強さに敬意を表しているとともに、ヂェーンが放つ独特の威圧感に逆らえなかったようだ。
 自分としても、彼女に反論をしてそれを押し通せる自信はない。
 第七十六代目大道師誕生記念大祝賀パーティが始まり、傍らの席に腰掛けながら話をしていると、テーブルの前にぬんっと大きな影が差した。
 件の彼女が挨拶に来てくれたようだ。
 久しぶりねー、と他人には胸中が読みづらいだろうクールな顔つきのまま、他愛のない会話を交わす。
 四年振りだったので、当たり前のように背丈が飛躍的に伸びた自身の話題で盛り上がったが、元気そうでよかった、と最後にはかつての少年たちの成長を喜んでくれたようだ。
 帰り際、李功をちらりと見る。
「雌ハイエナが狙ってるけど、気にしないでね」
「……………」
 つるんとしたひっかかりのない口調で、結構辛辣なことを言っているが、微妙な悪意はあっても嫌みを感じさせないのが特長だ。
 元々私利私欲に偏った人間が良心の塊といっても過言ではないターちゃんの伴侶になれるはずがないのはもちろんだが、心根の優しさが彼女の全体の雰囲気から滲み出ているためだろう。
 だが、胴体の幅ほどに広がった大きな顔面から発される無表情の声に、李功はやはり何という顔をすべきか考えあぐねているようだった。
 ヂェーンの言った『ハイエナ』というのは、ターちゃんたちを自家用機に乗せて五里山(ごりさん)までやって来た、老年の昆虫博士・フォーブルの助手。
「ヘレン野口です」
 ぽうっと頬を染めながら、やけに口紅の濃い黒髪の美女がいつのまにか李功の隣に椅子ごと移動し、ぴったりとくっついている。
「…………あんたねえ……」
 忠告した途端、早速男漁りに来て、と咎めているような目つきで、ヂェーンが彼女に一瞥を送る。
「ここに着いて早々、李功に目をつけるなんて相変わらず非常識な女ね」
「目をつけるなんて人聞きが悪いわ、ヂェーンさん。…それじゃ私が根っからの男好きみたいに聞こえるじゃないですか」
 違うんかい、と心中でヂェーンが突っ込んだようだったが、口には出さなかった。
 目当ての男を前に、普段以上に媚を売っている夫のガールフレンド(恋敵)の姿を見て、些かの憐憫の情を覚えているからかもしれなかった。
「…まあ、いいけどね。趙君を狙わなかっただけ、あんたが良心的な女だって思うことにするわ」
 単純にマッチョ好きっていうより、容姿端麗で筋肉質な男が好きなのねー、と小言のようなことを付け加える。
 聞き様によってはこの場にいる人間すべてに対して随分と失礼な言い方だが、他意がないことがわかるだけに口を挟む理由はない。
 というか、ヘレンなる女性が自分ではなく李功を標的に定めたのは、年齢的な部分も含まれていたということだろう。
「年も近いみたいですし、お友達になりません?」
 きらきらというか、獲物を定めたかのような眼光を爛爛と光らせて、二つ年上らしい側の女が李功の横顔を見上げる。
 ちゃっかりと腕をからませて、豊満な二つの胸の膨らみを李功の鍛えられた上腕に押しつけているのは見間違いではないだろう。
 超が付くほど食い込みの激しいショートパンツから剥き出しになった白い太股も、惜しげもなく相手に見せつけている。
「…………」
 李功はどんな顔をしているのだろうかと思ったが、ここまで強引なアプローチに対して嫌悪感を覚えると言うよりは、内心で呆れているのが正直なところだったかもしれない。
 呷ったコップの隙間からその表情を見下ろしていると、苦笑したい気持ちがありありと手に取るようにわかった。
「……触ってもいいですか?」
 頬を真っ赤に染めながらも熟練した女のような色目を使い続けるヘレンが、服の上から李功の体を触りたがったようだ。
 ヂェーンが指摘していた通りの筋肉フェチらしい。
 李功の四肢は他の拳士たちに比べると小柄と言えなくもなかったが、質では少しも劣っていない。
 自分のような恵まれた筋肉というものとは対照的で、どちらかと言えば、厳しい日々の鍛錬によって培われた、徒手武術(としゅぶじゅつ)の門派である黒龍拳総帥の名に恥じない、実用的な強さと張りを備えた強靭な筋骨の持ち主だ。
 俗っぽく表せば、整った容姿によく合った、見かけだけでなく実力を伴う細マッチョ、という系統になるだろうか。

「…だから、『セクハラ』はやめろって言ってんのよ」
 ずん、と眼前に現れたのは、この祝賀会の良心。ターちゃんの妻のヂェーン。
 李功が客人である自分たちに気を遣ってはっきりと断らないことを知っているのだろう。
 善良な子どもを、米国留学を経て色んな方面で『大人』になった友人の毒牙から守ろうとするのは当然の思考だったのかもしれない。
 そして何より、白華や西派の土地的な事情や風俗についても、かつての一家の一員だった梁を通してよく見聞きしていたのだろう。
「李功はあんたじゃ絶対に落ちないわ。諦めて、あんたの上司やアナベベの側で酌でもしてれば」
「………それって時代錯誤の人のセリフですよ、ヂェーンさん」
 女が男の給仕をしなければならない根拠は、今も昔もないと返す。
 知識人同士のライバル関係なんだな、と二人の対決を見ていて何となく思うところがある。
 こういう場面で下手に両者を窘めようと動かないのは、男の賢い選択と処世術かもしれなかった。
 傍観を決め込み、李功と並んで無言で杯を呷る。
 頑として動かない女に、ヂェーンは苛立ちを覚えたようだ。
 しかし、それを外に出さないのが愛する夫を持つ妻の身。

「……言っとくけど、西派拳法家って少林寺拳法みたいに観光で儲けてないから、みんな貧乏よ」
「……………………………………………」

 束の間の沈黙ののち、ヘレン野口はするりと李功から腕を解き、音も立てずに椅子を持って退いた。

「………………」

 清流を流れる木の葉のように一切の乱れも感じさせずに身を引く姿になぜかよくわからない強烈な潔さを覚え、李功とともに、ある次元で拍手を送りたい気持ちになったのは言うまでもない。




(祝、左腕復活。…ヘレンちゃんのあの潔さ(心変わりの早さ)は結構好きかもしれないです)
-2013/10/25
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