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なんで当てちゃったんだ…

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Gちゃん(ヂーちゃん違い)をなぜか当ててしまったのですが
(本当は別のG将軍がほしかった…)
ゲラさん自体良い人と言うより
シュウと見比べると「利用しやすい人間」のように自分には見えたのですが。

ゲラーの実年齢によってもまたシュウの見解も変わるので、どうかな~と思いつつ。
シュウとあまり変わらなさそうなのですが
トッシュと同じくらいだとしたら、ある意味シュウにとっては
ちょっと周到に操る手立てを考えないと中々手強そうでした。

ゲラさんとシュウが信頼関係で結ばれていたり、
グレーゴルさんではなくてゲラさんの元にシュウがいるのは
グレーゴルさんからシュウを保護しているのか(シュウが英雄と言う立場上)
あるいはゲラさんがシュウを監視しているのかはわかりませんが
帝国軍内のシュウの扱いは無理矢理なのか合意の上なのか、取引上なのかで
色々と変わって来そうな気がします。

覚醒シュウが帝国軍所属なのは、シュウはいずれ帝国軍のトップの座に就くのか
あるいはゲラーを立てて(悪く言えば傀儡にして)帝国軍を牛耳るのかはわかりませんが
いずれシュウとしては何らかの手段に出そうな気がしつつ。

帝国軍がシュウを力づくで抑えられるわけはないので
何か取引がありそうな気がしました。
アレクとシェリル。
特にシェリルがシュウと帝国軍の間の取引に関わってくれていたらいいな~と思いつつ。
片目を失ったのもシェリルを庇ってとかだったらいいなと思っていることは秘密です。
この二人は師弟の関係でもよかった。

そんなこんなで、帝国軍とシュウの関係…そしてロマリアとシュウのつながりがたくさん明らかになると楽しそうでした。

余談ですが、自分が死にネタ嫌いなのは
・簡単に殺して感動を得ようとするな(二次創作は遊びじゃないんだよ(笑))
・ネタが安直過ぎる
・まだ生きてます(生きてるキャラに失礼)
・生きてればどうせいつかはほっといてもみんな死ぬんですが
・アークザラッドが全部終わってからでよくない?
・あーくざらっどほんぺんでしんでからでよくない?
・人形遊びやめて
諸々あります。
個人の好き嫌いなので、「好きにすればいい」というのが結論ですが
どのジャンルでもかっぷりんぐのかたほうをころすとかころさないとかいう茶番は見飽きた…というのが率直な感想です。
自分の自慰のためにカップリングの片方を毎回ころしているひともいるし(爆)

すまんな、きらいなものはまげられぬ…

もっと深い話をすると、アークザラッドに限らず名作と言われる漫画等は
『人が「生きる」姿を描いている』のですね。
大事な人を失った過去を持っていても、前を向いて生きる。
TLにミリルのことを引きずっているエルクで居てほしいみたいなのもありましたが
それ引きずって生きている人間は死んでいるも同然だから、と思ったり(苦笑)。
死んだ人間を思っても思い出しても何の益も得られません。
しんだ人間がどう生きたのか、それが今生きている人間の生きる糧になります。

どう生きたのか。
思い出してもらえることが、その亡くなった人の最大の幸せだと自分は思います。
だから、死はただの…なんていうかな、人が物になるだけの変化。

どう生きたのか、それを今生きている人たちに思い出してもらえなければ、その人は無駄な生命だったと思っています。

厳しいかな。
でも生きるってそういうこと。

しんだ人間を思い続けて、人は生きたりはしない(それだったらその人はしんでいる)。


あ、あと「死に別れることを不幸だ」と思う人もいるかもしれませんが
人間死ぬ時は大抵一人です(苦笑)。
だから不幸とかそういう問題ではなくて
むしろ、
その人がどれだけ愛されたのか、どれだけその人が愛したのかが記憶に残っていれば
決して死に別れることは不幸ではないのですね。


だからトッシュウは、トッシュがシュウを会うたびに存分にほにゃほにゃ(熱愛(爆笑))しているので
シュウが他所でしんでも後悔はしないというか。
この世にいなくなっただけで、シュウが生きていた当時の記憶は残るわけで。
あとから後悔をしないように、逢瀬の度にいっぱいシュウのことを愛してあげれば(砂を吐く音)問題ないわけなので。

トッシュウの夜は毎回毎回飽きもせずにアッツいアッツい熱過ぎるぅううう!!!!、というのは、そう言う理由からです。

これさえちゃんとやってれば、
シュウがシュウらしく生きて最期を迎えてくれたのなら
互いに不幸だとは思わないんだよな~。
と私は考えています。

だから、どのキャラクターにも言えることだけれども
「そのキャラクターやキャラクターたちの生きている今」をえがいてあげないとね。


追記。
「しっかり生きた人はきちんとしねる!(心置きなくしねる)」、という解釈は
芥川龍之介の中納言の姫だったかな?
それを解釈漫画で描いた山岸涼子さんの作品の影響もあるのですが
生をしっかりと生きた人は迷わず成仏できる、というのは
正しいことだなあ、と思うわけなのです。

死は不幸ではない。
死に別れも然り。

しんだ人がどう生きたのかが、残った人の生きる糧(力)になる…という解釈もそこから来ています。

きちんとしぬためには、しっかり生きろ!
ってことですね。


しっかりとシュウが最期まで生きたんだってことがわかれば、トッシュが先にシュウを失っても不幸ではないのですよ。
むずかしいかな…汗

しっかり愛してあげて、シュウもそれを返していたことが記憶に残っていれば(アッツい夜の中で)
トッシュにとっては不幸ではないと考えています。
(シュウにとっても、誰かを存分に愛していれば、その愛したという事実があるだけで、決して不幸な人生ではなかったといえるのですよね…)


……ほんとにトッシュウってあつすぎるってばよ……(赤面)

トッシュウの夜とか夜とかそれ以外とかの部分がアッツい理由の一つは、
トッシュの側にシュウがいつまでもいないせいですね(笑)
側にいられないのは、シュウの性分だから(生き方だから)仕方ない(笑)

で、側にいる奴を愛せばいいんじゃないかって思うかもしれないけど
それは人それぞれだから。
愛する人には束縛をせずに、その人の自由に生きてほしいと望む愛もある。