趙(しょう)師範に良い人ができたんじゃないかって。
白華の村人たちからそんな噂を耳にした。
「え…………」
「最近ずっと機嫌が良さそうだと、話してたんですよ」
畑仕事で痛めた老人の手首に包帯を施す手を止める。
午後の空いた時間だけだったが、幼い頃から世話になっている白華への恩返しのつもりで、村人たちの生活の手助けのようなものをすることがあった。
白華拳は西派一の歴史を持つ、三十二門の中で最も大きな門派だが、そのおかげもあって拳士たちが里に住む一般の住人たちと仲良くする機会が多かった。
それは主に、自給自足で生活するために不可欠である広大な田畑を一緒に耕したり、農地を開拓する作業の手伝いだ。
無論、本格的な農作業は素人同然であったため、管理は村の人たちに任せ、力仕事や勁(けい)を使った治療などで彼らを助けることは日常茶飯事だった。
幼少時代から自身の修練や門弟たちへの稽古があったため足繁く通っていたつもりはないが、顔馴染みも多かったので、どうやら常と違う様子に気づかれていたようだ。
「もし違っていたら申し訳ない」
質問をした相手から先に謝られてしまっては、それ以上誤魔化しようがなかった。
「いえ、構いません」
苦笑し、治療を完了させる。
気の力で完全に患部を修復するのではなく、自然治癒力を促す『気』を使った治療法は医療行為として決定的なものではなかったが、薬とは違った役割を果たす。
効果は一概に出るものではないが、有能な多くの拳士を抱える白華拳の内養功の使い手たちは、古来より村の人たちから信頼される存在だった。
「…どんな方なのか、よかったら教えてもらえませんか」
好奇心を刺激されたというより、長年ここに出入りしていたため、ほとんど見知った間柄も当然であるからこその問い。
村人たちと交流を重ねて来た大道師ともども、彼らにとっては親せきのようなものと捉えているのだろう。
善意からの問いかけだとわかっていたので、自然と答えを口に出していた。
「……白華の出身ではないので詳しいことは話せませんが…」
心なしか頬が熱いのは気のせいではないだろう。
「…一緒にいると、とても楽しい気持ちになるんです」
重ねて、きれいな方なのですか、と訊かれて、そういえば、と考える。
「…普段はそうでもないですが、笑えばかわいいと言われるかもしれないですね」
相手からすれば、何を馬鹿なことを言っているんだと睨まれそうだが。
若者の恋心を温かく見守るように、そうですか、と快く受け止め、農夫は微笑った。
「大道師様の言われたとおりの方のようですね」
李功と会う機会は少ない。
それでも、他の門派の拳士に比べれば頻繁に顔を合わせるチャンスがあった。
だからこそ、触れ合えることができる時間はごくわずか――
白華の里と黒龍の里の境界近くの山中。
会いたいと感じた時に足を延ばし、どちらからともなく求める。
人目を忍ぶ密会は必ずしも体を重ねるばかりではなかったが、十代の純粋な欲求も手伝って溺れるほど抱き合うことも少なくなかった。
李功から欲しがることもあれば、接吻を重ねるうちに行為が止まらなくなることもしばしばだ。
肉欲と表現するよりもただ互いが相手の求めに応じているだけのような気もする。
ごく自然に、呼吸を分け合うように、水を分け合う魚のように交わり続けた。
「…っあ、…」
立ったまま李功の片足を持ち上げ、開いた箇所に熱くなった雄の象徴を擦りつける。
時間をかけて後ろに忍ばせた指で緩めた場所は、汗と油で濡れている。
口を合わせている間中、服の下からまさぐっていた体の表面は、今はすべて外気にさらされている。
見た目以上にしっかりと、隙間なく鍛えられた体幹によって無茶な体勢をさせても李功の足がぐらつくことはない。
上から下へと先端を移動させて肌をなぞると、小さな舌打ちが届いた。
「……っやく……、……、ろ、よ……」
言葉使いはいつも通り強気で強引だが、正常な呼吸に努めていても声色だけは隠せないほど熱に浮かされている。
李功の綺麗に切りそろえられた前髪が濡れた米神や額に張り付き、そこから覗く肌膚は赤い。
李功特有の睨むような目つきは下からなので、命じているようには到底思えなかった。
哀願を伴うような苛立ちを相手が感じているのは、自分が李功の汗腺から溢れる滴と自身の体液でじっとりと湿らせようと、その周辺をなぞっているからだ。
直接的な刺激が乏しいだけに、焦燥が少なからず李功の理性をじりじりと焼いていることは火を見るよりも明らかだった。
「ああ、もう少し……」
返答を濁すと、たまらず喘ぐような声が帰った。
「………焦らす、な、…よ…………」
