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李功(りこう)という男、その遠くはない距離

 第七十六代目大道師誕生記念大祝賀会の写真ができたから、持って来た。

 白華(はくか)の大道師・蓮苞(れんほう)と最高師範・梁(りょう)の間に生まれた空総(くうそう)の誕生を祝う記念の席で撮った集合写真を小さな額に収め、携えてきた自身を迎えた李功は、鍛練を終えたばかりの汗を拭わずにこちらを見つめ返した。


「さすがに今回の写真は大きいな」
 毎年白華の里で開かれる春節の祝宴の時とは違い、さらに大人数だったので写真そのもののサイズが大きいと感心したようだ。
「白華にとって特別な祝賀会だから、当然だろ」
 そうだな、と李功から頷きが帰る。
 冬であるにもかかわらず、李功が上半身裸のまま塀の側に腰かける様を認めると、当たり前のように自らもその隣に腰を下ろした。
「今回はターちゃん一家も一緒だからな」
 そういえば、彼らを収めたものはこれまでなかったなと振り返る。
 四年前に開かれた第五十一回目の西派トーナメント終了時の頃に撮られた小さな写真もあるにはあったが、その中に李功は含まれていなかった。
 当時の李功が彼らの中に入ることを遠慮した、というのが本当のところだが、黒龍拳の内部を治めるために動き回っていたために当人が多忙だったという経緯がある。
 彼らが白華の里を立つ時も義理を立てて見送りに行こうと思っていたようだが、忙殺されてしまったのが実際のところだったのだろう。
 ターちゃん本人からは李功に宜しく伝えてくれと言われていたので、その後、白華の里に治療のためにやって来た李功に男の言伝を伝えたが。
 何となく感慨深げな様子の李功の横顔をそっと盗み見る。
 肉体強化の修練の高揚がまだ去らないのか、その頬はわずかだが上気している。
 口元は薄く笑みを履き、長い睫毛と流麗だが強気な意思を表すような眉が手元の額を見下ろしていた。
 平静を装いながら内心でどきり、としたのは、遠いアフリカの地へと帰っていた仲睦まじい例の夫妻の言葉を思い出したからだ。
「………………」
 李功に悟られないよう目線を落とし、そっと頬を染める。
 思いを告げなければ物事が進展しないと諭されたが、自分は一体相手に何を望んでいるというのだろう。
 今更わからない振りを装うつもりはなかったが、それを現実に実行し、望んだものを手に入れようとするには、よほどの覚悟と勇気が必要だ。
 李功の反応や答えを想像し、もし、のその先を頭の中で繰り返す。
 拒絶されても受け入れられても、おのれの中に似て非なる混乱が生じるだろうことは必然だからだ。


「………………」
 もう一度李功の貌を見つめると、その目元がにっこりと笑っていた。
 写真の中に唯一存在する赤ん坊の姿を捉えたからだと察し、ああ、と得心する。
 李功は美形でありながら鋭い外見とは裏腹に、赤子の無垢な表情が殊更好きであるらしい。
 黒龍の里でも毎月子どもは生まれていたが、あまり村人たちとの接点はないと言っていたことを思い出す。
 李功本人の出生が理由の根底にあることはもちろんだが、白華拳のように回復術にすぐれた拳士が少ないことも原因の一つだろう。
 治安という名目であればともかく、治療のために村を巡回する者がいないために自然と交流の機会が少なくなってしまうのだ。
 どちらかといえば、各門派が自給自足のために得なければならない農作物も、村人たちから寄進される側なのではないかという印象も拭えなかった。
 他の村に比べて、拳士と彼らの間には見えない隔たりがあるようにも感じる。
 けれど、李功が子どもを嫌がらないのは、扱いに慣れているからなどではなく、単純に小さい者や弱い者を守ろうとする本能が働くためだろう。
 幼少の頃から李功の周囲には黒龍のつわものである体格の良い大人の男しかいなかったことも起因するのだろうが、だからこそ本当の部分で、自らより明らかに見劣りのする存在を大事にしようという意思が働くのだろうと思った。
 あるいは赤子の時分、その実兄に充分過ぎるほどの愛を注がれた記憶があるためか。


「改めて見比べてみたら、空総様は梁師範に似てるな」
 生まれたばかりのわが子がまるで猿の子みてえだ、と憎まれ口を叩きながら嬉しさのあまり泣きじゃくっていた男の顔を李功は思い出したようだ。
「そうなんだよな。…最初はおれも、母親の蓮苞様似なのかと思ってたんだが…」
 身を乗り出し、李功の手元を覗きこむ。
 相手との距離が縮まり、一瞬胸の鼓動がどくりと高鳴ったが、悟られないよう唾を飲み込み、動揺を抑える。
 艶のある黒い髪が鼻先にかかるくらいの近さまで迫った途端、束の間だったが李功の表面が強張った。
「………?」
 感情を抑制していたのではっきりとした驚きを覚えることはなかったが、李功の緊張を見逃すことはなかった。
 先の祝宴でさえ、妙齢の異性に抱きつかれても特別な変化がなかったはずの李功が。
 しかしこういう場合、下手に逃げを打つことがないのが李功という人間の本質だ。
 迷うことがあれば間違いなく、それを避けることをしない。
 よく言えば、遠回りをすることがない。
 その時も李功は身を引くどころか真っ直ぐにこちらの眼を見返してきた。
「…………………」
 無言のまま近距離で上下の目線が交わり合う。
 あちら側がこちらの心中を計っているわけではないのだと頭ではわかってはいたが、咄嗟に言葉が出て来なかった。
 やがて、ぽつりと李功が声を発した。
「……………梁師範は、嬉しがるだろうな」
 愛する息子が自分に似ていると言われたら。
 うーん、と、そこでようやく視線を余所へ流すことができた。
 何とか間が持った、と表現するのが相応だったのだが。
「……祝賀会の後、ターちゃんにも言われていたが、すでに鼻の下がこれ以上ないってほど伸びてたぞ」
 それを聞いて、周りの人間が同じような感想を漏らす度に、最高師範の威厳などまるでなかったかのように至福の表情でわが子を溺愛し自慢する父親の姿を想像したのだろう。
「そりゃそうだな」
 相貌を元の位置に戻し、李功が破顔した。
 納得したような、整った笑み。

「…………」

 見下ろしながら、自分は相手のその笑い顔が好きなのだと。
 昔からずっとその笑顔を見ていたかったのだと、改めて思った。




-2013/11/08
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