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◆、その貞操観念

 訪ねた先の他門派の敷地内で。
 頼みがある、と言われ、差し出された上着と呪符の双方を同一の視界に収め。
 普段であれば、教えてやるから自分でやれ、と無下に突き返すところだったが。

「……今回だけだぞ」
 短いため息とともに糸と針を受け取った。
 李功が携えてきたのは、新調したのであろう、真新しい衣服が三着。
 公式用が一着と、それ以外は普段使うものだろう。
「おれとしちゃ目一杯奮発したから、買って早々ぼろぼろにしたくなかったんだよ」
 耳に心地好い声音が奏でるその台詞を聞きながら口元にだけ苦笑を浮かべる。
 四年来の親友の手先が器用ではないのは百も承知していたからこその自然な反応だった。
 正しく表すなら、李功は不器用な人間ではない。
 実戦で見せる集中力は自分と同じくらいであるし、瞬時に精神統一を行った際の気の上昇の幅は、実際白華の最高師範である梁(りょう)と比べても遜色がなかった。
 ただ、こうした実生活に絡むことに関しては有り余る能力を発揮できない、要するに実用的な場面では一般の同性と変わらないくらいのレベルしかないと表すのが適当だろうか。
 黒龍拳の中で暮らしてきたのだから、幼い頃から身の回りのことは自力で何とかしていただろうとは思うのだが、この手の作法には一向に進歩が見られなかった。
 あの厳しそうな。
 現実に至極厳格であったろう歳の離れた実兄からも散々言われたであろうことを、皮肉な表情を浮かべて改めて発した。
「黒龍の若き総帥が、他人に頼り過ぎるのは感心しないな」
「………おまえ以外には頼んでねえよ」
 憮然として李功は言い放った。
「………」
 一瞬きょとんとしたが、相手に下から睨みつけられ、なるほどな、と得心する。
 必要以上に他人を頼っているのではなく、自分を宛てにしてくれていたらしい。

 さすがに、『早くいい嫁さんを貰えよ』などと口にしなかったのは、相手を誰にも渡すつもりがないからだ。


 気の放出を抑える特殊な札を手際良く懐の内側に縫い込んで行く様を眺めながら、李功は感嘆しつつ語りかけてきた。
「…趙(しょう)。おまえ、やっぱり女に持てるだろ…?」
 藪から棒だな、と思いながら、続きがありそうなのでそのまま耳を傾けようかと考えたが、自分にとってはどうでもよい部類の話題だったのでさっさと打ち切ることに決めた。
「そうでもないぞ。…むしろ色恋に気を割いてるような男も女も、西派拳士としちゃ二流以下だな」
 だったらおれは二流以下か、と朗らかに笑みを浮かべながら、李功はその鍛えられた肩を揺らした。
「なんで、持てると思うんだ…?」
 どうしてそんな感想を持ったのかと問う。
 注がれる眼差しが幾分穏やかだったのか、李功は素直に理由を明かした。
「まず一番に、内養功の術が得意だろう?……料理も旨いみてえだし、裁縫の腕も達者で家事も万能の師範なんて、そこら辺の里の中を探してもおまえ以外に見当たらねーよ」
 聞いているうちに気恥かしさを感じ、手元に視線を戻す。
 向こうは気づいていないようだが、好いた本人から惚気を直接聞かされているようで、居た堪れなさを感じたからだ。
「おれは李功の方が持てると思うぞ」
 辛うじて出たのは、前々から感じていた事柄だった。
 そんなことねえよ、と即座に怒ったような口調で否定してきたが、どうやら李功に自覚はなかったらしい。
 おのれが良くも悪くも悪目立ちをする事実を。
「気づかなかったかもしれないが、おまえが白華の村に通い始めた頃、何度もおまえのことを聞かれたんだぞ」
 数年前の武道大会で負った頭部の傷を治療するため、李功が半年もの長い間、白華を訪れていたことがある。
「珍しかったからだろ?」
 事も無げな返答が返る。
 余所の村の人間が物珍しく映っただけだろうとの見解は完全には間違ってはいないだろうが。
「……尋ねてきたのは女性ばかりだったんだ」
 それは異性に対して積極的に興味を持つような不道徳な娘など滅多にいない山村の風景には似つかわしくないものだったと記憶している。
 わずかだが、苦い思いが口の中に蘇ったような気がして目を顰める。
「おまえの気のせいじゃねーのか…?」
「……気の所為じゃない。…おまえはもう少し自覚を持て」
 好色とまでは行かなくても、見目好いというだけで心の食指が動くのは単純に人の性だ。
 男女の区別なく、好もしいと思った者に興味を持つのが生きている人間の当然の心理だからだ。
「そうは言ってもなー」
 おれには心配する要素が見当たらない、と李功は困ったような顔つきでこちらを凝視した。
 綺麗に整った、艶のある双眸でじっと見つめられ、思わず閉口してしまった。
 どうやら本気でそう感じているらしい。
 確かに李功は誰も伴侶として迎えるつもりはないと断言していたが、もしかしてそれだけで自身に浮気の心配はないと捉えているのだろうか。
 自分にそのつもりがなければ、他人がどう思おうとも無関係だとの解釈は、かなり強引だが、生来持っている気の強さゆえに意思が強固である李功らしい発想だと解釈できないこともない。

 言っておくが、と、敢えて語気を強めて忠告を添えた。
「………………おれの前で鼻の下を伸ばしてたら、何をするかわからないからな」
 好意を寄せてくる異性に対して油断をしている姿をもし目にしたら、李功に向かってどんな言動をするのか真実不明であるからこそ。
 自身が存外相手にだけは嫉妬深いということを理解してからは、そのどろどろとした熱情を我慢をしたり隠したりする行為が馬鹿馬鹿しく感じるようになった。

 おまえはとことんおれを舐めてるな、と憤慨したように眼下の李功は声を荒げた。
 さすがに他人に聞かれるのは憚られる内容だったので、事実夜はよくその胸や腹を舐めてるだろ、とは言わずに置いた。


(実は趙以外にもいい(?)男はいる、というのが内心のオチです。つづく…!)