李功は快楽に思いの外正直だ。
欲しい時は欲しいと言い、心地良いときは深く感じながら好いと言う。
どちらもまぐわうようになって暫く経ってから齎された李功の率直な感想だったが、感じざるを得ない快感を包み隠す術を知らない性根が幸いして、随分と房術が上達する手助けになってくれたように思う。
懇願とも違う、李功の寄せられた眉と目元を見て、自身の熱量が大きくなった。
李功が息を飲み、宛がう側の友人の下腹を見る。
今日はまだ一度も味わっていない。
くるりと周囲を円を描くように撫でたあと、ぐ、と李功の窪みに丸い先端を押しつけた。
無意識に、李功の腰が引く。
太い腕で逃がさないようにくびれた部分を掴んで引き寄せ、ずぶりと頭の半分を埋める。
瞬間、李功は片手で自らの口を覆ったようだ。
そのまま腹を使って数回無言で揺すると、嗚咽のような鼻息がその整った鼻梁から漏れた。
亀頭を飲み込むように、くぷりと体内に挿入った感触が生々しかったが、それ以上に李功の鼻から漏れた声音に反応し、軽い眩暈を覚える。
理性を保つように平静を装っても、行為の最中は簡単に自制心が折れてしまう。
主導権を握ろうとしても結局は李功との性交に没頭することになるので、最初からそうしようとしなければ良いのだが。
さらに揺らしながらずぶずぶと柔らかな粘膜の中で距離を進める間も、李功は鍛えられた形の好い身体の線を惜しげもなく眼下にさらしながら、動きに合わせて其処彼処を喘がせた。
李功の内側はびくびくと痙攣しているのに、地面に付いた片足からは汗の筋がいくつも伝うだけで、崩れ折れることはない。
少々乱暴に扱っても大丈夫だという事実は知っているが、無茶をするのは我を忘れた時だけ。
開かせた脚をさらに折り曲げ、上体が密着するように身体を掴み寄せる。
受け入れる側にとっては辛い恰好だろうと思う間もなく、李功から腕が伸ばされた。
筋肉の隆起が鮮やかな両腕に力を込めて、強く抱きしめられる。
「あ、………」
反動で繋がった部分に圧が加わり、無数の水滴を浮かべた李功の腹筋がびくびくと震えた。
「っ………」
感覚のすべてがこちらにも直接伝わってしまうので、極限まで抑えていた興奮が火種を得たように再び燻ぶり始める。
獣じみた呼吸音が喉から溢れ、自身の大きな肩を喘がせた。
それに気づいているのか、首に縋った李功が同じように断続的な吐息を無意識に鼻から漏らし始める。
「……………して、…いい、…ぜ……」
激しくして良いと途切れ途切れに告げられ、興った衝動をゆっくりと、五指を一本ずつ開くように解放した。
結界を張った草むらの上で二回ほど交わったのち、支度を整え、白華の村に戻ろうと立ちあがったところで、李功がまだ地面に座り込んでいることに気がついた。
「どうした?李功」
「……………」
李功の体の汚れを拭き取った後衣服を着せ、そのまま自身の身づくろいをしていたのだが、その間も放心したように足を折ったままだったようだ。
李功は何度か深呼吸を繰り返し、最後に長い溜息のようなものを吐いた。
「何でもない。……おまえは先に白華に戻れ」
有り余る気の力で体力は当に戻っているはずだが、なぜか李功は声を漏らしたきりそこから動こうとしなかった。
「辛いのか?」
もしかして知らないうちに心身に負担をかけていたのかと心配になり、尋ねると、李功は黙り込んだようだ。
相手が返答に詰まる姿など、あまり見たことがない。
驚き、傍らに寄ると、やはり目線を逸らされた。
「……?」
不可解に思い、頭上からその様子を窺う。
肌で感じる気配は、確かに通常のものよりも若干弱くなっている気がするが、弱り切っているわけではないようだ。
力を込めれば、容易に、ではなかったかもしれないが、四肢を動かすことができるはずだ。
にもかかわらず、李功がそうしようとしないのはなぜなのか。
「李功…?」
怪訝そうに問うと、軽く食いしばった歯の隙間から嘆息が漏れた。
「………言わせるなよ……」
「………………」
わけがわからないと眉を寄せて見下ろす。
友人の煮え切らない態度に業を煮やしたのか、先刻よりもはっきりとした舌打ちが鼓膜をかすめた。
間を置いて、李功の横顔から絞り出したような声が届いた。
「……………………好過ぎて……、…………腰が立たないって言ってんだ」
これ以上おれに説明させるな、と李功は怒ったように睨みつけてきた。
そこでようやく何のことを言っているのかを合点し、反射的に顔を逸らした。
初めて言われた事柄だったこともそうだが、李功の言ったことを理解すればするほど、どうしても頭部すべてが丸々と茹で上がってしまったかのように真っ赤になってしまったからだ。
こういう場合、男として相手に褒められたのだと捉えるべきだったのかもしれないが、あの李功が立ち上がれないほどなのであれば、申し訳なさの方が先に立つ。
余韻がまだ燻っているのだろう体の疼きを持て余して、普段以上の休息を余儀なくされているのだとしたら。
そして怒りながらも、李功の頬が朱に染まっていたのは目の錯覚などではなかった。
「………おれも残る」
断言し、日が落ちてしまった草の上で胡坐をかく。
すぐに非難するような李功の言葉を浴びたが、退くつもりはなかった。
「横になって、楽な体勢をとれ」
膝を貸してやる、と明言すると、李功は端正な顔立ちをしかめて見返してきた。
だが何も言わず、李功はゆっくりと上体を倒した。
鍛え上げられた分厚い筋肉に包まれた、同年代に近いとはいえ男の太股の上だったので、かなり高い枕になってしまったが、それでも何とか好い按排の傾斜を見つけたらしい。
李功はひとつ呼吸をしてから、緩慢な動作で体重を預けてきた。
組んだ足の上にちょこんと乗った黒い頭を眺めていると、自然と手が伸びた。
癖のない艶のある頭髪を梳くようにさらりと撫でる。
それに反応を返すことなく、李功は瞑目したようだ。
愛玩する動物を愛でるように何度も愛撫を繰り返しながら、暫時沈黙が流れるかと思ったが、不意にその口が開いた。
もしかしてだが、と李功は言った。
「……?」
どんな表情をしているのか、背を向けられているのでこちらからは知覚できない。
「……やってる間だけだと思うが、おまえ、おれの気を『使ってる』だろ………」
「…………」
李功の言葉は果てしなく心外だった。
思わず、なんだって?、と憮然とした気持ちを抑えて聞き返す。
相手の勁(けい)の力を吸収するような技を体得したり、以前のように李功の気を利用した外気功を意図して行っているつもりはないと反論しようとして、つと口を噤む。
まるきり覚えがないとは言えないことを思い出し、先ほどの行為を回想したからだ。
仮定での話だったが、思い当たらない節がないわけではない。
李功が言う、向こうの精気を使っている、という内容の真偽が。
「………やっぱりそうか。……道理でおまえ相手だと、あとで身体が旨く動かせなくなると思ったぜ…」
「…………………」
事後の不調というか、体中を走る痺れのような疼きのようなものは、親友が原因だと李功は認めたようだ。
明らかな変調ではなく、時間を置けば次第に回復するので、特別困惑していたわけではなかったようだが、自身の変化に対して少なからない戸惑いを覚えていたのだろう。
後ろ頭越しに、いいけどな、と李功は言ったが、半ば呆れているような口振りだった。
「…………気を『使って』いたわけじゃない……」
言い訳がましいと思ったが、何とも言えない胸中でぽつりと本音を漏らす。
どういう態度を取るべきかわからず、双眸をしかめたり口をへの字に曲げたりを繰り返す。
「…?」
何事かと李功はこちらを見上げようと首を傾けてきた。
確かに李功の指摘した通り、相手の発する生命力を奪っていると思われても不思議はなかったのかもしれない。
ただ、これは自身の見解だったが、おそらくそれは自らの勁の使い方に由来しているのだと思う。
白華拳が誇る随一の『使い手』と評されるだけはあり、李功や最高師範の梁でさえ、天賦の才能と認めている――
その、自他共に認める性質によって、考えられる可能性というのは。
「……恐らくだが、おれはおまえの気ごと回しているんだと思う」
「……………」
詳しく説明すれば、拳士の閨房術の一つである精気および精力の循環の法を、自らのものだけでなく李功の持つ豊潤な気まで使って行っているのではないかという事実だ。
結合した瞬間から李功の体内の気の力を巻きこんで、勁の技術を駆使し、文字通り二つの肉体の間で、それらを通した術を無意識に行っているのだとしたら。
自分が李功との交合の後、繋がる前よりも漲るような力を得ている現実にも納得がいく。
そして無理矢理ではないにせよ、他人によっておのれの気を利用されている側の李功の身体に性交の余韻が強烈な感応とともにいつまでも残ってしまう事象も理解できないわけではない。
「……………………」
「……………………」
要するに、おまえがテクニシャンだってことか?
「……………………………………………………」
呆けたような李功の声を聞いた瞬間、顔を背けて目を瞑る以外、最適な対処法が思い浮かばなかった。
-2013/11/19
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